イギリスで活躍したオーストラリア生れの先史学者。進化論的解釈を基調とする多くの著作を通じて,20世紀の世界の考古学界に多大の影響を与えたばかりでなく,考古学の研究成果の普及にも重要な役割を果たした。日本でも《文明の起源》《歴史学入門》《歴史のあけぼの》《考古学の方法》《考古学とは何か》などが翻訳されている。シドニーに生まれ,シドニー大学を卒業後オックスフォード大学で〈インド・ヨーロッパ考古学〉を研究題目として,考古学者A.エバンズおよびJ.L.マイルズの指導をうけて人文(古典)学部を卒業した。2年余りオーストラリア労働党で仕事をしたのち,先史学研究のため東および中央ヨーロッパを旅行し,1925年に非常に有名になった《ヨーロッパ文明の黎明The Dawn of European Civilization》を出版,古代オリエント文明の影響をうけながらもヨーロッパ先史時代が独自な文明を形成してゆく過程を明晰な表現で提示した。この書物はイギリスの有能な先史学者や考古学者に大きな衝撃を与えた。ついで《アーリヤ人The Aryans》(1926)を出版して先史学者としての地位を確立し,27年新設されたエジンバラ大学の先史考古学講座の教授に迎えられ,次々と研究業績を公刊した。46年ロンドン大学の先史ヨーロッパ考古学教授および考古学研究所長に転じ,56年に引退して故郷のシドニーに帰ったが,57年10月19日ブルー・マウンテン中の断崖から投身自殺した。
チャイルドの研究は,自分で行った発掘や遺物の詳細な検討を基礎とするものではなく,むしろ書斎の研究者として理論的研究と,インダス流域,古代オリエント,エジプトから全ヨーロッパにわたる総合的叙述に才能を発揮した。彼は人類進化の指標を人口の増加に求めた。植物栽培と家畜による食糧生産の開始をもって人類史の第一革命すなわち新石器革命Neolithic Revolutionと考え,その結果として生じてくる定住と建築材の発達,生産効果をあげるための人工灌漑のくふう,それらが生み出した余剰生産をもとに交易と運送機関が発達し,青銅器の発明からくる専業工人などの存在が可能となって分業が成立し,やがて彼らの居住する都市が成立して支配階級が出現する等の一連の現象を第二革命すなわち都市革命Urban Revolutionと評価し,これらの革命が古代オリエントとエジプトで達成されたのち世界に伝播したと主張した。そして次の第三革命が産業革命Industrial Revolutionに相当するという。現在のイギリスの有名な考古学者の間では,チャイルドの業績を過少に評価する傾向が強いけれども,死後30年足らずの間に彼の学説に関する多くの論文と,伝記を含めてすでに3冊の書物が出版されている。
→新石器時代
執筆者:小野山 節
イギリスの貿易商人,重商主義経済学者。ロンドンで商人の子として生まれ,ポーツマスで食糧商として産をなし,同市市長に選ばれ,その後下院議員となる。1673年東インド会社の理事,81年に総裁に就任,長年にわたり〈東インド会社の独裁者〉として強力な指導力を発揮した。主著《新交易論A New Discourse of Trade》(1693)は,匿名の書《貿易および貨幣利子に関する概説》(1665執筆,68刊)を加筆改題した同じ匿名の書《交易論》(1690)に,著者名を明記して発表したものである。彼の議論で特徴的なのは利子論と貿易論である。彼は利子論で,T.カルペパー(父)とともに,低金利こそ一国の富の増加の原因であり当時のオランダ国民の富裕もこの点に根拠があるとして,法定利子引下げ論を主張し,T.マンリーやJ.ロックとの間に論争をひき起こした。だが,彼の高利攻撃論の階級的基礎は複雑で,彼を〈近代銀行業の父〉だとする従来の評価を疑問とする議論は多い。貿易論は,一般にトーマス・マンの貿易差額論を継承し,東インド会社の利益を代弁したもので,当時の国内産業保護論者とは対立的だったと評価されている。だが,当初は明白にホイッグ党支持者で,トーリー党の自由貿易論者に転向したのは80年代以降である。この点でも彼は重商主義者のうちで特異な存在であった。
執筆者:時永 淑
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
イギリスの貿易商人、重商主義期の経済論者。東インド会社の重役として同社の利益擁護に活躍し、貿易と産業の自由を一部主張したが、それは特権的貿易会社の利益を基盤とするもので、いわゆるトーリー・フリー・トレーダーの自由貿易論であった。主著『新交易論』A New Discourse of Trade(1693)で、彼はT・マンと同様、一国の富と偉大さとを外国貿易に求め、一般的貿易差額論を承認するが、貿易差額算定上の困難や、為替(かわせ)相場による測定の不確実さを指摘し、貿易差額にかわる富裕の算定基準を貿易と海運の増減に求めるべきだと主張した。さらにこの富裕増大の最大原因を低利子率に求め、最高法定利子率の引下げ論を展開した。
[田中敏弘]
イギリスの考古学者。オーストラリア、シドニー出身。オックスフォード大学卒業後、王立人類学研究所司書となり(1925~27)、1925年に刊行した『ヨーロッパ文明のあけぼの』は学界に大きな衝撃を与えた。本書の内容は彼の学説の基幹となるもので、それは、生産経済はオリエントで始まり、ヨーロッパ、アジアに波及して各地に生産経済に基づく文化を形成させたとするものである。27年にエジンバラ大学教授、45年にはロンドン大学教授となった。ヨーロッパ諸国、近東諸国、ロシアなどに精力的に研究旅行し、ヨーロッパ遠古の文化の再構成を企て、精力的に著作を刊行した。退官後故郷のオーストラリアで事故死した。著書に『考古学とは何か』『アジア文明の起源』『歴史のあけぼの』などがある。
[寺島孝一]
『近藤義郎・木村祀子訳『考古学とは何か』(岩波新書)』
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…こうした歴史的経過のなかで先の総括的貿易バランス論は,対フランスとの競争段階への移行につれて,独占会社の貿易の〈自由〉を主張する〈トーリー党の自由貿易論〉に成長していった。J.チャイルド,C.ダベナント,N.バーボン,D.ノースなどがその代表者である。他面,こうした自由貿易論の見地は,17世紀の70,80年代に始まる東インド産綿布とイギリス産毛織物との競争関係をめぐる〈キャリコ論争〉を契機にして,ウィッグ党的な国内産業保護主義との対立を表面化させるに至った。…
…20世紀の初頭は,19世紀に確立した考古学の方法を駆使して調査が拡大していった時期である。それらの調査によって充実したデータを駆使し,1925年以降V.G.チャイルドは,オリエントこそが周囲にさきがけて生産経済への転換をなしとげた文化の中心地であると説き,ヨーロッパ先史時代の歴史をオリエントに発する波状の文化伝播の過程と見なす壮大な総括を行った。チャイルドの枠組みは60年代まで生命を保っていたが,1946年にリビーが創始した放射性炭素による年代測定法(炭素14法)が普及するにつれて,チャイルド説の基礎をなしていた年代観が動揺し始め,それを契機として,文化中心地域からの伝播よりも,各地域での発展を重視すべきであるという批判が起こった。…
…また,精巧な作りの打製石器が新石器時代を特色づけるだけでなく,ナイフ,鏃,鎌として,青銅器時代に入っても重用されていたことも判明した。こうして上記3種の転換のうち,地質学的・石器製作技術史的区分ではなく,経済史的区分をもって新石器時代を定義づけることが,イギリスのV.G.チャイルドによって提唱された(1936)。彼によると,先行する旧石器時代,中石器時代が食料採集経済段階であるのに対して,新石器時代は自給自足の食料生産経済段階に属しており,この産業革命に優るとも劣らない大きな飛躍は,〈新石器革命neolithic revolution〉の名に値する。…
…
[文明と都市]
文明の発展に対して都市の果たした役割は大きい。V.G.チャイルドは都市が文明の基本的な要素であることを力説し,新石器時代の農耕文化から文明への推移を〈都市革命〉と呼んだ。そして,都市は文明を表示するだけでなく文明をつくりだすものだという考え方が生まれた。…
※「チャイルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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