トーリー党(読み)トーリーとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「トーリー党」の意味・わかりやすい解説

トーリー党
トーリーとう
Tory

イギリス政党ホイッグ党と並存。トーリーは,もともとアイルランドの旧教徒の山賊を意味し,チャールズ2世の治世に王位継承排除法案をめぐる議会内の闘争で,これに反対する議員たちに対して,その支持派がニックネームとして使った。この時期以来,トーリー党王権とイギリス国教会の諸特権を支持し,非国教徒とカトリック教徒に対する寛容に反対した。中心勢力は貴族と地主。 1688年の名誉革命には,積極的ではないにせよ従ったが,極右派にはジャコバイトもおり,ハノーバー朝初期には大勢としてホイッグ党に押えられ,政界野党をなした。 1760年代ジョージ3世の王権回復構想に応じて勢力を回復し,ピット (小)は宮廷派,ホイッグ反対派,国王派を結集してトーリー党を再編成し,近代的議会政党へと成長させた。フランス革命を激しく批判し,暴力的革命に対する国民の警戒心に乗じて 1830年代まで約 50年間ほぼ連続して政権を掌握したが,ナポレオン戦争後,反動的性格が濃くなり国内の政治改革には冷淡になった。 20年代に保守派と自由主義派が党内対立し,選挙法改正運動をめぐって主流の保守派は敗北を喫したが,R.ピールの巧みな指導下に分裂を避け,30年代再編成を行い,以来,保守党という呼び方が一般化した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「トーリー党」の意味・わかりやすい解説

トーリー党
とーりーとう

イギリスの政党。保守党の前身。1680年ごろ、王弟ジェームズ(後のジェームズ2世)を王位継承者から除こうとする動きに反対した人々が、アイルランドの無法者を意味する「トーリー」Tories(単数形ではTory)の名でよばれたことに由来。国王への無抵抗、王権擁護の立場をとったが、カトリック教徒のジェームズ2世が即位後、国教制を破壊しようとしたため、王権の制限を主張するホイッグ党と協力、名誉革命を行った。地方の地主層を基盤とするトーリー党は、ホイッグ党による商人優遇策や非国教徒への寛容政策に反対した。1714年以降、外来のハノーバー王朝支持派と、それに反対するジャコバイト派に分裂し弱体化したが、ジョージ3世即位(1760)ののちは勢力を回復。とくに1780年代以降ピット(小)政権の与党として新たな発展を遂げ、フランス革命期には革命、改革の危険から「国教会と国王」を守る保守政党という性格を固めた。以後半世紀にわたり政権をほぼ独占したが、1820年代にはカニングなど党内自由主義派と保守派の対立が表面化し、30年には選挙法改正を主張するホイッグ党に政権を奪われた。このころからトーリー党は保守党とよばれ始めるが、「トーリー」の名も用いられている。

青木 康]

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