翻訳|embryology
現在では発生生物学developmental biologyということが多い。すべての多細胞生物は,その一生を受精卵という1個の細胞から始め,質量ともに劇的な変化の過程を経て,成体となる。この過程を観察,記述し,さらにそこで起こる変化の原因を探究するための生物学の分野を発生学(発生生物学)と呼ぶ。発生の過程は,すべての多細胞生物において起こるから,発生は,生物のもつ普遍的な現象の一つであり,したがって,それを研究する発生学は,生物学の中で一つの大きな基本的な位置を占めている。
動物学のあらゆる他の分科の例にたがわず,発生という現象を初めて体系的に記述したのはアリストテレスで,《動物発生論》という書物が残されている。しかし,メカニズムの追究を目的として発生を研究する学問が盛んになり,発生学と呼ばれる分野が確立されるようになったのは,19世紀の後半のことであった。これには,E.H.ヘッケルが〈個体発生は系統発生の短縮された,かつ急速な反復である〉という反復説(生物発生原則)を提唱(1866)したことに刺激されたところが大であった。つまり,発生を研究することによって,進化の道筋を現実のものとして目でみることができるであろう,と期待されたのである。皮肉なことに,反復説そのものは多くの批判を受けるところとなったが,発生についての研究は発生学として生物学の中に定着することとなった。この段階での発生学は生物の発生を観察,記述して集大成することを目標とするものであった。
19世紀の後半になると,生物の発生の研究の基本的目標が系統,進化を根拠づけるという当初の動機とは離れ,しかも,発生という過程の観察,記述のみにとどまらず,どのような原因でこのような劇的な変化が起こるのかを,発生中の生物(胚)に実験的操作を試みることによって調べようという気運が高まってきた。W.ルーはこのような研究の分野は,その研究の目標,方法の違いからそれ以前からあった発生学とは独立したものであると考え,Entwicklungsmechanik(ドイツ語。発生力学または発生機構学と直訳された)と呼んだ。この名称は一般にはすこぶるわかりにくく,誤解を招きやすい。ここでいう〈力学〉とは,もちろん物理学でのそれではない。この場合の力学とは,カントの学問体系における区分からきたものであって,それによると自然現象の起こる原因,結果の因果関係を追究する学問は,広く力学と呼ばれる。したがって,原語の真の意義は日本語はもちろん,英語への訳によっても失われる。実際,このようなあまりにもドイツ哲学に密着して命名されたことは,この発生を実験的に研究する分野のドイツ以外の諸国への普及をいくぶん阻害することになったのは否定できない。ドイツ以外では,この発生過程の要因の実験的研究についての分野は,実験形態学experimental morphologyとか実験発生学experimental embryologyとか呼ぶことによって,古くからある発生学と区別された。
しかし,研究の進歩につれて,純粋に記述だけを目標とした研究は姿を消し,発生についての研究を実験操作をもって行うことは常識化してきたので,上に述べたような歴史的に存在してきた区別はまったく不要となり,生物の発生についての生物学の分野は,1950年代以後は発生生物学developmental biologyという名称で統合されている。20世紀の前半までの発生の研究というのは,発生学であれ,発生力学であれ,生物の形を扱う学問であって,生化学や生理学との結びつきは,きわめて幼稚なものでしかなかった。発生の研究を発展させるためには,形のみでなく物質の変化の面も総合的にとらえる必要があるという強い意識からも,発生生物学という新しい名称の導入が必要とされ,そしてこの名称がまたたく間に普遍することになったのである。
日本語への訳語でいうと発生学と発生生物学とでは,意味上の大きな違いはない。原語を英語でたどると,発生学はembryologyであって,直訳すれば〈胚学〉となる。実際,このことばは医学では〈胎生学〉と直訳されて使われていて,この訳語はかなり特殊な狭い分野を意味するような印象を与える。
現在,生物の発生を研究する学問の正式な呼称は発生生物学であり,狭義の,そしてもともとの意味での発生学はその中の一部分である。しかし,たまたま,embryologyの日本語訳がかなり広義な解釈を許すような発生学とされてきたので,これを発生生物学と同意のものとしておいてもたいして混乱はないのである。本項で発生学というときは発生生物学と同じ意味であって,狭義の発生学ではない。
生物の発生という現象を説明するために,遺伝学におけるメンデル法則にあたる普遍的原理は今のところない。生物の発生の説明には古くから二つの異なる基本的な立場があって,これらを前成説,後成説と呼ぶ。
前成説とは,発生において,将来完成される生物の姿がなんらかの様式でごく初めからあらかじめ存在している,と考えるのである。例えば,いちばん極端な場合では,卵や精子の中に親の姿が入れ込まれているはずだという考えまであった。これに対して後成説は,発生の始まりには,なんらこのような将来の設計図ともいうべきものが内蔵されているわけでなく,単純なものから,より複雑な姿への変化は,段階的,かつ漸進的に進行するものだと考えるのである。
この二つの考え方は,その内容を研究の進歩に応じて変えながらも,古くギリシア哲学の時代からつねに対立して存在してきた。しかし,どちらの考え方がより優勢であったかは歴史とともに変遷する。18世紀までは前成説が優勢であったが,19世紀の前半以後は後成説の立場が主流となった。とくに発生力学の分野におけるH.ドリーシュやH.シュペーマンの実験的研究によって,1回細胞分裂した二つの細胞からなる卵の,それぞれを分離して育てれば2匹の半分の動物ではなく,完全な2匹の動物が発生してくることが示されたことなどから,一時は,前成説は完全に否定されたかにみえた。
現在では発生の要因は,窮極的には受精卵の遺伝情報として内蔵されていると考える。その意味では,古典的なそれとは形式,内容をまったく異にしてはいるが,広義にいうと前成説的な立場が基本となっているといってよい。具体的にみても,前成説的立場を強めるような重要な研究が,現在次々と行われている。例えば,発生の初期の段階にある胚の個々の細胞について,それぞれの細胞分裂によって生じた細胞集団(クローン細胞集団)が,将来の生物体のどの器官のどの部分を占めることになるかを明らかにし,発生における細胞系譜というべきものを作ることがある。これらの研究の結果は,発生という変化は,細胞のレベルでみても実にみごとにプログラムされたものであることをよく示し,かつ個々の細胞のクローンが一定の自律性をもっていることを明らかにしている。
一方,古典的な後成説の主張してきた論拠は,今日においても等しく重要である。発生の過程においては体の一部を除いても,完全な生物個体の発生へと修復する。このことは,発生を完了した成体でもみられるのであって,多くの下等な動物では体の相当部分を失っても,完全な再生が起こる。さらに,植物については,発生を完了した植物体から一個の細胞をとって試験管の中で培養し,これから一つの完全な植物体を作らせるというめざましい実験がスチュワードF.C.Stewardらによって1950年代の後半以来,盛んに行われるようになってきた。
このような発生の後成的側面の説明は,多細胞生物においては,個々の細胞は自律的でなく,細胞間の相互作用が必然的に存在する,という点に求められるのである。古典的な後成論の全盛時代である20世紀の前半において,発生の説明のための基本的概念とされてきた誘導inductionも,発生における細胞間の相互作用をいうものであり,1970年代になって提唱された発生における位置情報positional informationの概念も,同じカテゴリーのものである。
現在において,これら二つの異なった立場は対立する二つの考え方による違いではなく,学説として対比されるべきものでもない。両方ともが事実なのであって,研究者が発生という現象のどの側面をみているかによる差でしかない。
いずれにせよ発生の基本的要因は,受精卵に遺伝情報として包含されている。この限りにおいては,発生学とは個々の遺伝子の働きがどのようにして発現されてくるかの研究であると極言できる。しかし,この発現の経過はきめられたプログラムの実現だけではない。経過の途上で不つごうがあればいつでも修復可能なような柔らかい,自己調整の可能な性質をもつものなのである。このような,本質的な柔らかさをも普遍的に説明できるような論理的な枠組みをもった,遺伝子発現論が発生という現象の理解のために要求されるのである。したがって,発生学は依然としてそれ自体の学問的独自性を主張しているのである。
発生学は生物の発生に伴う形の変化--例えばきわめて単純にはオタマジャクシがカエルに姿を変える変化--に科学的な関心がもたれたことから始まった。したがって,20世紀の前半ころまでの発生学の方法の基本は,広い意味での形態学のそれであった。それは肉眼で観察しうる発生に伴う形の変化をスケッチすることから始まり,組織切片などの顕微鏡による観察であり,近くは電子顕微鏡による発生に伴う細胞微細構造の観察に至るものである。
しかし,発生の研究は形のうえでの変化のみではなく,生理的機能の発生に伴う変化にも関心を広げるようになってきた。さらに基本的に重要なのは,発生における形の変化といえども,その原因は物質の変化に求めねばならない,という考えが1930年代から台頭してきたことである。この立場による研究は,それ以前の形態学の方法のみによる発生学とは異なるものであることを自己主張するため,化学的発生学chemical embryology(あるいは生化学的発生学)と呼ばれた。この新しい学流の先駆者の一人はJ.ニーダムであるが,彼は後年大転向して中国の科学史の研究の権威者として有名になった。
20世紀後半の生化学や生物物理学の進歩はめざましく,発生の研究の技術としてどんどん駆使されるようになってきたので,発生の研究に生化学的方法など,形態学以外の方法を導入することは,現在の発生学の研究では当然のこととなってきたので,発生生化学というような呼称は消滅している。
発生を物質の変化として追究するために,遺伝子組換えの技術の駆使は,すでに絶大な成果をあげているが,今後もますます期待できるものである。この研究技術の導入によって,発生の変化は窮極的には遺伝子の発現の調節に帰せられるものであるという論拠はますます強固になりつつある。とくに最近では,ゲーリングW.Gehringらによって動物の体の体節区分とか前後軸といったような巨視的な形態の成立をきめる遺伝子が次々と単離され,その塩基配列の決定も行われていて,先人がかつて夢みてきた,発生における生物の形の変化の原因を物質に求める方向への研究は,盛んになってきたのである。
発生学は,発生学に固有の重要な研究方法もおおいに開発してきた。生物学の歴史において,生きている生物体を操作することを研究の方法としたのは,発生学が最も古く,ここに発生学のユニークさがうかがわれる。例えば,生きている若い胚を2分してそれぞれを育てたり,発生中の胚の一部を除いて残部の発生を調べたり,あるいは除いた一部を試験管の中に培養したりするような研究技術は,発生学の固有のものである。さらに異なった生物個体の間で,組織の1片を移植してキメラを作る方法など,発生学が確立し,かつ最も広範に駆使してきたものである。こうした移植実験は1個の細胞の内部にまで及び,ある細胞から核だけを取り出し,代りに別の細胞の核を入れる核移植の技術のごとき,発生学の分野ですでに1930年代から試みられていた。
発生学は本来,学問的な興味のみを動機として生まれてきた分野であって,応用上の関心は伝統的になかった。この点,同じ生物学の中でも,例えば遺伝学が育種といったような応用面の問題と,必然的なつながりをもってきたのとは異なっている。しかし,ごく近年になって発生学と応用面との接点が注目され始めた。例えば,植物の細胞を培養して,1個の完全な植物体を作らせる研究は,いわば多数のクローン植物を一挙に得る技術となるのであって,植物生産の新しい方法としてバイオテクノロジー(生物工学)の中の重要な一翼を担うことになってきた。
発生学の研究の成果が,広い意味で応用価値をもち,応用指向から出発した学問にも貢献できる可能性は,1970年代になってタルコフスキーA.Tarkowsky,マックラレンA.MacLaren,ミンツB.Mintzらの先駆的な努力によって,哺乳類についての発生学の研究が急速に進んだことによって,とりわけ強く認識されるようになってきた。例えば,ウニやイモリで発生初期の胚を2分して2匹の一卵性双生児(クローンである)の得られることは,20世紀の初頭から知られてきた発生学の基本的知見であるが,近年になってこの実験は哺乳類についても成功した。その結果,こうした実験をはじめとした発生学の固有の諸技術が家畜生産などの新しいテクノロジーとしての価値をもっていることが指摘され始めたのである。
発生学と医学上の諸研究との接点は,今やひじょうに広いものであって,発生学そのものの新しい発展がこうした面からも期待されるような状況にある。それらは臨床治療の面には及んでいないが,重要な疾病の原因の解明のために発生学と一体となった基礎医学の研究を生みつつある。一例として,キメラの利用がある。あるヒトの遺伝的疾患のモデルとなるマウスの胚を用いて,これと正常なマウスの胚とを合一させてキメラのマウスを育てる。こうしたキメラについて,どのような場合に疾患が発症するかを調べることによって,疾患遺伝子が実際に発現するには発生の過程で,他の細胞との一連の相互関係の存在することを明らかにすることができ,基礎医学上の問題の解明に新しいアプローチを提供しつつあるのである。
執筆者:岡田 節人
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生物の個体発生を研究する学問であるが、これに含まれる分野は現在非常に広いものとなっている。発生学は最初さまざまの動物の発生過程の形態的観察とその記載をする学問であった(記載発生学)。発生の初期にある胚(はい)は微小なものであるから、研究の進展は当時の顕微鏡の発達に負うところが大きい。また、海産動物の卵など卵生のものを用いることによって、形態学的研究はきわめて詳しく行われるに至った。
やがて19世紀になると、種々の動物の発生過程が比較されるようになる(比較発生学)。動物の発生過程には、種類が違えば異なっている部分と、共通にみられる部分とがあることがわかってきた。たとえば、すべての動物が発生の途中でかならず胞胚の時期を経る。こういうことから、個体の発生はある歴史的な過程を反映しているものであるという考えが生まれた。その一つにE・H・ヘッケルの有名な反復説がある。個体発生は系統発生の短縮された反復である、というのがその主張である。幼生の形態や相同器官などの研究から、生物の進化についての考察が深まり、進化論を推進することとなった。
20世紀に入ると、胚を観察するばかりでなく実験的操作を加えてその結果を調べ、発生過程のなかでの原因と結果とを明らかにしようとする動きが始まった。その始まりはW・ルーで、実験発生学の祖といわれる。この時代に両生類の胚を細いガラス針や毛髪のループ(輪)などを使って自在に切り出したり植え込んだりする技術が確立された。胚の各部分が自身では何に分化しうるのか、他に対してはどのような働きかけをしているのか、などが当時の主要な命題であったが(発生機構学とよぶことがある)、シュペーマンは、原口上唇を切り出してほかの胚に植え込むと、その胚には本来の胚のほかに余分にもう1個の胚を生ずること、それはまったく植え込まれた原口上唇の働きによることをみいだし、この部分を形成体と名づけた。これに端を発して、胚の発生を一連の誘導連鎖としてとらえる見方が確立した。
さらに最近に至って、細胞についての知見が飛躍的に増加し、加えて生物物理化学、分子生物学も急速に発展したため、発生学はふたたび変貌(へんぼう)しようとしている。たとえば、胚を細胞の社会集団としてとらえ、そこでの情報のやりとりを解析して有機体としての個体の形成の仕組みに迫ろうとするものなどは、その一つである。
[木下清一郎]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…顕微鏡による観察ではR.フックの《ミクログラフィア》(1665)があり,A.vanレーウェンフックの活動も17世紀後半であった。 18世紀になると,後生説をとなえたC.F.ウォルフ,多能の実験家であったL.スパランツァーニ,前生説論者でアリマキの単為生殖を見いだしたC.ボネなど,発生学の研究が目だつようになる。A.トランブレーがヒドラの再生実験を行って,動植物の区別について議論を引き起こしたのも,またリンネが種の固定不変を信じながら,現実にみる種の可変性に悩まされたのも,18世紀のただ中のことであった。…
※「発生学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加