ドイツの劇作家。ライン地方のブドウ酒商の息子で,第1次大戦に従軍後,大学で自然科学を学ぶかたわら,社会主義運動に参加。その後,演出助手や文芸部員として各地を渡り歩き,ラインハルトのベルリン・ドイツ座に雇われ,ブレヒトの同僚だったこともある。1925年,民衆喜劇《楽しいブドウ山》を発表すると,そこに描かれた奔放な性の謳歌を織りまぜる民衆生活の素朴な哀歓が,表現主義演劇の抽象的な絶叫に飽きた観客を魅了し,大当りをとった。翌年ザルツブルク近郊に定住後は,《シンダーハネス》(1927),《カタリーナ・クニー》(1929),さらに31年には,軍服に象徴される権力への盲従を風刺した《ケーペニックの大尉》の上演が大成功。だが,母方がユダヤ系であったため,ナチスの迫害をうけ,38年にスイスを経てアメリカに亡命。46年に,良心の呵責を抱きつつもナチスに加担した軍人の悲劇を扱う《悪魔の将軍》がスイスで上演され,再び人気作家となった。その後,原爆問題を主題にした《冷たい光》(1955)などを発表。58年以降はスイスに滞在。作品の多くは,時事劇の形式をとりつつも,目指すものは,時代を超越した普遍的宥和的な人間像であり,74年に発表された《ハーメルンの笛吹き》にしても同様で,メシア待望のモティーフがうかがわれる。その点,可変的な人間像を描くブレヒトとよく対比される。
執筆者:小島 康男
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ドイツの劇作家。ライン・ヘッセン州のナッケンハイムにぶどう酒醸造業者の子として生まれる。第一次世界大戦に従軍したのち、1920年ころから演劇活動に入った。故郷の自然と生活をユーモアとバイタリティーに満ちた筆致で描いた戯曲『楽しい葡萄(ぶどう)山』(1925)は、都会的、前衛的な表現主義劇に倦(う)んだ人々に好評をもって迎えられ、彼の出世作となった。その後『シンダーハネス』(1927)、『カタリーナ・クニー』(1928)のような民衆劇風な作品や、痛烈な社会風刺劇『ケーペニックの大尉』(1931)を発表するかたわら、小説や映画シナリオにも手を染めるなど多才ぶりを発揮した。1920年代なかばからオーストリアのザルツブルク近郊に居を定めていたが、39年にアメリカに亡命して農場を経営した。第二次大戦後ヨーロッパに帰り、ナチス時代のドイツ軍人の悲劇を描いた『悪魔の将軍』(1946)で大成功を収め、引き続き、フランスのレジスタンス運動を題材にした『殉難の歌』(1950)、原子力研究者を主人公にした『冷たい光』(1955)など、時局的なテーマを扱った戯曲を発表している。
[山口知三]
『加藤衛訳『たのしいぶどう山』(『現代世界戯曲全集2』所収・1952・白水社)』
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