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テレマン テレマンTelemann, Georg Philipp

6件 の用語解説(テレマンの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

テレマン
テレマン
Telemann, Georg Philipp

[生]1681.3.14. マクデブルク
[没]1767.6.25. ハンブルク
ドイツの作曲家。 1701年法律を学ぶためライプチヒ大学に入学したが,音楽の才能が認められるようになり,新教会のオルガン奏者となった。 04年ゾーラウのプロムニッツ伯の楽長。のちアイゼナハの楽長となり,そこでバッハと知合った。

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デジタル大辞泉の解説

テレマン(Georg Philipp Telemann)

[1681~1767]ドイツの作曲家。カンタータ・受難曲・オペラ管弦楽組曲室内楽曲など、多くの分野に作品を残した。器楽曲集「食卓の音楽」など。

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百科事典マイペディアの解説

テレマン

ドイツの作曲家。J.S.バッハ同時代人で,生前はバッハをはるかにしのぐ名声を保った。生地マクデブルクなどで初期の教育を受け,ライプチヒ大学在学中の1704年,新教会のオルガン奏者兼音楽監督に就任。
→関連項目バッハ

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世界大百科事典 第2版の解説

テレマン【Georg Philipp Telemann】

1681‐1767
ドイツ・バロックの代表的作曲家のひとり。マクデブルクに生まれる。J.S.バッハの同時代者で,生前はバッハをしのぐ名声を得た。マクデブルク,ヒルデスハイムなどで教育を受けた後は,1701年にライプチヒ大学に入学。この在学中に学生の演奏団体コレギウム・ムシクムを組織したり,新教会のオルガニスト兼音楽監督に就任したりした。1704年にライプチヒをはなれ,ゾーラウ(現在ポーランドジャリ),アイゼナハ,フランクフルトなどの宮廷楽長を歴任。

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大辞林 第三版の解説

テレマン【Georg Philipp Telemann】

1681~1767) ドイツの作曲家。バロック音楽の代表的作曲家の一人。ドイツ風の多声的構成感とイタリア風の優美な旋律を巧みに織り合わせ、オペラ・協奏曲・室内楽など宗教音楽と世俗音楽の両分野に多くの作品を残した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

テレマン
てれまん
Georg Philipp Telemann
(1681―1767)

ドイツ・バロックの作曲家。当時はバッハ以上の人気を誇り、ドイツ最高の作曲家とみなされていた。3月14日、中部ドイツ、マクデブルクの牧師の子に生まれたが、4歳で父を亡くし、女手ひとつで育てられた。故郷のカントルに手ほどきを受けたほかは独学で音楽を学び、12歳でオペラを作曲するほどの早熟ぶりだったが、将来を危ぶんだ家族に以後音楽を禁じられ、ツェラーフェルト、ヒルデスハイムへと転校させられた。しかしいずれも師の理解を得てひそかに音楽を続けたテレマンは、1701年、母の望みに従い、ライプツィヒ大学で法律を学ぶこととなる。ところがライプツィヒではたちまち作曲家として頭角を現し、学生ながらクーナウと並び称される音楽家として、教会音楽、オペラ、さらに自ら創設した学生音楽団体コレギウム・ムジクムの演奏と、華々しい活躍を示した。05年ゾーラウ(現ポーランドのジャリ)宮廷楽長となり、リュリカンプラの器楽を知ったほか、ポーランドの民俗音楽に触れる機会も得た。
 1708年、宮廷楽長としてアイゼナハに移り、当時ワイマール宮廷オルガン奏者だったバッハと親交を結んでいる。12年フランクフルト跣足(せんそく)教会楽長となり、やがて同市音楽監督に昇進。当時作曲したブローケスの歌詞に基づいた受難曲は、彼の名声を大いに高めたものである。21年ハンブルクに移り、同市の教会音楽監督となったテレマンは、翌22年ハンブルク・オペラの監督を兼務し、国際的な名声を確立した。器楽曲集『食卓の音楽』(1733刊)の予約注文は、ドイツ各地にとどまらず、北欧、ロシア、イギリス、フランスからも寄せられるほどだった。ゾーラウ時代以来、約1000曲の管弦楽組曲、膨大な数のカンタータ、受難曲、オラトリオ、さらに『ピンピノーネ』(1725初演)に代表されるオペラなど、驚くべき多作を誇るテレマンは、また、3種の自伝を残す、機知に富んだ文筆家でもあった。67年6月25日ハンブルクに没。[樋口隆一]
『K・グレーベ著、服部幸三・牧マリ子訳『テレマン――生涯と作品』(1981・音楽之友社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のテレマンの言及

【バッハ】より

…物質的にも精神的にも恵まれた生活を反映するかのように,ケーテン時代の作品には生命の喜びが躍動している。
[後期(1723‐50)]
 1722年6月,ザクセンの大都市ライプチヒではトーマス教会カントルの大作曲家J.クーナウが没し,後任としてハンブルクの音楽監督テレマンやダルムシュタットの宮廷楽長グラウプナーChristoph Graupner(1683‐1760)らが候補に上がった。しかし彼らが就任を拒否したため,市参事会は〈最良の人物が得られない以上,中庸な者でがまんしなければなるまい〉と言って,23年4月にバッハの採用を決定した。…

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