カントル(読み)かんとる(英語表記)Georg Cantor

デジタル大辞泉 「カントル」の意味・読み・例文・類語

カントル(Georg Cantor)

[1845~1918]ドイツの数学者。三角関数の級数の研究から出発し、集合論を創始。個数概念の拡張として無限集合の濃度の概念を導入して理論を展開。また、位相学の基礎を築いた。

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精選版 日本国語大辞典 「カントル」の意味・読み・例文・類語

カントル

  1. ( Georg Cantor ゲオルク━ ) ドイツの数学者。三角函数の級数の研究から集合論を創始。また、位相空間論の基礎を築いた。(一八四五‐一九一八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カントル」の意味・わかりやすい解説

カントル(Georg Cantor)
かんとる
Georg Cantor
(1845―1918)

ドイツの哲学的数学者。デンマーク系ユダヤ人の子で、ロシア生まれであるが、11歳以降ドイツに移住。ハレ大学教授。デーデキントとともに集合論の創始者とされる。ドイツ数学者協会、国際数学者会議の発足にも貢献。母系に音楽家や宗教家が多く、彼の集合論にしばしばみられるロマン的、形而上(けいじじょう)学的性格はそれと無縁ではあるまい。これに対してデーデキントの集合論は、より数学的、論理的である。

 カントルはベルリン大学でクンマークロネッカー(整数論)、ワイアシュトラース(解析学)などに学び、卒業論文(1867)、就職論文(1869)の主題はともに整数論であったが、付記された討論主題にはすでに哲学的傾向がうかがわれる。

 集合論建設の誘因は1872年以降のデーデキントとの交際であるが、その集合論の発端は解析学的で、リーマンの三角級数論の改良途上で案出された有理数の基本列による無理数論と、位相数学の一源流たる点集合論であり(1872)、ついで超越数(整数係数の代数方程式の根となる代数的数以外の実数、複素数)の存在なる数論的問題に与えた、一つの証明である(1874)。これは、エルミートが前年(1873)に与えた(eの超越性の)整数論的証明に対し、集合論的証明法の最初の例で、代数的数の全体は自然数全体と1対1に対応させうる(可算集合)が、実数全体はどんな可算集合とも1対1に対応できないことを示し、超越数の存在を間接に示す論法である。ただしこの論法は、旧師クロネッカーなどの指導的数学者の反発をかった。一方、カントルは「集合理論への寄与」(1878)で意識的に集合論建設を企て始め、まず個数概念の拡張として無限集合の濃度の概念を導入し、可算濃度と(実数全体の)連続体濃度とを区別した。さらに直線上の点全体と平面ないしn次元ユークリッド空間の点全体とがともに連続体濃度をもつことを証明し(デーデキントの助言あり)、また可算濃度と連続体濃度の中間に別の濃度があるかという(狭義の)連続体問題を提起した。

 カントル的集合論の真の成立は1883年で、その対象が個体として存在する無限者(実無限)であり、極限算法limにおける変化する有限(生成的無限)とは本質的に異なることが前面に打ち出される。すなわち、点集合論で導入されていた、「無限大」(∞、後のω)を超えて「超無限的」にのびる既約的な記号系列を、「超限順序数」なる実無限的「存在」の列として定義し、濃度も、この列の処々に生ずる飛躍的な節目(ふしめ)にあたる順序数として、それを「超限基数(アレフ数)」とよんだ。さらに、連続体濃度より大きい濃度が無数にあることを示して、壮麗な数学的無限理論を展開しようとした。しかし任意に与えられた濃度が、本当にアレフ数のなかにみいだされるか(濃度の比較可能性)の問題と、連続体濃度が可算濃度の次の濃度だとする連続体仮説の当否を問う(広義の)連続体問題は残った。彼は対角線論法の導入(1890)を経て、デーデキント的構成を目ざした集合理論の整備を進めたが(1895~1897)、それらの問題に本質的進展は得られなかった。濃度比較の問題は、選択公理の前提の下でツェルメロによりいちおう解決されたが(1904)、連続体問題は極度の難問で、公理的集合論のなかでゲーデル(1940)、コーヘンPaul J. Cohen(1934―2007)(1963)らの手で推進されて今日に至っている。現在では、公理化された集合論のなかで、選択公理と連続体仮説は他の公理と独立な命題であることが知られている。

 この間、カントルの革命的な考え方は、まず当時の指導的数学者の反対にあい、さらに、いわゆる集合論の逆理の発見があって、集合論の苦難の日がしばらく続いた。しかしヒルベルトを中心とする若い世代は集合論の意義を認め、一方で、集合概念を適当に規制する公理的集合論や、より広く数学全般の真理性の根拠などを問う数学基礎論を形づくるとともに、集合概念を数学的存在の基礎とし、それに数学的構造を与える形で数学の理論を構築する考え方が固まってきた。後者は現代数学の基本線であるが、ただしデーデキントの思想線上のもので、カントルの考えとはいえない。

 カントルは晩年、哲学・神学的傾向を強めた。とくに実無限の概念は、ライプニッツの哲学、スコラ哲学からさかのぼって、プラトン哲学やアリストテレス哲学にも関係をもつため、哲学者や神学者との多くの論争を招いた。彼が提示したのは、数学を形而上学のうえに基礎づけるとともに、多数の元からなる1個のものたる集合概念によって、「一と多」に関する古代以来の哲学的問題に決着をつけようという壮大な構想であった。しかしその構想は、事実上それ以上に展開されず、彼のこの方面の考え方は現在ほぼ忘れ去られている。現代数学における集合論の意義も、上記のとおり、実際にはデーデキントの思想の線上にあり、加えてカントル自身もデーデキントの影響を受けた面がある。しかしその反面、現代数学の集合一元論的性格は、スコラ哲学における普遍論争での普遍者(ユニバーサリア)の現代的形態ともいえるものであり、現代数学がいかなる無限集合をも恐れることなく用いている背後には、カントルのつくりだした、無限に関する存在論が根底的に働いているといえよう。その業績は、ツェルメロ編『Gesammelte Abhandlungen』(1937)に収められている。

[村田 全]

『G・カントル著、功力金二郎・村田全訳『カントル・超限集合論』(1979・共立出版)』『彌永昌吉著『現代数学の基礎概念 上』(1944・弘文堂)』『竹之内脩著『集合・位相』(1970・筑摩書房)』『伊東俊太郎・原亨吉・村田全著『数学史』(1975・筑摩書房)』『村田全著『数学史の世界』(1977・玉川大学出版部)』


カントル(Moritz Benedict Cantor)
かんとる
Moritz Benedict Cantor
(1829―1920)

ドイツの数学者、数学史家。マンハイムに生まれる。ハイデルベルク大学で学び、在学中にガウスやディリクレの指導を受けた。1863年にハイデルベルク大学の数学教授に就任、1913年に引退。数学史に関する論文は1856年に登場したが、名著『数学史講義』Vorlesungen über Geschichte der Mathematikの第1巻が世に出たのは1880年である。その後1894年に第3巻が公刊され、1908年に第4巻が出版されたが、これはドイツ、イタリア、ロシア、アメリカの学者の共著で、1799年までの数学が語られたものである。

[小堀 憲]


カントル(Tadeusz Kantor)
かんとる
Tadeusz Kantor
(1915―1990)

ポーランドの演出家、画家、舞台美術家。1939年クラクフ国立美術大学を終え、ナチス占領下の同市で地下実験演劇を組織し、スウォワツキ作『バラディーナ』などを上演した。画家としては、隠喩(いんゆ)的、シュルレアリスム的な構成から抽象化へと向かったが、評価は国内にとどまっている。演出家としては、国外での活動が著しく、とくに75年の自作『死の学級』による成功で世界的評価を受けた。彼の舞台は大戦間のアバンギャルド芸術の名残(なごり)をとどめ、20世紀末のヨーロッパ劇界にあって異彩を放っている。82年(昭和57)夏に来日公演をし、大きな反響をよんだ。

[山田正明]

『カントール著、松本小四郎・鴻英良訳『死の演劇』(1983・パルコ出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「カントル」の意味・わかりやすい解説

カントル
Georg Cantor
生没年:1845-1918

ドイツの数学者。デンマークの富裕な商人の子として,ペテルブルグに生まれ,ドイツ,スイスの大学に学び,ベルリン大学で学位を得,1879年ハレ大学の教授となった。1872年に三角級数論に関する論文で実数,集積点,導来集合を定義し,集合論的位相幾何学への道を開いた。しかし彼の名は集合論の創始者として,よりよく知られている。74年の研究で無限集合の元の数(濃度)を定義し,有理数よりも実数のほうが多いこと,その後直線の点の数は平面の点の数に等しいことを証明し,当時の数学界を驚かせた。可算集合,計量数,順序数など集合論の基礎概念は彼に負うものである。彼の考えは当時あまりにも新奇なもので,批判的立場の学者も多かった。これに対し,彼が〈数学の本質はその自由にある〉といって弁護したのは有名な話である。しかし集合の考えを無限に推し進めて,すべての集合の集合を考えると,矛盾が生ずるのであるが,集合とクラスを区別して組み立てた公理論的集合論の立場ではこの矛盾は解消する。カントルが提出した有名な仮設〈実数の数と自然数の数との間の濃度は存在しない〉は長く未解決であったが,公理論的集合論の立場からK.ゲーデル,P.J.コーエンによって,この仮設は集合論の公理と独立であるということが示され,解決を見た。集合論の現代数学への影響は甚大で,現在では数学全分野が集合論の言葉で書きかえられ,そのため従来直観的に把握されていた諸概念が透明な形で定式化され,数学が著しく理解しやすくなったのである。
執筆者:


カントル
cantor[ラテン]
Kantor[ドイツ]

本来はラテン語で〈歌い手〉を意味する。ローマ・カトリック教会の礼拝においては,聖歌隊(スコラschola)のリーダーとして先唱し,また独唱する歌い手を指す。たとえばグレゴリオ聖歌によるミサ聖祭のグローリア(栄光の賛歌)では,最初の句〈天のいと高きところには,神に栄光〉を独唱するのはカントルの役割であり,〈地には,善意の人に平和あれ〉以下は,聖歌隊が斉唱する。そこから転義して,教会音楽の学院の長をも指す。

 ルター派ドイツ福音主義教会においては,カントルは歌い手よりむしろ作曲家,指揮者,教育者であった。カントルは教会付属学校の音楽の教師をつとめ,そこで指導し育成した生徒たちを中心とするカントライKantorei(児童声を含む合唱隊と器楽奏者からなる聖歌隊)を組織して礼拝に参加した。16世紀から18世紀にかけてのドイツ福音主義教会の音楽の興隆は,このカントルの職制とカントライの伝統を抜きにしては語ることができない。歴史上とくに有名な人物は,ライプチヒ市聖トーマス・カントルであったJ.S.バッハとハンブルク市聖ヨハネ・カントルであったテレマンである。
執筆者:


カントル
Tadeusz Kantor
生没年:1915-90

ポーランドの演出家,美術家。1939年クラクフの美術学校卒。第2次大戦中,占領当局の目をかすめて実験演劇を展開した反骨は,56年同市で〈新時代美術家グループ〉の結成と実験劇場〈クリコCricot 2〉の創設に結実する。65-69年にかけ東欧圏で空前絶後のハプニング劇七つを手がけたあと,B.シュルツ,ビトキエビチらの作品に想をえた前衛劇《死の教室》により70年代後半に世界的注視を浴びた。82,90年日本で公演。ダダイストを自認していた。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「カントル」の意味・わかりやすい解説

カントル

ドイツの数学者。集合論の創始者。ペテルブルグに生まれ,1856年ドイツへ移住,1879年ハレ大学教授。1872年三角級数の研究から実数,集積点,導来集合などの概念を確立し集合論の基礎をつくる。1874年可算集合の概念を導入,超越数が代数的数より多いことを証明。以後濃度・順序数などの概念を導入して集合論を系統的に展開。
→関連項目数学基礎論

カントル

ポーランドの演出家,美術家。第2次大戦中から占領軍の目をかすめ実験演劇を展開。のちに劇団〈クリコ2〉を創設,主宰。1960年代後半には東欧圏で,一連の公開ハプニング劇を手がける。シュルツビトキエビチらの作品に触発され自ら脚本を書いた前衛劇《死の教室》(1975年初演)は,世界的な反響を呼んだ。1982年,1990年に日本公演。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カントル」の意味・わかりやすい解説

カントル
Cantor, Georg Ferdinand Ludwig Philipp

[生]1845.3.3. ペテルブルグ
[没]1918.1.6. ハレ
ドイツの数学者。無限集合論の創始者,解析学,位相数学,数理論理学への貢献者として知られている。チューリヒ,ベルリン,ゲッティンゲンで教育を受ける (1863~66) 。 1867年,整数論の研究で学位を取る。ハレ大学の私講師 (69) ,員外教授 (72) ,正教授 (79) 。フーリエ級数論,無理数論以外に無限についての研究,特に集合論の建設は 19世紀数学の最大の成果の一つとされている。無限集合を一つの対象として考えようとする彼の理論は L.クロネッカーの反対にあった。中年から精神病に悩み,ハレの精神病院でこの世を去った。彼の理論は 20世紀に入ってようやく認められ,その後の数学の発展に多大の影響を与えた。その有名な著書に『超限的集合論の基礎への寄与』 (95~97) がある。

カントル
cantor

「歌手」の意。 (1) カトリックの礼拝で,聖歌隊を指揮し聖歌のソロの部分を歌う者。 (2) イギリス国教会の礼拝で合唱隊が2分されるとき,祭壇に向って左側の合唱者たちを cantoris (複数形) という。 (3) プロテスタント教会では,ギムナジウムや教会付属学校での音楽教授と同時に,教会での音楽的行事一切を司る者 (ライプチヒにおける J.S.バッハ) 。 (4) ユダヤ教礼拝でのソロの歌い手。

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世界大百科事典(旧版)内のカントルの言及

【幾何学】より

…さらに,この過程を通じて,不動点定理などが得られて,数学のほとんど全分野に対する位相幾何学の重要性が認識された。ポアンカレとともにトポロジーの形成に大きな貢献をしたのは集合論の創始者G.カントルである。彼はn次元ユークリッド空間の一般の点集合に対して,集積点,開集合,閉集合などの位相的概念を導入し,点集合論,すなわちユークリッド空間の位相の理論を創始した(1879‐84)。…

【実関数論】より

…また,コーシーの時代には極限の概念は確立していても一様収束の概念がなかったため,いくつかの誤った結果が導かれたが,N.H.アーベルによる一様収束の概念の発見によってそれらの問題点が明確になり,誤りは正された。続いてG.F.B.リーマンは,積分の定義を反省してそれを一般にした論文を発表し(1854),さらにG.カントルは無理数論ならびに集合論を創始した(1872)。 これよりさき,J.B.J.フーリエは熱伝導に関する有名な論文(1812)を書き,すべての関数はいわゆるフーリエ級数で表されることを論じたが,これが解析学に及ぼした影響は大きい。…

【集合論】より

…集合として扱われるものを使った推論。集合という概念を定義することを提案し,有効な理論を打ち立てたのはG.カントルである。カントルは次のように集合を定義した。…

【数学】より

…ヒルベルトはさらに実数を用いて(A,E)の諸命題が成り立つモデルをつくり,(A,E)の無矛盾性を示した。実数論については《ストイケイア》第5巻にもすでに述べられているが,それを完成したのも19世紀の数学者K.ワイヤーシュトラス,R.デデキント,G.カントルらの業績であった。実数論は,彼らによって自然数論に帰着されたが,デデキントやG.ペアノは,集合と写像の考えを用いて自然数論を公理的に構成した。…

【数学基礎論】より

…数学は矛盾のない理論体系と信じられており,諸科学の中でももっとも厳密な論証を誇るものとして,およそそのよって立つ基盤がゆらぐようなことがあろうなどとは考えられなかった。ところが,19世紀末G.カントルによって創設された集合論はまもなく逆理を生じた(パラドックス)。カントル自身が発見した逆理(1899),ブラリ=フォルティの逆理(1897)やラッセルの逆理(1903)がそれである。…

【超越数】より

…1844年,J.リウビルは,は超越数であることを示し,超越数が無限にあることを初めて証明した。その後,G.カントルは集合論を建設し,濃度の概念を用いて超越数は代数的数よりはるかに多いことを77年に示してセンセーションを巻き起こした。しかしながら,具体的に与えられた数が超越数であるかどうかを判定することは今日でもきわめて困難な問題である。…

【ポーランド演劇】より

…戦時中,占領軍の保護下に発足した劇場を総ボイコットした精神は,81年,戒厳令強行に抗する俳優らの出演拒否に再現され,このため当局は〈舞台俳優組合(ZASP)〉を解散させた(1982)。 戦後40年,真にポーランド的な演劇を築いてきた功績は,劇作家S.ムロジェクT.ルジェビチ,演出家A.ワイダ,アクセルErwin Axer(1917‐92),ハヌシュキエビチAdam Hanuszkiewicz(1924‐ ),T.カントルJ.グロトフスキ,俳優ホロウベクGustaw Holoubek(1923‐ ),シフィデルスキJan Świderski(1916‐88),エイフレルブナIrena Eichlerówna(1908‐ ),ミコワイスカHalina Mikołajska(1925‐89),シロンスカAleksandra Śląska(1925‐92),ウォムニツキTadeusz Łomnicki(1927‐92),装置家J.シャイナら多彩をきわめる。彼らが好んで演ずるS.I.ビトキエビチW.ゴンブロビチ(ともに故人)のグロテスク劇の現代批判が演劇の主流であり,国際性もここに存する。…

※「カントル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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