朝日日本歴史人物事典 「ディクソン」の解説 ディクソン 没年:1933.9.27(1933.9.27) 生年:1856.4.20 明治時代の英語教師。スコットランドのペイズリー生まれ。父は長老教会の牧師で,同名のジェイムズ・メイン・ディクソンだが,早く亡くなった。母はジェーン・グレイ。エディンバラ大学,セント・アンドルーズ大学で文学と哲学を学んだ。明治12(1879)年,満23歳で招かれて来日。工部大学校で6年間英語と英文学を講じて,学生だった斎藤秀三郎に多大な影響を与えた。その後の6年間は帝大文科大学で教えた。教え子に岡倉由三郎,夏目漱石。綴り字と文法にきわめて厳格で,日本人学生用に数多くの英語参考書を著した。明治25年離日後は夫人の故郷米国セントルイスのワシントン大学で英文学を教え,また南カリフォルニア大学の東洋学科主任を務めた。ロサンゼルスで死去。子供はいない。<参考文献>小沢明子,鈴木憲子「ジェイムズ・メイン・ディクソン」(『近代文学研究叢書』35巻) (加納孝代) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディクソン」の意味・わかりやすい解説 ディクソンDixon, Richard Watson [生]1833.5.5. ロンドン[没]1900.1.23. ロンドンイギリスの聖職者,詩人。通称 Canon Dixon。ラファエル前派の一員となり機関誌の発刊に参画した。数冊の詩集のほか6巻の大著『イギリス国教会史』A History of the Church of England (1877~1900) がある。詩人 G.M.ホプキンズとの往復書簡も有名。 ディクソンDixon アメリカ合衆国,イリノイ州北部の都市。ロック川沿いに位置する。 1832年には,インディアンの首長ブラック・ホークとの戦いのため,ディクソン砦が築かれた (→ブラック・ホーク戦争 ) 。現在は農業地域の中心地で,種々の軽工業がある。人口1万 5144 (1990) 。 ディクソンDixon, Jeremiah イギリスの測量師。 1763~67年 C.メーソンとともにペンシルバニアとメリーランドの境界を測量。南北戦争前には,この境界線 (→メーソン=ディクソン線 ) がアメリカ合衆国の北部自由州と南部奴隷州の境界を意味するようになった。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ディクソン」の解説 ディクソン Dixon, James Main 1856-1933 イギリスの英語学者。1856年4月20日生まれ。明治12年(1879)来日,工部大学校で英語を教授,斎藤秀三郎らに影響をあたえる。19年から帝国大学の英語学と英文学の教師をつとめ,夏目漱石,岡倉由三郎らをおしえた。25年アメリカにわたった。1933年9月27日死去。77歳。スコットランド出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例