カー(読み)かー(英語表記)Edward Hallett Carr

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カー」の意味・わかりやすい解説

カー(Leroy Carr)
かー
Leroy Carr
(1905―1935)

アメリカのブルース・シンガー、ピアニスト。洗練された都会のブルース、シティ・ブルースを確立した。本来、南部の農業地帯のものであったブルースにのせて、都会における憂愁(ブルー)を表現することで、カーは最初のブルース・モダニストとたたえられた。

 テネシー州ナッシュビルに生まれる。ケンタッキー州ルイビルを経て、インディアナポリスに住みパブリック・スクールに通うが、ピアノを覚えると同時に学校を退学し、中西部から南部を渡り歩いて演奏をする。

 1920年ごろ陸軍に入隊、その前後にはサーカスに入ったり、また密造酒づくりに手を染めたりしていた。28年インディアナポリスでのギタリスト、スクラッパー・ブラックウェルScrapper Blackwell(1903―62)との出会いがカーのミュージシャンとしてのキャリアを決定づけた。同年ブラックウェルとのデュオでボカリオン・レーベルに初のレコーディング。そのとき吹き込んだ「ハウ・ロング、ハウ・ロング・ブルース」は空前のヒットとなり、カーの名は黒人の間にとどろくようになる。それは、苦しい南部の生活から抜け出て都会に出たものの、けっしてそこが天国であったりはしないという現実のなかで、恋人への思いと望郷の念を重ね合わせて歌った甘ずっぱいポピュラー・ブルースであった。ブラックウェルの鋭角的な単弦ギター奏法とカーのピアノの絡みは絶妙で、カーの比較的ライト感覚の哀愁漂うボーカルは、都会で生活する黒人たちの感性に訴えた。カップリングされた「マイ・オウン・ロンサム・ブルース」は、より深いフィーリングをたたえたディープ・ブルースで、両面あわせて、その後のブルースの方向に示唆するところは大きかった。その後大恐慌の時代に入ったが、カーは、最も深刻だった33年を除いてコンスタントにレコーディングを行い、その短い生涯に200曲近い録音を残した。

 代表的な作品には「プリズン・バウンド・ブルース」(1928)、「スロッピー・ドランク・ブルース」(1930)、「ミーン・ミストリーター・ママ」「ハリー・ダウン・サンシャイン」「ブルース・ビフォア・サンライズ」「ホエン・ザ・サン・ゴーズ・ダウン」(いずれも1934)といった叙情性豊かな傑作がある。

 カーの作品の曲名にはしばしば「ドランク」や「リカー」という言葉が出てくるが、実際に酒を好み、アルコール中毒によって、わずか30年弱の一生を終えている。死の直後「リロイ・カーの死」を発表したバンブル・ビー・スリムBumble Bee Slim(1905―68)だけにとどまらず、特にジミー・ラッシングJimmy Rushing(1902―72)やTボーン・ウォーカーといったモダン派のブルース・バンド・シンガーにも強い影響を与えた。

[日暮泰文]

『Samuel ChartersThe Country Blues(1975, Da Capo Press, New York)』『Jeff Todd TitonEarly Downhome Blues(1994, University of North Carolina Press, Chapel Hill)』


カー(Edward Hallett Carr)
かー
Edward Hallett Carr
(1892―1982)

イギリスの歴史家、国際政治学者。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを卒業、1916年外務省に入る。1936年まで外交官として勤務。ウェールズ大学の国際政治学教授(1936~1947)。この間『タイムズ』紙の論説委員(1941~1945)を兼ねた。1948年国連の世界人権宣言の起草委員長を務めた。その後オックスフォード大学で教鞭(きょうべん)をとり、1955年以降は母校トリニティ・カレッジの高級研究員として晩年を過ごした。その数多い著書はほとんどが邦訳され、日本の読者に多大の影響を与えている。外交官時代の著作は『ドストエフスキー』、『浪漫(ろうまん)的亡命者たち』、『カール・マルクス』など社会、革命思想に関するものが多い。『危機の二十年』(1939)は国際政治の研究に学問的基礎を与えたもので、国際政治における「力」の要素を重視し、ユートピア主義と現実主義とを総合する必要を説いた。ほかに国際政治に関する著作には『平和の条件』『ナショナリズムの発展』『西欧世界に対するソビエトの衝撃』『両大戦間における国際関係史』などがあり、また『新しい社会』や『歴史とは何か』は彼のプラグマティックな歴史観をよく示している。早くからロシア史に深い関心を払っていたが、1950年に第1巻を出した『ボリシェビキ革命』に始まる『ソビエト連邦の歴史』全8巻は、彼のライフワークとみるに足る壮大な労作である。

[斉藤 孝]

『井上茂訳『危機の二十年――国際関係研究序説』(1952・岩波書店)』『衛藤瀋吉・斉藤孝訳『両大戦間における国際関係史』(1968・清水弘文堂)』『原田三郎他訳『ソヴェト・ロシア史 ボリシェヴィキ革命 1917―1923 第1~3巻』(1967~1971・みすず書房)』『南塚信吾訳『ソヴェト・ロシア史 一国社会主義 1924―1926 Ⅰ政治・Ⅱ経済』(1974、1977・みすず書房)』『清水幾太郎訳『歴史とは何か』(岩波新書)』


カー(Deborah Kerr)
かー
Deborah Kerr
(1921―2007)

イギリスの映画女優。本名はDeborah Jane Kerr-Trimmer。スコットランドのへレンズバーグ(へレンズバラ)Helensburghに生まれる。バレエ、演技などを学び、ロンドンなどで舞台女優の経験を積む。1940年代から映画に出演。『老兵は死なず』(1943)や『黒水仙』(1947)などの作品で注目されハリウッドに進出、知的美貌と演技力で1950年代を中心に活躍した。

 タイ王宮を舞台にイギリス人家庭教師の役を演じた『王様と私』(1956)は、ミュージカル映画の名作として、また彼女の代表作として広く知られる。その他のおもな作品として『クオ・ヴァディス』(1951)、『ゼンダ城の虜(とりこ)』(1952)、相手役バート・ランカスターとのラブ・シーンが話題になった『地上(ここ)より永遠(とわ)に』(1953)、『めぐり逢い』(1957)、『旅路』(1958)などがある。『王様と私』など6作品でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。晩年はパーキンソン病を患い、イギリス東部のサフォークで死去。

[編集部]


カー(John Dickson Carr)
かー
John Dickson Carr
(1906―1977)

アメリカの推理作家。ペンシルベニア州生まれ。カー・ディクスンCarr Dicksonおよびカーター・ディクスンCarter Dicksonの名も使用した。父親(弁護士、下院議員)の影響で法律の勉強を志したが、ジャーナリスト志望に転じ、パリへ遊学して歴史小説の習作に明け暮れたあと、アメリカへ戻り、長編推理の第一作『夜歩く』(1930)を書き上げてから本格的な作家活動に入った。1931年イギリス女性と結婚、48年帰米するまでイギリスで筆をとった。処女作をはじめ『魔女の隠れ家』(1933)、『火刑法廷』(1937)、『ユダの窓』(1938)など初期の作品から『皇帝の嗅煙草(かぎたばこ)入れ』(1942)など中期にかけては、犯人の出入り不可能な密室殺人や人間消失など、常識では解決できない不可能犯罪を主題にした謎(なぞ)解きの傑作が多い。『ビロードの悪魔』(1951)のころからはしだいに歴史ものの色が濃くなり、怪奇、恋、冒険、歴史ロマンに手の込んだ謎解きを盛り込んだ本格的探偵小説の新境地が開かれている。これら約70編の長編のほか、数冊の短編集もある。名探偵としてフェル博士、チャーチルに似ているといわれるヘンリー・メリベル卿(きょう)などを活躍させた。そのほかコナン・ドイルの詳細な伝記『コナン・ドイル卿の生涯』(1949)がある。

[梶 龍雄]

『『世界推理名作全集6』(1969・中央公論社)』


カー(John Kerr)
かー
John Kerr
(1824―1907)

イギリス(スコットランド)の物理学者。1841~1849年グラスゴー大学で物理学を修め、とくにW・トムソン(ケルビン)の下で実験に従事して才能を示した。しかし、独立教会派の神学校に転じ、聖職者にはならなかったが、グラスゴーの同派の師範学校の数学教師となり(1857)、44年間在職した。このような条件下における研究活動であったが、磁場のかかった媒質中での光の偏光面の回転や、磁極で反射した平面偏光波の楕円(だえん)偏光への変容など、彼の名を冠して「カー効果」とよばれる現象を発見し、電磁場と物質の相互作用の研究の先駆者の一人となった。1890年王立協会会員に選ばれた。教科書や教育に関する著書も多い。

[後藤邦夫]


カー(Gary Karr)
かー
Gary Karr
(1941― )

アメリカのコントラバス奏者。ロサンゼルス生まれ。7代にわたるコントラバス奏者の家系の出で、少年時代から英才教育を受けた。南カリフォルニア大学とジュリアード音楽学校で学ぶ。バーンスタインに認められ、1962年ニューヨークでデビュー。以来、どのオーケストラにも所属せず独奏活動に専念。80年(昭和55)初来日。コントラバスを大型チェロのように軽々と弾きこなし、この楽器を独奏楽器と認めさせるのに大きな役割を果たした。

[岩井宏之]


カー(古代エジプト)
かー
Ka

古代エジプトで、人間の七つの部分の一つとしての精神的存在を意味し、しばしば両手をあげた形の象形文字で表される。これは鳥の姿をした霊魂バーとは別のもので、人間にとって「自己の分身」とみなされた。王などの有力な死者のカーのためには特別の墓室がつくられ、そこにはそのカーの像が納められていることが多い。しかも王たちは、その名前に自己のカーの名を書き加え、カーに対して特別の配慮を払うのが常であった。『死者の書』などにたびたび言及されているが、その実態はかならずしも明らかではない。

[矢島文夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カー」の意味・わかりやすい解説

カー
Carr, Edward Hallett

[生]1892.6.28. ロンドン
[没]1982.11.3. ケンブリッジ
イギリスの歴史家,国際政治学者。 1916年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ卒業後,外務省に入り 36年まで勤務。退官後は,ウェールズ大学の国際政治学教授として 47年まで在任,53~55年オックスフォードのベリオール・カレッジで政治学を講じ,55年母校の特別研究員。この間,39~40年情報省対外広報局長,41~46年『タイムズ』論説副主幹,48年国連世界人権宣言起草委員会委員長を歴任,実務的な活動も行なった。その研究は『ドストエフスキー』 Dostoevsky,a new biography (1931) ,『カルル・マルクス』 Karl Marx (34) ,『バクーニン』 Michael Bakunin (37) などロシアを中心とする思想家の伝記から始り,30年末以降は『危機の二十年-国際関係研究序説』 The Twenty Years' Crisis -An Introduction to the Study of International Relations (39) ,『ナショナリズムの発展』 Nationalism and After (45) ,『両大戦間における国際関係史』A Study of Foreign Policy from Versailles to the Outbreak of War (47) ,『西欧を衝くソ連』 The Soviet Impact on the Western World (46) ,『革命の研究』 Studies in Revolution (50) ,『新しい社会』 The New Society (51) など国際政治に関する著作が多く,50年からは『ボリシェヴィキ革命-1917-23』 The Bolshevik Revolution 1917-1923 (3巻,50~53) をはじめとする膨大なソビエト・ロシア史を刊行している。その歴史観は,61年の『歴史とは何か』 What is History?に要約されており,「歴史は過去と現在との対話である」と繰返し説き,不断に動く世界に対する感覚を失わないよう警告している。国際政治学に関する研究では,国際政治の理論と現実を巧みに分析総合している。

カー
Kerr, Deborah

[生]1921.9.30. ヘレンズバラ
[没]2007.10.16. サフォーク
イギリスの映画・舞台女優。本名 Deborah Jane Kerr-Trimmer。アメリカ合衆国の映画界に多大な貢献をした。おばが運営するブリストルの演劇学校でダンスを学んだのち,サドラーズ・ウェルズ・バレエ学校の奨学生となった。17歳のときロンドンでバレリーナとして初舞台を踏んだが,演劇に関心をいだいてシェークスピア劇の公演で端役を演じるようになった。1941年イギリスで映画デビューを果たし,『黒水仙』Black Narcissus(1947)で主役の座を射止めた。その名演が高く評価され,ハリウッド映画界に進出。フレッド・ジンネマン監督の『地上(ここ)より永遠に』From Here to Eternity(1953)では不倫に走る肉感的な軍人の妻役に挑戦し,相手役のバート・ランカスターと浜辺で交わるシーンはハリウッド映画史上に残る名場面となった。アカデミー賞では合計 6回主演女優賞候補になり,1993年アカデミー賞名誉賞を受賞。1997年大英帝国三等勲功章 CBEを授与された。

カー
Carr, John Dickson

[生]1906. ペンシルバニア,ユニオンタウン
[没]1977.2.27. サウスカロライナ,グリーンビル
アメリカの推理小説作家。カー・ディクソン,カーター・ディクソンの筆名も用いる。高等学校時代から推理小説を書き,ペンシルバニア州のハバフォード大学を卒業して,パリに遊学。処女作『夜歩く』 It Walks by Night (1930) が好評を博し,以後英米両国で活躍,フェル博士,ヘンリー・メリベール卿など不滅の探偵像を創造した。代表作に『帽子収集狂事件』 The Mad Hatter Mystery (33) ,『黒死荘殺人事件』 The Plague Court Murders (34) ,『皇帝の嗅ぎ煙草入れ』 The Emperor's Snuff-Box (42) があり,怪奇仕立てのものや密室殺人を扱う本格推理小説が多い。

カー
Kerr, Hugh Thomson

[生]1909.7.1. シカゴ
[没]1992.3.27. プリンストン
アメリカの長老派教会牧師。ルイビル長老派神学校組織神学私講師 (1936~40) ,その後プリンストン神学大学組織神学教授を務める。"Theology Today"誌の編集者。『キリスト教綱要抄』 Compend of Calvin's Institute (1939) と『ルター神学概論』 Compend of Luther's Theology (1943) を編集。主著は"Positive Protestantism; An Interpretation of the Gospel" (1950) 。

カー
ka

古代エジプト人がバー (バイ) とともに信じていた目に見えない人間の「生命力」あるいは精神を構成する一要素。しかし不明な部分が多く,はっきり規定することはむずかしい。人間は死んでもカーは遺体が保存されているかぎり生き続けるとされ,そのためエジプト人は遺体をミイラとして保存し,さらに墓の中に死者の生前の姿を写した彫像 (カー像) を安置した。墓には偽扉が取付けられ,カーはこの見せかけの扉を通って供物を受けることができると考えた。

カー
Kerr, John

[生]1824.12.17. エアシャー,アードロッサン
[没]1907.8.18. グラスゴー
イギリスの物理学者。グラスゴー大学で神学を修め,グラスゴーの師範学校の数学講師 (1875) 。「カー効果」で知られる。ロンドン・ロイヤル・ソサエティ会員 (90) 。主著『力学要論』 Elementary Treatise on Rational Mechanics (67) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報