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ディレーン Delane, John Thadeus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ディレーン
Delane, John Thadeus

[生]1817.10.11. ロンドン
[没]1879.11.22. アスコットヒース
イギリスの新聞人。 1841~77年『ロンドン・タイムズ』の編集局長をつとめ,不偏不党の高級紙としての基礎を築いた。前任者の T.バーンズが「書く編集長」であったのに対して,『タイムズ』の影響力を背景に有力政治家と対等につき合い,情報交換を行うが決して表面にでないという最初の近代的な編集担当重役であったといわれた。特に政府高官筋の秘密情報を入手する抜群の才能があった。新聞の第一の義務は,「正確なニュースを早く獲得し,ただちに公表することによって国民共有の財産にすることである」というのが彼の考え方であった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ディレーン【John Thadeus Delane】

1817‐79
《タイムズ》紙の黄金時代の編集長。ロンドンに生まれる。父は弁護士で,《タイムズ》紙の財政顧問を務めていた。幼時より同紙社主ウォルター家と交際がありオックスフォード大学卒業後,1841年,23歳の若さで編集長となり,以後36年間,穀物法廃止など中産階級の政治的支配力の拡大に貢献するなど筆陣を張り,同紙を19世紀後半の大英帝国を代表する新聞に成長させた。《タイムズ》の影響力を背景に有力政治家と対等につき合い,情報交換をしていたが,個人としては表に出ることを極度に避け,近代的エディターの慣行を確立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ディレーン
でぃれーん
John Thadeus Delane
(1817―1879)

イギリスの新聞編集者。ロンドンに生まれ、1839年オックスフォード大学を卒業。在学中から記者修業をしたあと、『タイムズ』紙に入社して議会報道を担当、1841年、名編集長バーンズの死後、23歳で編集長となった。自ら社説を書くことは少なかったが、有能な記者を集めて指導することに優れ、政界の有力者と親しく交わって、穀物法の廃止をはじめ、多くの特ダネを報道することに成功した。自由主義者ではあったが、党派に偏せず、むしろ調停役をつとめた。クリミア戦争に際しては、戦争遂行の不手際を暴露して政府を攻撃、内閣を交替させるに至った。電報が普及した時代であったが、アレクサンドリア―ロンドン間に専用便を設けて通信網を向上させもした。『タイムズ』がイギリスばかりでなく世界の政治家から注目されるようになったのはこのころであった。[伊藤慎一]

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367日誕生日大事典の解説

ディレーン

生年月日:1817年10月11日
イギリスの新聞人
1879年没

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世界大百科事典内のディレーンの言及

【タイムズ】より

…こうして《タイムズ》は中産階級の政治的地位の上昇,発言力の増大とともに,その代弁者としてイギリスで最も有力な新聞となった。41年バーンズの死後ディレーンが編集長になってから《タイムズ》の黄金時代が始まる。50年には他の三つの有力朝刊紙(《モーニング・クロニクルThe Morning Chronicle》《モーニング・ヘラルドThe Morning Herald》《モーニング・ポストThe Morning Post》)を合わせた部数の約4倍の部数となった(1863年には10万8000部)。…

※「ディレーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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