日本大百科全書(ニッポニカ) 「デュポン財閥」の意味・わかりやすい解説
デュポン財閥
でゅぽんざいばつ
アメリカの利益集団(インタレスト・グループinterest group)の一つで、デラウェア州ウィルミントンに本拠を置くデュポン家を中心に形成されている。アメリカでもっとも古い歴史をもつ財閥グループ。デュポン家はフランス革命から逃れてきたエルテール・イレーネ・デュポン(フランスの重農主義経済学者デュポン・ド・ヌムールの子)を始祖とし、彼がウィルミントンを流れるブランディワイン川畔に設立した火薬工場の発展とともに勢力を拡大していった。その後身であるデュポン社は現在アメリカ最大の総合化学会社に成長し、国際化学資本の一つとしてデュポン財閥の中核企業となっている。デュポン・グループに属するとみられる企業には、このほかに、ハーキュリーズ(特殊化学)、レミントン・アーム(銃器製造)、ロックウェル・インターナショナル(電子・通信・宇宙機器)、金融機関ではファースト・シカゴNBD、ウィルミントン・トラスト、バンク・オブ・デラウェアなどがある。
[佐藤定幸・奥村皓一]
GMとの結び付き
デュポン財閥の発展にとって大きな役割を果たしたのは、世界最大の自動車メーカーであるゼネラル・モーターズ(GM)との関係であった。1920年にGMが財政危機に陥ったとき、デュポン社はGMの最高経営責任者(CEO)W・デュラントの要請を受けてGM株を大量に引き受け、また当時のデュポン社の社長P・デュポンがGMの社長・会長(最高経営責任者)を引き受けるなど緊密化していった。デュポン社によるGM株の所有比率は1922年末には実に37%にも上った。GMのその後の急成長がデュポン家の致富に貢献したことはいうまでもないが、デュポン社はGMに対し自社製品を購入することを要求するとともに、グループ企業のUSラバー(ユニロイヤルの前身)に対してはその製品をGMに「優先価格」で販売することを要求し、デュポン財閥全体の発展を相互に保証しあった。1962年に独禁法違反の判決を受け、デュポン社所有のGM株はデュポン株主に2対1の比率で割当て売却されたので、デュポン社とGMとの直接的関係は断たれたが、両社の実質的関係はなお続き、GMが製造する自動車のハイテク新素材の開発や供給は依然としてデュポン社が担っている。
デュポンの最高経営責任者がGM株売却でGMを去ると、モルガン、ロックフェラー系の大銀行の幹部がこの空席をうめた。GMからの配当収入がなくなったデュポン社の収益は減少し、ニューヨークの大銀行から資金を借り入れる必要性が高まり、1972年にその資金導入とともに、モルガン、ロックフェラーの銀行代表がデュポン社創業以来初めて取締役会に参入した。
[佐藤定幸・奥村皓一]
デュポン社経営からの退陣
創業以来、一族の代表が最高経営責任者を務めてきたデュポン社も1960年代に転換期を迎え、伝統的な一族経営企業ではなくなった。1971年にラモット・デュポン・コープランドLammot du Pont Copeland(1905―1983)から、一族の直系ではないC・B・マッコイが最高経営責任者となり、次いで、弁護士のアービング・シャピロが巨大化し多国籍企業化するデュポンの最高経営責任者となった。以後、デュポン家の人々が最高経営責任者となることはなくなり、経営と所有の分離が確立した。イレーネ・デュポン2世や一族最後の経営者ラモット・デュポンは、1970年代から80年代にかけてなお強い発言力をもち続けたが、以後の若い世代はデュポン社の経営ヒエラルヒー(位階)を一つ一つ登ることなく、莫大(ばくだい)な富を手にオーナーとしての支配力を行使するようになった。とくに、1970年代初頭にラルフ・ネーダー率いるネーダー・グループの攻撃を受けて以来、デュポン家は取締役会にメンバーを送ることはなくなった。
しかし、経営の第一線に立たなくなったことは、けっしてデュポンの富や企業家としての力が減少したことを意味しない。デュポン財閥は、企業の資産額や規模においてモルガンやロックフェラーには劣るものの、財閥の主要人物の個人資産という点ではアメリカの財閥中最高であるといわれる。É・I・デュポン・ド・ヌムール火薬会社を創立したエルテール・イレーネ・デュポンの直系子孫の数は1500人を超え、そのうちの約250人がアメリカの大富豪の地位にあり、約50人が中核的存在として一族のエリートとみなされている。彼らは、デラウェア、サウス・カロライナ、フロリダ、ケンタッキー、ミズーリ、カリフォルニアの各州に勢力を広げ、アメリカ国内の主要企業・銀行の100社以上に発言権を行使しうる大株主となっている。
デュポン社の直接の経営から退いたとはいえ、一族の発言力は強大であり、1981年の石油資本コノコConoco Inc.の買収は一族の資産増大をもねらったものであった。この買収によって、コノコの主要株主であるカナダのブロンフマン一族が、デュポン一族に次ぐ大株主としてデュポン社の経営に乗り込んできたが、1998年には石油部門のコノコを分離して、その株売却資金でブロンフマンの持株を買い取り、支配力を強化している。
[奥村皓一]