翻訳|Thomism
トマス・アクイナス自身の哲学・神学体系,および後世の人々によるトマスの基本的立場ないし学説の体系的解明および展開をさしていう。トマスがアリストテレス,新プラトン主義哲学,アウグスティヌスをはじめとする教父たちの思想,アラビアおよびユダヤの哲学思想などを総合してつくりあげた独自の哲学思想は,同時代人および直後の世代の理解を超えるものであった。13世紀の終りにかけてドミニコ会とフランシスコ会神学者,およびガンのヘンリクスとアエギディウス・ロマヌスの間でトマスの学説をめぐって論争が行われたが,前者は神学的正統・異端に関する争いであり,後者はトマスにおける〈存在esse〉と〈本質essentia〉との区別の誤解にもとづく論争であった。このあと,14,15世紀にヨーロッパ各地で創設された大学においてトミズムは学問的に高く位置づけられた。ドゥンス・スコトゥス,ガンのヘンリクスをはじめとするさまざまの対立的立場に対してトミズムを弁護したヨハネス・カプレオルスの《聖トマス神学の弁護》はこの時代のトミズムの代表的著作である。トミズムは,宗教改革運動に対抗してカトリック教会内部で改革の気運が高まったのに応じて,新しい時期に入った。その代表者は16世紀においてはイタリアのカエタヌスおよびフェラーラのシルウェステル,およびスペインのビトリアであり,17世紀においてはスペインのスアレス,ヨハネス・ア・サンクト・トマスである。前3者はトマスの著作への優れた注解で知られ,後2者は教科書的著作を通じて大きな影響力を及ぼした。なお1570-71年に教皇ピウス5世の命によって最初の《トマス全集》が公刊されたこともトミズムの歴史における重要なできごとであった。
18,19世紀にかけて多くの注解書やトマスの基本的立場にもとづくと称する教科書が現れたが,それらはデカルト,ロック,C.ウォルフなどの影響を受けた折衷的内容の著作であり,トマス自身の学説に忠実であろうとする努力は見られなかった。これに対して19世紀中ごろからまずイタリア,ついでドイツにおいて〈トマス自身に帰れ〉という声が起こり,トマスおよび他のスコラ学者の真正の学説を再発見することを通じて,当時のヨーロッパの知的・社会的危機に対応しようとする哲学運動(新トミズム,新スコラ主義)が勢力を得た。この運動に対して強力な支持を与えたのは教皇レオ13世の回勅〈エテルニ・パトリス〉であり,彼とその後継者たちによってトマスの学説には教会内部で特別の権威が付与された。《トマス全集》の批判版の計画を推進したのもレオ13世である。20世紀に入ってトミズムがカトリックの大学や神学校の囲いを超え出て,広く学界や思想界で研究,論議の対象となったのは2人のフランス人哲学者マリタンとジルソンの力によるところが大きい。第2バチカン公会議以後,トミズムは教会の公的教説たることから解放され,多極化の時代に入っている。
→トマス・アクイナス
執筆者:稲垣 良典
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