トレント公会議(読み)とれんとこうかいぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「トレント公会議」の意味・わかりやすい解説

トレント公会議
とれんとこうかいぎ

宗教改革運動に対処するため、北イタリアのトレントTrento(ドイツ名トリエントTrient)で開かれた第19回公会議。ルターによる運動が起こされるとただちに、問題収拾のため公会議開催を求める輿論(よろん)は高まったが、神聖ローマ(ドイツ)皇帝とフランス王との紛争、および公会議首位説の再燃を恐れる教皇の態度のゆえに開会が遅れた。会議は、教皇パウルス3世により1545年から47年、1551年から52年、ピウス4世により1562年から63年の3会期に分けて行われた。会議の目的は、宗教改革によって生じた信仰分裂の解消と、カトリック教会内部の改革とにあった。しかし、前者の目的を達成するには遅きに失し、プロテスタント側の代表は第二会期にトレントに到着したが、ほとんど討議に加わることなく退去した。そのため公会議はむしろプロテスタント側の主張をいっさい退けた見解を確認する結果となった。後者の目的については、多年懸案であった改革上の諸問題を解決し、反宗教改革の推進に大きな貢献をした。

 公会議で採択された教令は、(1)第二聖典を含む聖書正典と聖伝との権威の承認、(2)恩寵(おんちょう)と自由意志の協働の必要性、(3)七つの秘蹟(ひせき)の確認、(4)ブルガーター訳聖書の権威の承認、(5)ミサにおけるラテン語の使用、(6)ミサはキリストの十字架上の犠牲の繰り返しを意味すること、(7)平信徒には聖体授与に際しパンのみを与えること、(8)聖体における実体変化説の確認、(9)司祭の独身制の遵守、などであって、これらはすべて宗教改革派の主張を全面的に否定するものである。これにより、中世における教義典礼の多様性は切り捨てられ、統一的教会を目ざす近代的カトリック主義が樹立された。だが規律面では、不在聖職禄(ろく)の撤廃、司教監督権の強化、贖宥(しょくゆう)販売人の廃止、神学校の整備による説教能力に富む司祭の養成など、教会の活性化に成功したのである。

[坂口昂吉]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

旺文社世界史事典 三訂版 「トレント公会議」の解説

トレント公会議
トレントこうかいぎ

トリエント公会議

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