デジタル大辞泉 「ドニプロ」の意味・読み・例文・類語
ドニプロ(Dnipro/Дніпро)
[補説]ロシア帝国時代はエカチェリーナ2世にちなみエカチェリノスラーフと称された。1926年ドニエプロペトロフスクに改称。ソ連解体による独立後はウクライナ語に改めドニプロペトロウシクとなり、2016年より現名称。
ウクライナ東部にある同国有数の工業都市。ドニエプル川の河岸に位置し、ロシアのウクライナ侵攻前は100万人規模の人口を誇った。冷戦時代から兵器製造やエネルギー産業などの重工業を主力産業としてきた。大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発・製造で知られる軍需企業「ユジマシ」は米国との軍拡競争の最前線にあった。2022年2月24日に始まったロシアの軍事侵攻後、ドニプロも攻撃対象となり、市民らに大きな被害が出ている。ウクライナ2代目大統領のクチマ氏や元首相のティモシェンコ氏ら、ゆかりの政治家を多数輩出しており、ソ連時代から人材の宝庫となってきた。
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出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報
ウクライナのドニプロペトロウスク州の州都で、ウクライナ屈指の重工業都市。旧称エカチェリノスラーフЕкатеринослав/Ekaterinoslav(~1796、1802~1926)、ノボロシースクНовороссийск/Novorossiysk(1796~1802)、ドニエプロペトロフスクДнепропетровск/Dnepropetrovsk(1926~1991)、ドニプロペトロウスクДнiпропетровськ/Dnipropetrovs'k(1991~2016)。エカチェリノスラーフは女帝エカチェリーナ2世にちなむ。ドニエプロペトロフスクは政治家G・I・ペトロフスキー(1878―1958)を記念したもの。人口106万5000(2001)、99万0381(2018推計)。1783年ドニプロ(ドニエプル)川を見下ろす高台に要塞(ようさい)として創設され、いまも市街の中心はここにある。左岸の低地を含めて市域は川沿いに長さ15キロメートル、幅5キロメートルにわたる。右岸に河港があり、川沿いに重工業地帯がある。製鋼、機械組立て、化学などの工業が発達し、ペトロフスキー記念製鉄所、コミンテルン記念製鉄所、ドニエプロペトロフスク・タービン工場などの大工場があり、ほかに製鋼用機械、コンバイン、タイヤ、コークス、大型プレス機械の工場もある。総合大学が置かれ、工業技術の研究・教育施設も多い。18世紀末建築のポチョムキン宮殿(現在学生会館として使用)、プレオブラジェンスキー聖堂などの歴史的建造物が残る。1983~1984年、地下鉄の運行が開始された。
[渡辺一夫・上野俊彦]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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