ドンソン文化(英語表記)Dong Son

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドンソン文化」の解説

ドンソン文化(ドンソンぶんか)
Dong Son

北部ベトナムの金属器文化のピークをなした文化(前3世紀?~後1世紀)。タインホア省のドンソン遺跡にちなむ。中国青銅器の影響なども受けながら発展し,特に雲南起源の銅鼓(どうこ)の生産中心地として,ドンソン式(ヘーガーI式)銅鼓を東南アジアのほぼ全域に輸出した。鉄器も持ち稲作基盤階級社会を発達させたが,徴(チュン)姉妹の反乱失敗後,漢文化が流入して衰退した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドンソン文化」の意味・わかりやすい解説

ドンソン文化
ドンソンぶんか
Dong-so'n culture

ベトナム北部,タインホアの北 4kmのドンソン遺跡出土遺物 (青銅鼓,青銅剣など) を代表とする東南アジア初期の金属器文化。その分布は中国南部,東北タイ,マレー半島インドシナインドネシアに及ぶ。東北タイの青銅斧文化は亜流ドンソン文化,カンボジア貝塚の土器文化は南方ドンソン文化と呼ばれる。インドネシア初期金属器文化はドンソン型式文化圏に属するが,ヒンドゥー文化の金文化,鉄文化複合の影響も強い。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ドンソン文化」の解説

ドンソン文化
ドンソンぶんか
Dong Son

前4世紀に始まるヴェトナム北部の古代文化
1924年にタインホア省ドンソン村で青銅器が発掘されたことにより命名。雲南やタイとの交渉をもち,鉄器の使用もみられて水稲耕作を基盤とした初期国家形成の段階であった。身分階層化も進んでおり,権力象徴として銅鼓を製作し,儀式に使用したと考えられる。

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世界大百科事典(旧版)内のドンソン文化の言及

【ソンコイ[川]】より

…前1千年紀のドンソンDong Son文化中期以降にいたって,古デルタ微高地上に住居址や遺物が現れる(ドンソン)。前2世紀末,ソンコイ・デルタは中国の支配下に入り,交趾郡として10県(後漢では12県)が置かれたが,その範囲はこのドンソン文化の分布とほぼ一致する。ソンコイ・デルタは自然堤防卓越地域の面積が大きく,この範囲だけでも,交趾郡は1世紀には9万2440戸,74万6237口をもつ大郡に成長していた。…

【ドンソン】より

…それらからみて,この遺跡は紀元前後の数世紀にわたるものと考えられ,この地の初期金属器時代を代表する遺跡である。 この時期の調査された遺跡が少なかったこともあって,ドンソンの名は東南アジア全体にわたる青銅器~鉄器時代初期の文化に冠せられ,〈ドンソン文化〉と称せられることになった。その特徴を示すものとしては,青銅器類,特にF.ヘーゲルの編年による第I型式(最古の型式)の銅鼓や靴形斧などがあげられ,さらにそれらの青銅器の共通した装飾文様である鳥人文や鋸歯文,また接線で連続させた円などがあり,これらはインドシナ半島のみならず,中国西南部から島嶼(とうしよ)部までの広範囲に広がっている。…

【ベトナム】より

…ベトナム考古学会では,この文化を伝説のフンブオン(雄王)時代に比定している。青銅器文化は紀元前後の数世紀にわたるドンソン文化において開花し,特徴的な銅鼓が段丘,残丘部から発見され,これがほぼベトナムの歴史時代に重複する。
[北属期]
 前111年,漢の武帝は当時広東に都していた南越王国を滅ぼし9郡を設置したが,このうち交趾,九真,日南の3郡はほぼ現在のソンコイ・デルタ,タインホア・デルタ,中部ベトナム(ビンチティエン省)にあたる。…

※「ドンソン文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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