ドバロア(英語表記)Ninette de Valois

改訂新版 世界大百科事典 「ドバロア」の意味・わかりやすい解説

ド・バロア
Ninette de Valois
生没年:1898-2001

アイルランド生れの女流舞踊家,振付家。本名エドリス・スタナスEdris Stannus。イギリスのローヤル・バレエ団設立者。エスピノサ,レガート,チェケッティに学ぶ。1923-25年ディアギレフの〈バレエ・リュッス〉に参加。1926年私的なバレエ学校をロンドンに開設するとともに,オールド・ビック座の支配人ベーリスLilian M.Baylisと知り合う。その劇場のためにバレエの振付をしたのが始まりで,これがサドラーズ・ウェルズ・バレエ団に発展し,56年ローヤル・バレエ団となった。63年に引退するまでディレクターとしてイギリス・バレエの成長に尽くし,71年まで同バレエ団付属の学校の顧問をつとめた。作品には《チェックメート》などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドバロア」の意味・わかりやすい解説

ド・バロア
De Valois, Dame Ninette

[生]1898.6.6. ウィックロー,ブレッシングトン
[没]2001.3.8. ロンドン
アイルランド生れのイギリスの舞踊家,振付師。ロイヤル・バレエ団の創立者。本名 Edris Stannus。 E.チェケッティらに師事し,1914年ロンドンでデビュー。コベントガーデン,バレエ・リュスなどで踊り,26年バレエ学校を開設した。 L.ベーリスや W.B.イェーツらと合作をし,また自身の振付で 28年『つまらぬ事』をはじめ『放蕩者の堕落』 (1935) ,『チェックメイト』 (37) ,『オルフェウスとエウリディーチェ』 (41) などを作った。 31年サドラーズ・ウェルズ劇場に新たに公設のバレエ学校を開き,バレエ団を組織。それは,やがてサドラーズ・ウェルズ・バレエ団,そしてロイヤル・バレエ団となった。イギリスのバレエ界に残した功績は大きく,63年ロイヤル・バレエ団の監督引退後も,終身の名誉職 Life Governorにつき後進の指導にあたった。 50年レジオン・ドヌール勲章を受けたほか,多くの大学から名誉博士号を贈られた。著書『バレエへの招待』 Invitation to the Ballet (37) ,『私と踊ろう』 Come Dance with Me (57) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドバロア」の意味・わかりやすい解説

ド・バロア
どばろあ
Dame Ninette De Valois
(1898―2001)

イギリスのバレリーナ、舞踊教師、振付師。本名はEdris Stannus。アイルランド生まれ。チェケッティらに師事、1914年にロンドンでデビューした。コベント・ガーデン王立歌劇場を経て、23~25年ディアギレフ・ロシア・バレエ団のメンバーになり、『カルナバル』『牝鹿(めじか)』などを踊った。1926年ロンドンにバレエ学校を開き、30年にカマルゴ協会を創設。31年ビッグ・ウェルズ(後のサドラーズ・ウェルズ、現在のロイヤル)・バレエ団を組織し、長くその芸術監督を務め、後れていたイギリスのバレエを再生させた功績は大きく、63年ロイヤル・バレエ団の監督引退後、生涯理事の名誉職につき、後進の指導にあたった。50年レジオン・ドヌール勲章受章、51年デームの称号を受ける。『チェックメイト』『放蕩児(ほうとうじ)の遍歴』などの振付け作品がある。著書に『バレエへの招待』(1937)などがある。

[國吉和子]

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百科事典マイペディア 「ドバロア」の意味・わかりやすい解説

ド・バロア

英国の女性舞踊家,振付家。アイルランド生れ。ロンドンでチェケッティらにバレエを学ぶ。1923年―1926年ディアギレフの〈バレエ・リュッス〉に参加。1931年ビック・ウェルズ・バレエ団(のちのローヤル・バレエ団)を設立,1963年に引退するまでディレクターを務め,バレエ後進国であった英国のバレエの発展に力を尽くし,多くの後継者を育てた。振付作品に,《ヨブ記》(1931年),《チェックメート》(1937年),《ドン・キホーテ》(1950年)などがある。→アシュトン

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世界大百科事典(旧版)内のドバロアの言及

【バレエ・リュッス】より

…このことはバレエ・リュッスを経験していないロシアのバレエが近年まで前近代性から脱却しえなかったことが物語っている。さらにまた,沈滞していたフランス・バレエを救ったS.リファール,バレエの存在しなかったイギリスに一流のバレエ団をつくり上げたド・バロア,アメリカ・バレエを育てたバランチンがバレエ・リュッスから出発していることからも明らかであろう。【薄井 憲二】。…

【ローヤル・バレエ団】より

…この名称は,1956年10月,エリザベス2世により,サドラーズ・ウェルズ・バレエ団Sadler’s Wells Balletおよびそのバレエ学校に対して与えられた。バレエ団の歴史は,1926年ド・バロアがロンドンに自己の舞踊学校を創設し,オールド・ビック座の支配人ベーリスの協力を得て,その劇場で上演されるオペラや劇の舞踊場面に生徒たちを出演させたことに始まる。31年それまで閉鎖されていたロンドンの古い劇場サドラーズ・ウェルズ劇場がベーリスにより再開され,ド・バロアのバレエ団も間もなく本拠をここに移し,サドラーズ・ウェルズ・バレエ団とその学校に発展した。…

※「ドバロア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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