デジタル大辞泉 「ドンキホーテ」の意味・読み・例文・類語
ドン‐キホーテ
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スペインの作家セルバンテスが1605年に前編を,1615年に後編を発表した小説で,正式の題名は《才智あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャEl ingenioso hidalgo Don Quijote de la Mancha》。セルバンテスは〈前編〉の序文において,この作品が牢獄の中で生まれたことをほのめかしているが,おそらく1602年,55歳の彼がセビリャで入獄していたときにその構想を得たか,書き始めたものと考えられる。スペインはラ・マンチャに住む郷士アロンソ・キハーノは日夜騎士道物語を読みふけって狂気にとらわれ,そこに書かれていることを実行に移す決意をする。かくしてみずからを騎士ドン・キホーテと名のり,現実主義的で少々欲の深いサンチョ・パンサを従士とし,田舎娘を思い姫ドゥルシネーアに仕立て,やせ馬ロシナンテにまたがって,この世の不正を正し,弱きを助けるために遍歴の旅に出る。そして〈風車の冒険〉をはじめとする数々の冒険を介して,この世の現実と衝突する。〈後編〉になると,すでにドン・キホーテ主従の冒険を描いた〈前編〉を読んでいる公爵夫妻が小説に登場し,ドン・キホーテの狂気を愚弄するという大きな要素が加わる。そして最後に〈銀月の騎士〉に打ち負かされたドン・キホーテは郷里に帰り,正気に戻って死ぬ。このように要約すれば,あらすじは単純であるが,その実これは近代小説の嚆矢(こうし)となる壮大な試みだったのである。
セルバンテスの時代の小説といえば,中世の秩序の時代錯誤的な延長にすぎない騎士道物語,そしてその対極に位置する悪者小説であった。過去の盲目的称賛たる前者と過去のあまりに乱暴な否定たる後者の対峙という,この時代の文学的ジレンマをみごとに解決したのがほかならぬセルバンテスであった。ドン・キホーテに中世叙事詩の英雄の,そしてサンチョ・パンサに現実的な悪者(ピカロ)の役割を担わせたセルバンテスは,両者を交錯させることにより,単なる過去の聖化,あるいはその否定を乗り越えることができたのである。騎士ドン・キホーテと現実世界との関係は,伝統的な叙事詩に見られるような一元的な原則によって終始することはない。中世の叙事詩にあっては世界の見方,あるいは解釈は一義的であったが,《ドン・キホーテ》において,それはきわめてあいまいに,つまり多義的になったのである。そしてこの多義性の中にこそ《ドン・キホーテ》のユーモアがある。
《ドン・キホーテ》は出版直後から好評を博し,その年のうちに7版を重ね,1612年には英訳,14年には仏訳,22年にはイタリア語訳が出ている。しかしながら,《ドン・キホーテ》のもつ深い意味が認識され始めたのは19世紀に入ってからで,その先駆者はシェリングやハイネであり,フローベールやツルゲーネフであった。日本にはすでに1885年(明治18)に《欧州情史玉薔薇》として部分訳が紹介されており,それ以後,英訳,仏訳からの重訳は数多くあるが,スペイン語訳からの全訳としては,永田寛定・高橋正武訳(1948-77)と会田由訳(1960,62)がある。
執筆者:牛島 信明
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スペインの小説家セルバンテスの代表作。正式な題名を『才智(さいち)あふるる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』El ingenioso hidalgo Don Quijote de La Manchaといい、第一部が1605年に、そして第二部が1615年に出版された。物語はラ・マンチャに住む老いた郷士が、そのころ大流行していた騎士道物語を日夜読みふけったすえ、自ら遍歴の騎士となって世の中の不正を正し、虐げられた者を助けようと、ドン・キホーテと名のって旅立ち、行く先々で悲喜劇的な事件を引き起こす話である。
作者は序文や第二部の最後で、この小説は「騎士道小説の権勢と人気を打倒するために」書いたといっているが、確かに、ドン・キホーテがひとりで遍歴の旅に出る第1回の出立を描いた最初の6章は、騎士道物語のパロディーといった感じが強い。だが、近所に住む百姓をサンチョ・パンサと命名して従者とし、近在の田舎(いなか)娘を思い姫ドゥルシネアと決めて旅に出る二度目の出立からは、対照的な性格をもつ主人ドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの対話を中心にして、単なるパロディー以上の幅と厚みがこの小説に加わり、第二部に至ると、きわめて前衛的な近代小説の姿さえみせるようになる。
あくまでも自己の理想に忠実であろうとするドン・キホーテと、五感で確かめられることしか信じようとしないサンチョ・パンサは、セルバンテスがこの作品で創造した2人の偉大な典型的人物であり、『ドン・キホーテ』のおもしろさは両者の繰り広げる対照の妙に負うところが多い。しかし、作中で描かれている2人をよくみると、その性格はかならずしも固定的なものではなく、長い道中の間で交わされる会話やさまざまな体験を通して両者が互いに影響しあい、ドン・キホーテがしだいに現実的な世界に近づくのに対して、サンチョのほうが逆にドン・キホーテ的な世界にあこがれるようになっていくのがわかる。つまりこれは、それまでの筋中心の物語にかわって、人物の創造や性格の変化に重点を置く近代小説の誕生を告げるものといえよう。
理想と現実の相克、喜劇的なものから悲劇的なものへの転換、判断の相対性、といった永遠のテーマを含んだこの小説は、従来の物語概念を否定して近代小説を確立すると同時に、その最初にしてかつ最高の作品という評価をも獲得している。
[桑名一博]
『会田由訳『世界文学大系15 ドン・キホーテ』(1972・筑摩書房)』▽『会田由訳『世界文学全集3 ドン・キホーテ』(1979・集英社)』▽『永田寛定訳『ドン・キホーテ』正編3冊・続編3冊(岩波文庫)』
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…その後,ナチスが政権を握ってフランスへ去るまでに,反戦映画の名作として知られる《西部戦線一九一八年》(1930),ブレヒト劇の映画化《三文オペラ》(1931),労働者のストライキを描いた最初の傑作として知られる《炭坑》(1931)などでドイツの〈トーキー芸術〉の確立に寄与する一方,ピスカートルやハインリヒ・マンとともに映画労働者組織の先頭に立った。亡命時代はフランスでシャリアピン主演の《ドン・キホーテ》(1933),ハリウッドで《今日の男性》(1934)などをつくり,39年,スイス国境を越えてオーストリアに帰り,ユダヤ人迫害問題をあつかった《審判》(1948),ヒトラーの最後を描いた《最後の幕》(1955)など,〈セミ・ドキュメンタリー〉風の意欲作をつくるが往年の輝きはなく,56年に引退した。【柏倉 昌美】。…
…このようにセルバンテスは,《ラ・ガラテーア》の執筆を別にすれば,30歳から60歳という,一般的には作家の活動的な時期のほとんどを,外国で兵士あるいは捕虜として,またアンダルシアの野を歩き回る小役人として費やし,次の世代が活躍している時期,すなわち自身の老境において作家活動を行ったのである。 上述のような英雄的苦難と屈辱的苦難を経て年老いたセルバンテスが,おそらくは1602年のセビリャでの入獄中にその想を得たのが《ドン・キホーテDon Quijote》(1605,15)であってみれば,そこに自身と祖国スペインの過去が色濃く反映しているのはむしろ当然であろう。彼は狂気の騎士ドン・キホーテを介して,熱にうかされていた英雄的な祖国と自身の高揚と挫折を描いたのであり,みずからの過去を否定すると同時に愛着を覚え,泣きながら笑ったのである。…
…この頃より,指揮者として,同世代のマーラーおよびワインガルトナーと楽壇の帝王を競うようになる。またこの時期には,作曲家としても目ざましい活躍をして,《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》(1895),《ツァラトゥストラはこう語った》(1896),《ドン・キホーテ》(1897),《英雄の生涯》(1898)といった彼の創作を代表する交響詩の傑作群が書かれた。98年からベルリン宮廷歌劇場の第1指揮者に就任して,20年間その地位にありながら,ヨーロッパ各地,アメリカに演奏旅行。…
…鋭い政治寓意劇《裸の王様》(1934),《影》(1940),《ドラゴン》(1943)などは,今も国内だけでなくヨーロッパ諸国でたびたび上演されている。シュワルツ台本による映画では,《ドン・キホーテ》(1957,チェルカーソフ主演)が群を抜いた傑作。日本でも《影》《ドラゴン》《裸の王様》等が上演されている。…
…ロマンスと小説を言葉の上ではっきり区別しているのが英語で,女性向きの恋愛物語や波瀾万丈の歴史物などが〈ロマンス〉と呼ばれる一方,狭い意味での小説は〈ノベルnovel〉と呼ばれるが,後者は中世イタリア語の〈ノベラnovella〉(〈ニュース〉と同語源で,〈ちまたの珍しい話〉の意)に由来する。 西欧小説の特徴は,虚構の物語と歴史物語や伝記的物語の区別がはっきりしていることのほかに,近代的合理主義的世界観の興隆にともなって小説とロマンスの分離を意識的にすすめたことで,小説史におけるセルバンテスの《ドン・キホーテ》の意義はそこにある。しかしこの分離はけっして完全ではなく,実際の小説はかならずロマンスやアレゴリーの要素を含んでいる。…
…1554年に出版された作者不詳の《ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯》がその嚆矢となったが,このジャンルはマテオ・アレマンの《悪者グスマン・デ・アルファラーチェの生涯》を経て,スペイン・バロック期最大の文人フランシスコ・デ・ケベードの《かたり師,ドン・パブロスの生涯》でその極に達した。そして不朽の名作《ドン・キホーテ》により,上述の二つの小説の傾向を融合し,創造の中に創造の批判を根づかせることによって厳密な意味での近代小説をつくり出したのがミゲル・デ・セルバンテスである。セルバンテスの重要な作品としてはほかに,12の短編からなる《模範小説集》(1613)がある。…
…このようにセルバンテスは,《ラ・ガラテーア》の執筆を別にすれば,30歳から60歳という,一般的には作家の活動的な時期のほとんどを,外国で兵士あるいは捕虜として,またアンダルシアの野を歩き回る小役人として費やし,次の世代が活躍している時期,すなわち自身の老境において作家活動を行ったのである。 上述のような英雄的苦難と屈辱的苦難を経て年老いたセルバンテスが,おそらくは1602年のセビリャでの入獄中にその想を得たのが《ドン・キホーテDon Quijote》(1605,15)であってみれば,そこに自身と祖国スペインの過去が色濃く反映しているのはむしろ当然であろう。彼は狂気の騎士ドン・キホーテを介して,熱にうかされていた英雄的な祖国と自身の高揚と挫折を描いたのであり,みずからの過去を否定すると同時に愛着を覚え,泣きながら笑ったのである。…
…権力を嘲笑した道化的哲学者ディオゲネスに自分を擬したラブレーは,道化の杖をペンに持ちかえて,世界を哄笑のうちに活性化する。他方,セルバンテスの《ドン・キホーテ》は,ガルガンチュアやフォールスタッフとは似ても似つかぬ,やせて,不眠症で,理想主義的な〈憂い顔の騎士〉ドン・キホーテを登場させる。高貴な〈精神の道化〉と,彼に召使として仕える猥雑な〈肉体の道化〉サンチョ・パンサ,この2人とともにルネサンスの〈道化文学〉の黄金時代は終わる。…
…前者はおもにハウザー,サイファー,ローランドら主として精神分析や社会史に立脚する流派で,その説によると,マニエリスムはローマ劫掠(1527)等の社会危機に対する西欧の知識層の深刻な対応の姿であり,この文化動向は不安,緊張,神経症によって特徴づけられるという。その文学的形象の典型は,知と懐疑において過剰なハムレット,〈狂気の〉ドン・キホーテ等であり,マニエリスムの最高の作家はシェークスピアだとする。彼こそ,定型的人物,たとえば当時流行した憂鬱病者の類型たるハムレットのごとき人物と既存の常套的筋立てを利用しつつ,絶えず誇張と美辞麗句と語呂合せ,悲劇要素と喜劇要素の混交からなる独創的な技巧を駆使して,人生の測りがたさや,人間存在の夢幻性を浮彫にしたからだという。…
…広大な平原に白壁の村や町が点在し,ラ・マンチャ特有の風車の風景が広がる。モタ・デル・カンポ,カンポ・デ・クリプタナ,コンスエルガの村々は,セルバンテスの《ドン・キホーテ》の舞台である。農業中心の地方で,ブドウ,オリーブ,小麦,サフランが栽培される。…
…けた外れのスケールをもった主人公は,この世の古びたもの,固着したもの,窮屈なもの,笑うべき愚かしいもののいっさいを笑う。セルバンテスの《ドン・キホーテ》においては,主人公の時代錯誤的な〈こわばり〉と同時に,従者サンチョ・パンサとの対比,無垢な心と世間的処世知とのコントラストが笑いをさそう。さらに主人公の笑うべき〈高貴な単純さ〉が時代の断層を映し出す鏡の役目を果たしている。…
※「ドンキホーテ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」