翻訳|Nairobi
東アフリカ,ケニア共和国の首都。人口266万(2003)。いわゆるリフト・バレー(アフリカ大地溝帯)の東側にある高原に位置し,標高約1600mの高地にあるため,赤道の南約150kmの赤道直下であるにもかかわらず,年間を通じて爽涼な気候に恵まれている。ケニアの政治の中心であり,交通・通信,商工業,学術・文化の中心でもある。ケニアの貿易港モンバサとウガンダを結ぶ鉄道,道路の要衝であり,ヨーロッパとアジアへの航空路の中心となる国際空港をもつ。コーヒーや牛の集散地から発達した商工業は,今では食品加工,飲料,タバコ,繊維・衣料,家具,建設資材,ガラス,化学薬品などの多様な工業をもつまでに発展している。また市街地に隣接して多くの野生動物のすむ国立公園があり,国際的な観光地としても知られている。学術・文化面では国立総合大学,医学専門学校などの高等教育機関,コリンドン記念博物館,ソースビー美術館などがある。最近は各種の国際会議が開かれることが多い。
1899年にモンバサとウガンダを結ぶ鉄道建設工事のキャンプ地として,それまで遊牧民マサイ族の給水地であったナイロビが選ばれた。1905年にはモンバサにあったイギリス東アフリカ保護領の政庁がこの地に移された。第1次世界大戦後多くのヨーロッパ人がナイロビ周辺に入植し,第2次世界大戦中から連合軍基地として政治・経済的重要性を増した。その後は東アフリカ全体の政治,経済,文化の中心となった。1950年代初めの数年間は周辺に住むキクユ族を中心とする反英独立運動(マウマウの反乱)の活動舞台となり,東アフリカにおける反植民地運動の中心となった。63年のケニア独立によりその首都となり,その後一時はタンザニア,ウガンダを含む東アフリカ諸国の実質的な首都の役割を果たしたが,現在は鉄道や航空路の面でのみその役割を担っている。
執筆者:西野 照太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
東アフリカ、ケニアの首都。同国南部の標高1798メートルの高原に位置する。人口239万1600(2001推計)で、東アフリカ最大の都市である。赤道付近にあるが、月平均気温が年間を通じて15~20℃で、気候は冷涼である。同国の政治、経済、文化の中心地で、ケニアのみならず東アフリカの玄関口としての役割を果たしている。国際機関も集中し、しばしば国際会議が開催され、近年では2000年にワシントン条約の締約国会議が行われた。コーヒー、紅茶、サイザル麻などの集散地であり、缶詰、製粉などの食品工業やせっけん、陶器、製紙、製材、皮革などの工業が立地する。世界的な観光保養地としても知られ、近くのナイロビ国立公園(野生動物保護区)はその中心で多くの観光客を集めている。都心部には高層ビルが建ち並び、街路が整備され整然とした都市景観を示す。市内にはケニア国立博物館、ナイロビ大学、ウフル公園、植物園などがある。市の北東14キロメートルにはナイロビ国際空港がある。
イギリス植民地時代の1899年、モンバサからウガンダに延びる鉄道建設のため、水利のよいこの地が基地に定められ、インド人商人やアフリカ人労働者が居住した。1905年イギリス領東アフリカの行政中心地となり、以後急速に人口が増加した。独立後、ナイロビへの人口流入はいっそう急激となり、国内各地から集まった人々が周辺部の簡易住宅に住んでいる。部族別ではキクユが19万と最大で、ついでルイヤ、ルオ、カンバがそれぞれ6万を超える。彼らは部族ごとの居住区を形成する傾向が強いが、電気、水道などの設備が乏しく生活環境が劣悪で、都心部や白人、アジア人の居住区とは大きな差がある。
[赤阪 賢]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ケニアの首都。赤道直下だが標高約1600mに位置し常時冷涼。牧畜民マーサイの給水地で「冷たい水」の意。1899年ウガンダ鉄道建設の拠点が置かれ,1905年イギリス東アフリカ保護領の首都となり,以後政治,経済の中心地として発展拡大。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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