イギリス領東アフリカ(読み)イギリスりょうひがしアフリカ(英語表記)British East Africa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イギリス領東アフリカ」の意味・わかりやすい解説

イギリス領東アフリカ
イギリスりょうひがしアフリカ
British East Africa

一般に現在のケニアウガンダタンザニアにほぼ相当する地域の旧総称。現在面積約 176万 km2のこの地域にはバンツー系のほか,少数のインド=パキスタン系アジア人,アラブ人,白人などが住む。 1948年に東アフリカ高等弁務官府が設置されたが,これはすでにイギリスの支配下にあったケニア植民地兼保護領およびウガンダ保護領と,1919年に国際連盟委任統治領としてイギリス支配下に入った旧ドイツ領タンガニーカの個々の統治関係を統合するものとして設置されたもので,本部はケニアのナイロビにおかれた。この高等弁務官府はこれら3領地に共通した鉄道,関税,郵便および電気通信などを管轄することになった。しかし 61年タンガニーカが独立して (タンガニーカは 1964年にザンジバルと合併してタンザニアと改称) 同高等弁務官府は廃止され,その機能は新設の東アフリカ共同役務機構に引継がれた。 1962年にウガンダ,63年ケニアが独立。この地域の主産物はコーヒー,綿花紅茶サイザルアサ,香料など。鉱物資源は一般に乏しく,近代工業は未発達。商業の中枢部はインド=パキスタン系の商人が支配しており,住民大部分を占めるバンツー系との間に問題を残している。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「イギリス領東アフリカ」の意味・わかりやすい解説

イギリス領東アフリカ
いぎりすりょうひがしあふりか
British East Africa

東アフリカ、現在のケニア、ウガンダ、タンザニアにほぼ相当する地域の独立以前の総称。19世紀なかばより、イギリス、ドイツ両国が東アフリカの植民地争奪戦を繰り広げ、19世紀末の協定で、ケニア、ウガンダ、ザンジバルはイギリスの勢力下に、タンガニーカはドイツの支配下に入った。第一次世界大戦後、ドイツ領東アフリカは国際連盟のイギリス委任統治領になった。イギリスはケニア、ウガンダ、タンガニーカの統治を統合するため、1948年東アフリカ高等弁務官府を設置し、鉄道、郵便、通信、関税などを共通に管轄した。しかし、この3国は1960年代前半に相次いで独立した。東アフリカの高原地帯は、コーヒーやワタなどの商品作物の導入とともに、白人植民者の数も多いのが特徴である。

[赤阪 賢]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android