改訂新版 世界大百科事典 「ナトゥフ文化」の意味・わかりやすい解説
ナトゥフ文化 (ナトゥフぶんか)
パレスティナの地中海性気候地域を中心にみられる中石器文化。最初の発見地ワディ・エン・ナトゥフWadi en-Natuf(Wādī al-Natūf)遺跡にちなみ名づけられた。レバント地方全域に類似の文化がみられるが,典型的な文化内容をもつものは,地中海性気候地帯が主である。ナトゥフ文化の起源については諸説あったが,今日ではこの地域の後期旧石器時代の文化から,ケバラー文化,ジオメトリック・ケバラー文化を経てナトゥフ文化に至る過程が明らかにされており,パレスティナの地中海性気候地域での自生説が有力になっている。ナトゥフ文化の生業のかなりの部分が穀物利用にあったことは明らかであり,このことがナトゥフ文化農耕説の根拠となっていたが,農耕を示す証拠は末発見であり,むしろ野生の穀物利用を示す証拠が多くなってきている。
レバント地域における穀物利用は,前1万5000年頃の後期旧石器文化に,石皿,石杵,鎌の刃に使ったと考えられる石器がセットとして確立し,ケバラー文化,ジオメトリック・ケバラー文化で比率を高め,ナトゥフ文化においてその頂点に達する。地中海性気候帯の外では,鎌刃は少なく,しかも時を追って減り,ナトゥフ文化と同時期では穀物利用を示す遺物はまれになる。これは次第に進む乾燥化とともに,シリア,ネゲブ,シナイなどの周辺地域では穀物利用が困難になり,乾燥化の影響の少なかった地中海性気候帯でだけ,穀物利用が盛んになったことを示すものであろう。
ナトゥフ文化の住居は伝統的な洞窟内にもあるが,むしろ開地遺跡に数多くみられる。石を円形に置き,土台にしその上に家を建てている。イェリコのように集落と呼ぶにふさわしい規模のものまで出現する。また集落が大規模なものと小規模なものに分かれるのも特徴である。両者は異なった役割を果たしていたものであろう。墓地も住居の周辺に集団墓がつくられる。日常の道具,装飾品が副葬されることが多い。住居址,墓地からは,半月形などの細石器,鎌刃,刻器,削器,石皿,石杵などの石器,釣針,鎌の柄などの骨角器が発見されている。動物の彫像などの工芸品,装飾品も豊富であり,文化内容がより充実してきていることを示している。ナトゥフ文化は採集経済をある頂点にまで高めた文化であり,また環境に高度に適応した文化でもある。その適応がより高度であったため,農耕社会へ移行することはなく,より北方に起源をもつ新石器文化にとってかわられる。
執筆者:藤本 強
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報