石器時代を三分した場合、旧石器時代と新石器時代の中間に位置する時代のこと。旧石器時代と新石器時代という時代の設定は、1865年、イギリスのラボック(1834―1913)によってなされたが、遺物のうえで両者は直結せず、この溝渠(こうきょ)を説明するために種々の仮説が提出された(いわゆる溝渠(ハエイタス)問題)。19世紀の末葉になると、この溝渠を満たすような石器もヨーロッパや北アフリカの各地で発見されるようになった。そこで1909年、フランスのドゥ・モルガン(1857―1924)は、この中間的、過渡的遺物の所属する時代を中石器時代とよぶことを提案した。Mesolithicの語は、ギリシア語のmesos(中間の)とlithos(石)からつくられたことばである。しかしこの時代概念の設定には、初めから強い反対意見があった。反対したのは有力な学者たちであって、彼らは大きな相違のあるのはむしろ旧石器時代の前期と後期の間であり、この後期と中石器時代の文化は基本的な相違はないと主張した。そこでフランスのブルイユ(1877―1961)は、いわゆる旧石器時代前期のみを旧石器時代とよび、これまでの旧石器時代後期と過渡的な時代(いわゆる中石器時代)とをあわせて小石器時代Leptolithiqueと称したが、後者はギリシア語のleptos(小さい、精巧な)とlithosとの合成語であって、旧石器時代後期以降の石器が小形化していることに基づいている。また、オーストリアのメンギーン(1888―1973)は、これまでの旧石器時代前期を原石器時代Protolithikum、そして同後期と過渡期とをあわせて亜石器時代Miolithikumとよんだ。後者は、ギリシア語のmeion(より少ない)とlithosとの合成語であった。このような反駁(はんばく)にあい、「中石器時代」という概念は学界全般には普及しなかった。
およそ石器時代は、石器の磨製法の有無によって旧石器時代と新石器時代とに区分されている。いわゆる中石器時代にはまだ磨製法は考案されていなかったから、旧石器時代と中石器時代とは基本的には同一時代であって、それはあわせて一つの時代として新石器時代に対立するものと理解されるべきである。その意味では、中石器時代という時代概念の成立根拠は薄弱とみなされる。フランスには、中石器時代の語を認めず、かわりにEpipaléolithique(晩期旧石器時代)の語を使用する学者も少なくない。現在、中石器時代という語が使われているのは、主としてイギリス、北ヨーロッパ諸国や旧ソ連である。このように使用される場合も、ユーラシア大陸や北アフリカに限られている。内陸アフリカを研究する考古学者たちは、石器時代を三分し、真ん中の時代をMiddle Stone Ageとよんでいるが、これは中石器時代とは内容を異にする中間石器時代の義であり、かれこれ混同せぬことが必要である。
[角田文衛]
いま反対論者の意見をかたわらに置いて中石器時代の概要を述べると、第一に強調されるのは、それが主として解氷期に該当すること、ならびに当時の人々の生活が獲得経済(狩猟、漁労、植物採集)に依存していたことである。この時代の遺物は、ヨーロッパ(極北地帯を除く)、北アフリカ、西南アジア、部分的にはインド、パキスタン、内モンゴル、日本などにも分布しており、これに比定される多数の文化が各地で設定されている。アジール文化、タルドノワ文化、カプサ文化、マグレモーゼ文化、クンダ文化、エルテベーレ文化などは代表的な中石器文化といえよう。
[角田文衛]
石器の型式のうえからみると、現在知られている多数の中石器諸文化は、〔1〕精器文化(または広義の細石器文化)と、〔2〕粗器文化とに大別される。主流をなした精器文化は、細石器microlithをもって特色としている。これは単に細小な石器をいうのではなく、一定の形態を予想して石核から剥取(はくしゅ)された小さい石刃(せきじん)や剥片をそのまま、あるいは側縁だけにわずかに修正を施した石器を意味している。もっとも特徴的な細石器は、細彫器microburinや梯形(ていけい)の石刃などである。精器文化の特色は、(1)細彫器を含めてさまざまな細石器が使用されたこと、(2)狩猟は、個人狩猟が主で、弓矢や投げ槍(やり)がおもな猟具であったこと、(3)漁労は、銛(もり)で行われたが、やがて釣り針や漁網が発明されたこと、(4)貝類の捕食も盛んであって、ときとしては住居の近くに貝塚を残したこと、(5)植物の球根や野生の穀草からとった穀物を食糧としたこと、(6)狩猟の効果をあげるため、イヌが家畜化されたこと、(7)遺跡によって量に差異はあるが、骨角器の使用も盛んであり、骨角や貝殻を用いたさまざまな装身具もつくられたことなどである。細石器は柄に着装して、あるいは棒の側縁に列をなしてはめ込んで使用された。
[角田文衛]
粗器文化のほうは、旧石器文化的な伝統の強い停滞的な文化であって、ヨーロッパの西部や北東部に存在した。フランスのカンピニー文化はその代表的な例である。粗製の石鍬(いしくわ)や鶴嘴斧(つるはしおの)が特徴であるが、これらは植物の採集や栽培に用いられた。
中石器文化は、解氷期という地形や気候の変化の多い時代に行われた。この厳しい環境のなかで生き抜いたため、人々はみごとな美術を育成するだけの余裕に欠けていた。スペイン東部の岩壁画は著名であるが、彫像などはみるべきものはない。停滞的な中石器文化(たとえばデンマークのエルテベーレ文化)では土器が使用されたが、これは南東から伝播(でんぱ)した新石器文化の影響によるものであろう。
[角田文衛]
同じく精器文化といっても、そこには先進的と後進的との区別があった。もっとも先進的な精器文化は、イラン西部、イラク北部、アナトリア南東部、シリア、パレスチナなどにみられた。ナトゥーフ文化(シリア)やパレガウラ文化(イラク)などの名はよく知られている。この方面では、紀元前9000年ごろに石器の磨製法が考案され、またほとんど時を同じくして穀草の栽培(農耕)とヒツジ・ヤギの飼育(牧畜)が始まり、また製陶術が開発された。いわゆる「新石器革命」neolithic revolutionである。しかし後進的な地域では、中石器文化は、前3000年ころまで、所によってはさらに長く停滞した。
中石器時代には、旧石器時代後期のような優れた芸術は育たなかった。石器も骨角器も、材料の節約が図られ、作りも精巧ではなかった。しかし新しい環境に必死の姿勢で適応しようとして試みた努力は、生産経済による文化、生活の一大躍進を招き、そこに中石器時代の文化の世界史的意義がみいだされるのである。
[角田文衛]
『G. ClarkWorld Prehistory, 3rd ed. (1977, Cambridge)』▽『T. Champion and othersPrehistoric Europe (1984. London)』▽『K. J. Narr (hrsg.)Handbuch der Urgeschichte I Ältere und Mittlere Steinzeit (1966. Bern und München)』
石器時代を3区分した際に,より古い旧石器時代と,より新しい新石器時代の中間に設定された時代名。1865年にJ.ラボックが,旧石器時代と新石器時代の2時期に石器時代を細分したのち,翌66年にウェストロップH.Westroppが小型の打製石器の時代として,中石器時代を加えたのが最初である。その後,モルガンJ.de Morganによって,明確な時代概念が与えられた。典型的な形でみられるのはヨーロッパとオリエント地域であるが,世界的な石器の小型化や水産資源の利用の拡大を一つの流れとみなし,必ずしも同一の内容をもつわけではないが,中石器時代という区分がその他の地域でも用いられている。おおむね,前1万年ころ以降の時代を指していることが多い。
現在,西ヨーロッパにおいて,中石器時代という用語は,沖積世における農耕出現以前の時期を指している。すなわち,狩猟・採集経済から食料生産経済への移行期としてとらえられている。しかし,ヨーロッパの中でも,中石器時代という用語があまり使用されず,農耕文化出現以前の最終末旧石器時代ということで続旧石器時代Epipalaeolithicの語が使われる地域もある。ヨーロッパにおける中石器時代は,きわめて小型の石器,すなわち細石器によって特徴づけられる。この細石器自体は,後期旧石器時代にすでに存在しているが,中石器時代にはとくに優勢となる。この時代のヨーロッパの大部分の地域は,温暖化が進んだため森林で被覆されるので,森林環境を切り開く木材加工具である石斧が数多く発見される。また,水中資源の用具として,櫂や舟,〈逆刺(かえし)〉のある簎(やす)や釣針なども多数見いだされる。そして,地域的な文化としてタルドノア文化,マグレモーゼ文化などの文化が成立した。ヨーロッパの後期旧石器時代の生業活動は,大型群生獣の狩猟に基礎を置いていたが,中石器時代になると,森林に生息する大きな群れをつくらない動物(ノロジカ,イノシシ,ヘラジカ)の単独生のものに変化する。デンマークの中石器時代は,時代順に,マグレモーゼ,コンゲモーゼ,エルテベレの3文化期に分けられ,最後のエルテベレ文化期には土器がともなう。この地域の中石器時代の遺跡は,水辺に近く立地し,海産魚の捕獲,貝類の採集,水鳥の狩猟などを積極的に行った証拠が残されている。
西アジアにおいては,ヨーロッパほど森林化への変化が顕著でなかったため,別な発展を遂げた。レバント地方を中心に分布する中石器時代のナトゥフ文化は,半月形の細石器,石刃,石皿,石杵などの石器群をともなっている。石刃の側縁には,穀草の刈取り時に付着した草の汁による光沢が残っている。このような事実から野生の穀物の利用に大きな比重をかけた生活を営んでいたことが理解される。レバント地方以外のナトゥフ文化に類似した石器文化,あるいはイラン・イラクのカリム・シャヒル文化でも,西アジアの中石器文化は,野生穀物および動物の利用という食料生産段階直前の様相を示している。
アフリカにおける中石器文化は,地域によって大きな差があるが,共通して石器群の細石器化が著しい。各地におけるその生業活動をみると,チュニジア,アルジェリアなどの内陸部に分布するカプサ文化では,陸産貝のエスカルゴの貝塚が示す独自な採集活動が行われ,ナイル川中流のスーダンのハルツーム文化では骨製漁具が示す河川資源利用活動を行うなど,それぞれの地域の自然環境に適応した新しい生業体系が築かれた。
インドにおいては,インダス川下流のシンド地方,グジャラートのラングナージ,西ベンガルのビルバンプール,南のタミル・ナードゥなど半島全域に細石器石器群が発見されているが,狩猟・漁労・採集の経済段階の域を脱していないと考えられている。
東南アジアでは,あまり年代の明確でない南セレベスのトアラ(トアレ)細石器文化を除くと,中石器文化と称されるものは,まったく細石器を有していない。その代表的文化は,北ベトナムの省名に基づいて名づけられたホアビン文化である。この文化は,礫器,礫斧を主体にする石器文化で,タイ,ラオス,カンボジア,ベトナム,西南中国,マレー半島,スマトラに広く分布している。ホアビン文化の遺跡の大部分が洞窟,岩陰であり,淡水産の貝塚をともない,スマトラでは大規模な海水産の貝塚もある。台湾でも,八仙洞洞窟群で土器をともなわない礫器群が発見され,獣骨とともに魚骨が発見され,漁労活動を営んでいた。ホアビン文化の北限か,ホアビン文化類似の文化の存在を認めることができる。
アジア大陸においては,石器の細小化は,ヨーロッパや他の大陸とは異なって後期旧石器初頭から開始された。シベリア,中国においては,ヨーロッパや西アジアのような幾何学的細石器を生産しなかったが,楔形細石刃核を利用して細石刃を多量に生産した。それは骨角器にはめこんで,投槍,簎として利用され,生産活動を高めた。骨角器製作に必要な各種彫器もともに発見される。これらは,前1万3000~前1万2000年以降になると,アジア大陸ほぼ全域に分布する。西シベリア,モンゴル,チベット,華南そして東北アジア一帯で見いだされる。
シベリアにおいては,前1万3000年以降の細石刃石器文化を中石器文化と呼称している。とくに,南シベリア(アンガラ川上流,バイカル湖周辺,ザバイカル)では,森林環境に変化し,それ以前のマンモス,トナカイの周氷河動物群の狩猟から,ノロ主体の狩猟へと移行した。と同時に各遺跡から魚骨が顕著に検出されるようになり,やな,網,舟を利用した漁労が開始されたと考えられている。内陸部の湖沼・河川に適応した狩猟・漁労集団へと変容したことを示している。
日本列島においては,1万3000年ほど前から,ナイフ形石器文化にかわって,細石刃文化が登場する。北海道から東北日本の地域は,楔形細石刃核をもつ細石刃文化で,一方,西南日本は円錐形ないし稜柱形の細石刃核をもつ細石刃文化で,日本列島を南北に大きく二分した文化が対立していた。東北日本に分布した楔形細石刃核をもつ文化は,石器の種類・組成から南シベリアの中石器文化の内容とよく共通している。その点から見て,日本においても,南シベリアと同様な狩猟・漁労集団へと変容したことが推測される。
ベーリング海峡を越えたアラスカやアレウト列島にも,前1万年以降になると南シベリアや日本列島北半の細石刃文化と同じ文化(デナリ石器文化)が拡散した。これより以東・以南のアメリカ大陸では,同種の細石刃文化が認められない。
南シベリアからアラスカまで,一方,日本列島,そして中国東北部,朝鮮半島まで,この地域に分布した同種の細石刃文化は,沿バイカル,ザバイカル地方に3万年以前に生まれた後期旧石器文化が,東方・南方へと拡散し,各地に同様な文化変容を起こしたものである。このような考古学的事実は,人類遺伝学の研究成果とよく一致している。北方型蒙古系集団を特徴づけるグルンストGrnst標式遺伝子は,ザバイカル北部のブリヤート集団の出現頻度を最高として,アラスカ・エスキモー,カムチャツカのコリヤーク,外モンゴル,韓国,沖縄,日本本土,北海道アイヌで高い頻度を示す。しかし,北アメリカから南アメリカへと,また中国から南方へとは,著しい落差を示している。それゆえ,日本人集団は北方型蒙古系集団に属し,そのルーツはバイカル湖周辺にあるという成果が出されている。原日本列島人の成立は,細石刃文化がザバイカルから拡散してきたときにあるということができる。
→旧石器時代
執筆者:加藤 晋平
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旧石器時代と新石器時代との間の中間の文化段階で,考古学的には,細石器の使用を指標とする。1887年,E.ピエットがフランスのマスダジル洞窟で,現生種の動物骨を含む細石器を主体とする未知の文化層を発見。ド・モルガンはこの過渡期文化を中石器文化と呼んだ。オリエントでは,パレスチナのナトゥフ文化,イラクのカリム・シャヒール文化などがあげられる。ヨーロッパの中石器文化の典型は,アジル文化,タルドノワ文化およびエルテベーレ文化である。
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…しかしその後,彼の意向に反してこの概念は世界各地で採用されることになった。なお旧石器時代と新石器時代との間に,過渡的な段階として中石器時代をおくことが,イギリスのA.ブラウンによって提唱され(1892),20世紀に入って中石器時代の概念が学界に広まるとともに,ラボックの〈新石器時代〉の一部は中石器時代に転属されることになった。ラボックが新石器時代に含めたエルテベレ文化は,現在は中石器時代文化として扱われている。…
…また該博な知識を基礎に先史時代あるいは文明の起源に関する概説書や方法論についての書物も刊行して考古学界に大きく寄与した。なかでも,その提唱は古いけれどもなお不明確であった中石器時代の概念を人類文化史の中に定着させた功績は,スーサ発掘のそれに優るとも劣らないものである。【小野山 節】。…
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