改訂新版 世界大百科事典 「ニホンザル」の意味・わかりやすい解説
ニホンザル
Japanese monkey
Macaca fuscata
霊長目オナガザル科の旧世界ザル。顔としりが赤く尾が短い日本特産のサル。ホンドニホンザルM.f.fuscataとヤクザルM.f.yakui(ヤクニホンザル)の2亜種がある。ヒトを除く現生霊長類中,最北限に分布し,青森県下北半島はその北限地として有名である。ホンドニホンザルは本州,四国,九州に広く分布し,ヤクザルは鹿児島県の屋久島にだけ生息している。
体毛は背側が淡褐色または暗灰褐色,あるいはくすんだオリーブ色などで,腹側は白く,手足の背側が黒っぽい。ヤクザルの体毛は少し濃く,粗くて長い。顔としりの皮膚は,秋から冬にかけての約4ヵ月間の交尾期には鮮紅色を増し,非交尾期には明るい肌色,あるいは赤褐色にあせる。体重は雄が10~15kg,雌が8~10kg。頭胴長は,雄が50~60cm,雌が45~50cm。尾長は約10cm。ヤクザルはこれより少し小さい。両ほおに食物をため込むほおぶくろを,しりには1対のしりだこをもつ。全生息数は1967年当時4~5万頭と推定されたが,その後の大規模な人工林の増加や,人里に出てきたサルの捕獲が相次いだため,現在は減少の一途をたどっていると推測される。ニホンザルは法律による保護獣であり,許可なく捕獲することは禁じられている。
生態
ニホンザルは秋から冬にかけて発情し,雌は約175日の妊娠期間を経て春から夏に出産する。1産1子で双子はまれ。赤ん坊は,最初は母親の腹にしがみつき,次は背に乗って運ばれ,5,6ヵ月してひとり歩きするようになる。雌は早い個体で3.5歳,雄は4.5歳の秋に性的成熟に達するが,雌の初産は6歳がふつうで,雄は8歳くらいにならないと体格的にも社会的にも一人前にならない。雄は性的成熟の前後に出自群を離脱し,他群に移籍する。寿命は25歳くらいだが,餌づけ群では30歳以上に達する個体も少なくない。雌は20歳くらいまで出産できる。
ニホンザルは暖温帯の常緑広葉樹林から冷温帯の落葉広葉樹林の深雪地帯にまで幅広い適応力をもつ。雑食性で果実,葉,芽,樹皮,キノコなどのほか,昆虫,クモ,カタツムリ,サワガニなど,また宮崎県の幸島や伊豆の波勝岬のものでは貝類,イカ,タコ,魚なども食べる。
ニホンザルの社会
自然状態では十数頭から約150頭の複雄群をつくって生活するが,餌づけされると1000頭を超す例(大分市高崎山のA群)も知られている。群れは0.25~15km2までの特定の遊動域をもっていて,それは群れの分裂などがないかぎり世代を超えて受け継がれる。ふつう,群れは数群以上が集中し,隣接群は互いに遊動域を重複させている。群れどうしが出合ったときには争いが見られることもあるが,通常は互いに避けあって生活している。彼らは夜明けとともに活動を始め,採食,休息,移動を繰り返して夕方たまり場にたどりつく。たまり場は,風をよけ朝日があたり,外敵が接近しにくい岩場などが選ばれ,サルたちは樹上で眠る。休息時には,母娘を中心とする母系血縁集団ができ,それに仲のよい雄が加わってグルーミング(毛づくろい)をしたり居眠りをしたりといった情景を見かける。移動は地上を歩くことが多く,そこにはサル道ができる。
雄は一つの群れに4,5年以上とどまることは少なく,最優位の雄さえもヒトリザルになったり他群に移籍したりする。これに対して雌は,母娘のきずなを保って原則として群れを出ることはない。すなわちニホンザルの群れは,母系血縁集団の集合体に群れ間を流転する雄が結合したもので,群れの維持,継承は母系を通じてなされる。血縁で結ばれた雌雄の間には性行動を回避する強い傾向を認めることができるが,雄の移籍も,母,姉妹とのインセスト回避に有効な役割を果たしている。また,雄の同一群内の滞在期間が4,5年以下ということは,父娘間のインセストも避けられていることになろう。さらに,交尾を通じて親しくなった相手とは次の交尾期には互いに避けあう傾向があり,この関係はその雌の娘との間にも波及するから,ここにも父娘間のインセストの歯止めができていることになる。雄の移籍は,遺伝子および自分が身につけた行動型を他群に伝播(でんぱ)させるという積極的な意味ももつ。移籍距離の最長例は箱根から伊豆の波勝岬までの60km。移籍の際には,顔見知りの雄の存在が新群への加入をスムーズにすること,移籍したと同時に出自群にさえ敵対することがあること,ふつう,新加入者は新群の雄たちの最下位につくことなどが知られている。
群れの雄間,雌間にはそれぞれ優劣の直線的順位が認められる。これはサルの社会生活に秩序を与え群れを構造化させる社会機構で,順位制と呼ばれている。群れの空間的布置は,高順位の雄を中心にして雌と子どもが集まり,その周辺に低順位の雄が位置する同心円構造に図式化できる。優位者は劣位者に対し食物や,異性への接近の優先権をもつ。けんかが起こると優位な雄がそれを抑止する。雌雄の交尾姿勢を雄間で行うマウンティング(馬乗行動)は順位確認の意味をもつ場合が多く,乗るほうが乗られるほうより優位である。しかし,マウンティングは雄間の挨拶行動としても使用される。雄の順位に対しては,年齢,個体の力量,その群れでの滞在年数が主要な決定要因となり,滞在年数が長いほど順位が高くなる傾向がある。雌の順位は家系で定まる。娘は母親のすぐ次の順位を獲得し,姉妹間は母親の庇護(ひご)をより多く受ける妹のほうが優位になる。
しかし,ニホンザルの個体交渉は優劣関係だけで説明できるものではなく,順位制の現れ方は,群れの歴史や餌づけされているかいないかなどの群れがおかれている状況,そして高順位個体の個性によっても異なってくる。一般に個体間の優劣は餌づけ群でより強く現れ,自然群では現れにくい。これは,餌づけ群では食物をめぐる争いが起こりやすく,また,つねに優劣関係が食物獲得に大きな影響を与えること,さらに雌たちの優位な雄への依存の傾向が高まることなどが原因であろう。自然群の例としては,屋久島のMu群の観察がある。この群れは1977年,Ko群から分裂してできたが,当初は隣接群としばしば敵対的出合いを繰り返した。この時期には第1位の雄,Muを中心にした典型的同心円構造が見られ,Muの他の雄に対する優位性は一目瞭然(りようぜん)であった。ところがMuの離脱後2位から1位になったAiは,しばしば雌たちから置去りにされたし,休息時には同心円構造は見られず,雄集団と雌集団が分離して両者の接点にAiが位置していた。また,Aiと第2位との雄間に優劣を現す交渉を見ることはほとんどなかった。
ニホンザルは三十数種の音声をもっている。雄が威嚇するガガガ,悲鳴のギャー,ゆっくり樹上を移動するときのホィーというまるい美しい声などが典型的なもので,その音声の多くは個体間の社会関係の調整と群れの統合に役だっている。ニホンザルの行動の中には,遺伝的,生得的なもののほかに,後天的に学習によって獲得され,またそれが群れの伝統として伝えられているものがある。幸島のサルが砂にまみれたイモを水で洗って食べるようになり,この習性が群れ全体に伝わり,さらに次の世代にも伝えられていったというのもこの例である。こういう行動をサブカルチャーと呼ぶ。
→サル
執筆者:黒田 末寿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報