南西太平洋,オーストラリアの東,東経164°~167°,南緯20°~22°に,北西から南東にかけて浮かぶ葉巻形の島。面積1万6118km2,人口23万(2004)。フランス語ではヌーベル・カレドニーNouvelle Calédonie。ローヤルティ諸島などとともにフランスの海外領ニューカレドニアを形成し,主都は南東部のヌーメア。サンゴ礁に囲まれた島で,美しい静かなラグーンがいたるところに見られる。中央を北西から南東にかけて分水嶺が走り,最高峰は北部のパニエ山(1628m)。熱帯性の気候で年平均気温は23℃であるが,南東貿易風のおかげで過ごしやすい。雨季は2~3月であるが,東海岸は西海岸の2倍の雨量がある。住民は,原住民であるメラネシア人が最も多いが,ヨーロッパ人も約5万人居住し,そのほとんどがフランス系である。1774年,キャプテン・クックがこの地を訪れ,その松の茂った尾根から故国スコットランドを思い起こし,その古名カレドニアにちなんで命名した。1853年,フランスはこの地を流刑地として,またオーストラリアに近い航行・商業の基地としての価値を認め占領した。原住民との激戦が展開されたが,結局フランスが勝ち,島はフランス領となった。64-97年,フランスの政治犯,とくに社会主義者の流刑地として利用され,現在のフランス系ヨーロッパ人の大半はその子孫である。第2次大戦中は,アメリカ海・空軍の日本への反撃基地となった。
島の経済は,1863年のニッケル鉱発見とともに飛躍的な発展を遂げ,現在では世界第2位のニッケル鉱産出地となっている。鉱物資源には恵まれ,クロム,鉄,マンガン,コバルトが豊富に埋蔵され,アンチモン,水銀,金,銀,銅も産出する。メラネシア人は,円錐形屋根をもった円い小屋に住み,農耕と漁労で生計をたてていた。彼らはとくに灌漑技術にすぐれていた。植付けのための台地を人工的につくり,それをゆるやかに傾斜させることにより上方でせき止められた水は台地から台地へ流れてゆくように工夫し,100kmに達するまで灌漑されていた。このような彼らのもっている伝統文化は,現在においては急速に失われつつある。
執筆者:吉岡 政徳 住民の民族別構成(1989)はメラネシア系45%,ヨーロッパ系34%,ウォリス諸島人9%,インドネシア系3%,タヒチ人3%など。公用語はフランス語で,通貨はフランス領ポリネシアと共通のフランス太平洋(CFP)フラン。フランス政府任命の高等弁務官が統治し,一院制の領土議会がある。
1970年代から,他のメラネシア諸国の独立もあり,メラネシア系住民による独立運動が盛んになり,80年代にはフランス軍との武力衝突事件が起きた。88年6月,フランス政府,独立派,親仏派の間でマチニョン合意と呼ばれる暫定取決めが成立,翌89年から三つの地方議会が内政を受け持ち,98年には住民投票で独立の可否を決めることになった。また,この合意によってフランス政府は道路,水道,電話,電気,学校などの社会基盤の整備に努め,メラネシア系住民の不満は和らいできた。97年には,〈主権分与方式〉で主権をフランスと共有する方向での合意がまとまりつつある。
主要輸出品のニッケル鉱の半分は半製品として日本に輸出される。1892年からニッケル鉱山へ約5000人の日本人出稼ぎ労働者が渡島し,今も日系二世,三世がヌーメアに住んでいる。太平洋共同体(旧,南太平洋委員会)の本部がヌーメアに置かれている。
執筆者:青木 公
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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