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ネ・ウィン Ne Win

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ネ・ウィン
Ne Win

[生]1911.5.24. パウンデー
[没]2002.12.5. ヤンゴン
ビルマ (現ミャンマー) の軍人,政治家。 1932年ラングーン (現ヤンゴン) のユニバーシティ・カレッジ卒業後,郵便電信局に勤務。 1930年代後半に民族主義運動に参加。第2次世界大戦の初期,海南島で日本軍の軍事訓練を受け,1941年ビルマ独立軍の先遣隊を率いて帰国,イギリス軍と戦ったが,のちビルマ独立の父アウン・サンとともにイギリス軍に協力し抗日ゲリラ活動を行なった。戦後アウン・サンが暗殺されたあとビルマ軍建設の中心人物となった。 1949年4月~50年 10月ウー・ヌ内閣副首相。 1958年ウー・ヌ首相の依頼で選挙管理内閣を組織し,首相に就任。 1960年辞任。 1962年3月クーデターを起こし,革命評議会議長として首相と大統領を兼ね,国防大臣,総合参謀総長,ビルマ社会主義計画党総裁も兼任した。 1972年軍役を退き,1974年3月新憲法下で国家評議会議長兼大統領に就任。 1981年 11月辞任。 1988年7月,党総裁辞任。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ネ・ウィン
ねうぃん
Ne Win
(1911―2002)

ビルマ(現ミャンマー)の軍人政治家。プローム県生まれ。1932年ラングーン大学(現ヤンゴン大学)退学後、タキン党員として反英独立運動に参加。1941年(昭和16)渡日、海南島で軍事訓練を受けるも、1944年アウンサンらとともに抗日運動に転じ、1948年独立ビルマの参謀総長となる。1958~1960年選挙管理内閣を組閣。1962年3月、軍事クーデターでウー・ヌ政権を打倒、革命評議会議長として「ビルマ型社会主義」の名のもとに経済機構の国有化、厳正非同盟路線を推進した。1974年革命評議会を解散して民政移管、自ら大統領に就任。1981年サン・ユSan Yu(1918―1996)に大統領職を譲ったが、単一支配政党のビルマ社会主義計画党議長として強大な影響力を保持した。四半世紀余りの鎖国と社会主義体制のもとで進行した経済疲弊と、民主化抑圧に対する国民の不満が台頭しつつあった1988年、すべての公職を辞任、引退した。しかし、ネ・ウィンとともに権力を独占してきた軍部は、その後も強権的支配体制を維持し、民主化を求めるアウンサンスーチーらの野党「国民民主連盟」(NLD=National League for Democracy)を抑圧し続けた。[黒柳米司]

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367日誕生日大事典の解説

ネ・ウィン

生年月日:1911年5月24日
ミャンマーの政治家;軍人
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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