アウンサンスーチー(読み)あうんさんすーちー(英語表記)Aung San Suu Kyi

翻訳|Aung San Suu Kyi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アウンサンスーチー」の意味・わかりやすい解説

アウンサンスーチー
あうんさんすーちー
Aung San Suu Kyi
(1945― )

ミャンマービルマ)の反体制民主化運動指導者。ヤンゴンラングーン)生まれ。イギリスによる植民地支配に抗して闘い、独立達成寸前に暗殺された「建国の父」アウンサン将軍の長女。1967年にイギリスのオックスフォード大学を卒業。1972年にイギリス人学者マイケル・アリスMichael Aris(1946―1999)と結婚。オックスフォード大学講師などを務め、1985年(昭和60)10月から1986年6月まで、京都大学東南アジア研究所研究員として滞日したことがある。1988年4月、ミャンマーで民主化運動が高まり、軍の実力行使による内乱状態のなか、イギリスから帰国。「非暴力不服従」を唱え、反政府民主化運動の指導者となる。同年9月、最大野党「国民民主連盟NLD=National League for Democracy)」の総書記に就任したが、軍事クーデターで民主化運動は鎮圧された。1989年7月以来、国家保護法の名目軍事政権によって自宅軟禁を強いられていたが、1995年7月、軟禁を解除された。1991年にノーベル平和賞を受賞。2000年9月、政府により、行動制限措置(自宅軟禁)を受ける。2002年5月措置を解除され、以後地方訪問や軍政批判の活動を行ってきたが、2003年5月マンダレー近郊で政府に拘束された。日本政府はこの拘束への制裁としてミャンマーへのODA(政府開発援助)の凍結を決定した。2003年9月からふたたび自宅軟禁。2010年11月、軟禁措置は解除され、2011年8月にはミャンマー新政府大統領テイン・セインThein Sein(1945― )と初めて会談した。2012年1月国民民主連盟中央執行委員会議長に就任し、4月に行われた上下両院および地方議会補欠選挙では、初めて選挙に参加して下院議員に当選。また、アウンサンスーチー率いる国民民主連盟は1990年の総選挙以来22年ぶりに選挙に参加し、補選の対象となった45議席中43議席を獲得した。

 2015年の総選挙では国民民主連盟が圧勝し、民主的政権に移った。2020年の総選挙でも国民民主連盟は大勝したが、惨敗した国軍系政党の連邦連帯開発党(USDP)は選挙に不正があったと主張した。2021年2月、国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチーは拘束。軍事政権下、収賄・選挙違反などの罪で収監されている。

[編集部]

『伊野憲治編訳『アウンサンスーチー演説集』(1996・みすず書房)』『アウンサンスーチー著、土佐桂子、永井浩訳『ビルマからの手紙』(1996・毎日新聞社)』『アウンサンスーチー著、大石幹夫訳『増補版 希望の声――アラン・クレメンツとの対話』(2008・岩波書店)』『田辺寿夫、根本敬著『ビルマ軍事政権とアウンサンスーチー』(2003・角川書店)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アウンサンスーチー」の意味・わかりやすい解説

アウン・サン・スー・チー
Aung San Suu Kyi

[生]1945.6.19. ビルマ,ラングーン
ミャンマーの政治家,民主化運動指導者。ミャンマー独立運動の父と呼ばれるアウン・サンの長女,母は著名な外交官。1960年母のインド大使着任に伴ってインドに渡り,当地で教育を受けた。その後,イギリスのオックスフォード大学に留学,政治学,哲学,経済学を学んだ。1972年イギリス人学者マイケル・エアリスと結婚。1988年に単身帰国,軍事独裁政権に抵抗して同 1988年9月に国民民主連盟 NLDを創設,書記長に就任した。反政府運動を率いて活躍したが,1989年7月にティン・ウ NLD議長とともに自宅軟禁処分となった。軍事政権から国外退去を条件に自由を認める提案を受けたが拒絶。1991年 NLD書記長を解任されたが,1995年7月に軟禁を解かれると 10月には NLD書記長に復帰。2000年9月から 2002年5月まで再度自宅軟禁。2003年に再び自宅軟禁となり,2009年に国家転覆防御法違反で逮捕され,有罪判決を受けた。2010年に NLD解党。2011年8月,文民出身のテイン・セイン大統領との会談が実現,同年 12月にはアメリカ合衆国のヒラリー・R.クリントン国務長官と会談した。2012年4月に実施された下院補欠選挙に復党した NLDから出馬して当選を果たした。1991年,非暴力によるミャンマーの民主化運動への貢献によりノーベル平和賞を受賞,同年サハロフ賞も受賞した。著書に『自由 自ら綴った祖国愛の記録』Freedom from Fear: And Other Writings(1995),『増補復刻版 ビルマからの手紙 1995~1996』Letters from Burma(1997)など。

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