ノリクム(その他表記)Noricum

改訂新版 世界大百科事典 「ノリクム」の意味・わかりやすい解説

ノリクム
Noricum

ローマ帝国の属州。ドナウ川南岸,アルプス東端部の地方で,ほぼ今日のオーストリアに相当した。前2世紀にはケルト部族連合国家(ノリクム王国)が成立,前15年ころ比較的平和裏にローマの支配下に入り,クラウディウス治下に第2級の皇帝管轄属州となる。ディオクレティアヌスの帝国再編では,ノリクム・リペンセNoricum Ripense(〈河岸のノリクム〉の意)とノリクム・メディテラネウムNoricum Mediterraneum(〈地中海側のノリクム〉の意)の2州に分けられた。4世紀以後ゲルマン諸族に蹂躙じゆうりん)され,オドアケルはこの地を放棄した。その後東ゴート王国に編入されたが,536年ころフランクに,568年にはランゴバルドに占領され,6世紀末スラブ人アバール人が到来するに及んで,イタリアとの関係は完全に断たれた。鉄,羊毛,馬などを産した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ノリクム」の意味・わかりやすい解説

ノリクム
Noricum

古代ローマ時代のドナウ川南部,オーストリア中央部,バイエルンの一部を含む地域の名称。初期のケルト王国のノリクムは周辺地方を含め,さらに広大な地域であったが,前2世紀末頃,ゲルマンのキンブリ族猛攻を受けた際,ローマの救援を得,その後はローマの保護下に入り,後期ラ・テーヌ時代の優秀な文化を発達させた。やがて前 15年頃ローマに併合されて属州となり,急速にローマ化が進められた。鉱物資源,特に鉄と金の産出で知られ,原鉄は多量にローマに輸出され,ノリクムの刀剣は前1世紀の詩人ホラチウスの作品にもしばしば歌われている。 167年のマルコマンニ族侵入をはじめゲルマン諸族の攻撃が続いたが,5世紀末までにフランク族ゴート人が定住するにいたった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ノリクム」の意味・わかりやすい解説

ノリクム
のりくむ
Noricum

古代ローマ帝国の属州。アルプス東部、ドナウ川南岸の地域で、パンノニアラエティアの間に位置する。ほぼ今日のオーストリアにあたる。先住民はイリリア系であったがしだいにケルト化し、紀元前2世紀にはノリクム王国ができた。前15年ごろ、比較的平和のうちにローマに併合され、徐々に属州統治の機構が整備された。ディオクレティアヌス帝の帝国再編で2州に分けられた。紀元後4世紀末以後、民族移動の場となり、ゲルマン系諸部族、フン人、スラブ人、アバール人などが相次いで侵入し、6世紀末にはイタリアとの関係は完全に断たれた。

[市川雅俊]

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世界大百科事典(旧版)内のノリクムの言及

【シュタイアーマルク】より

… 古くはケルト人が居住。のちローマの属州ノリクムNoricumおよびパンノニアPannoniaの一部となる。6世紀以降南スラブ系のスロベニア人が進出し,8世紀後半からバイエルン大公,次いでフランク国王の宗主権に服し,ゲルマン化が進む。…

※「ノリクム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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