ハインリヒ[獅子公]
Heinrich der Löwe
生没年:1129?-95
ウェルフェン家のザクセン,バイエルン大公。神聖ローマ皇帝ロータル3世は義父。イングランド王ヘンリー2世の王女マティルデを妃とする。シュタウフェン家の国王フリードリヒ1世との政治的和解により,東北ドイツでほとんどフリーハンドの領邦形成・拡張政策を展開,バルト海沿岸地方にまで支配を広げるとともに,同地方の教会支配権をもにぎる。内では都市建設を推し進め,ブラウンシュワイクを事実上の首都として,国王級の宮殿を造営する。フリードリヒ1世との対立は,公のイタリア出兵拒否によって決定的となり,1179年から80年にかけて皇帝は公をラント法に基づく裁判とレーン法に基づく裁判にかける。これに対しても公は出頭を拒否したが,そのゆえに有罪判決が下され,皇帝は帝国諸侯の支持によりつつ公を追放し,帝国レーンを没収した。公はイギリスでの一時亡命から帰国した後,フリードリヒ1世を継いだハインリヒ6世と和解したが,かつての大公位に復帰することはできず,ブラウンシュワイクとリューネブルクの世襲領を領有するのみにとどまった。
執筆者:山田 欣吾
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ハインリヒ獅子公
ハインリヒししこう
Heinrich der Löwe
[生]1129頃
[没]1195.8.6. ブラウンシュワイク
ザクセン公 (在位 1142~80) ,バイエルン公 (在位 56~80) 。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世 (赤髯王)に従ってポーランド,イタリアに戦い,獅子公の称を得た。北部ドイツから東部ドイツへかけて勢力を伸ばし,東部植民を強力に推進した。リューベック市は実質的には獅子公の建設した都市である。しかし彼の勢力拡大欲があまりにも強烈であったため,近隣諸侯の嫉視を招き,やがて皇帝フリードリヒ1世とも対立し,不服従の罪によって失脚,その所領を没収された。獅子公はイングランド王ヘンリー2世の王女を2度目の妃としていた関係上,イングランドに逃れることができ,フリードリヒ没後再起をはかったが失敗した。彼の失脚はドイツ分裂を促進し,ザクセン公の勢力はこれ以後弱体化した。
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ハインリヒ獅子公(ハインリヒししこう)
Heinrich der Löwe
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ハインリヒ獅子公
ハインリヒししこう
Heinrich der Löwe
1129〜95
中世ドイツのベルフェン家の貴族。ザクセン公(在位1139〜80),バイエルン公(在位1156〜80)
エルベ川以東の開拓(東方植民)につとめ,ミュンヘン・リューベックを建設し,多くの司教区を設置した。のち皇帝フリードリヒ1世と対立し,2度追放された。
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世界大百科事典(旧版)内のハインリヒ獅子公の言及
【ザクセン】より
…ザクセンも東からのスラブ人の圧力,北からのノルマン人(北ゲルマン人)の侵入に対し自力で対抗せざるをえなかったが,その際,指導者としての頭角を徐々にあらわし,ついに部族全体に対する大公dux(ドイツ語ではヘルツォークHerzog)の地位を築くのに成功したのがオストファーレンに勢力をはるリウドルフィング(リウドルフ)家Liudolfingerであった。しかも同家の[ハインリヒ1世]は,919年,コンラート1世の後をうけ,フランク族以外の出身者としてはじめてドイツ王位につく。これ以来,同家は1世紀余にわたりドイツ王国を支配したばかりでなく,オットー1世が皇帝位をえてからは(962),西方キリスト教世界全体を防衛,統治する任務をも負うことになった([ザクセン朝])。…
【ブラウンシュワイク】より
…この宿営地型非農業集落(ウィク)と,ほぼ1000年前後にオカー川の中州につくられたブルクとを二つの核として,12世紀に急速な都市的発展がなしとげられる。すなわち,ザクセン大公ハインリヒ獅子公がここに,王城をしのぐ宮殿と大聖堂とを造営した。13世紀に入ると,商人・手工業者市区の住民たちは,共同体的結集を強めて都市君主から自治権を獲得し,14世紀にはハンザ同盟に加わったほか,ザクセン都市同盟の中心として活躍した。…
【リューベック】より
…ケルンなどローマ時代以来の歴史を有する西方都市とは異なり,中世における東部植民の進展に応じて建設された比較的歴史の浅い都市である。12世紀中ごろに領内の経済発展を願うザクセン公[ハインリヒ]獅子公が,西方から企業心に富む人々を招いてバルト貿易の拠点とするために建設させた。当初から市民団の独立性が強く,ケルンの都市法に淵源をもつ独自の都市法が許された。…
※「ハインリヒ獅子公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」