ハウサ諸国(読み)ハウサしょこく

改訂新版 世界大百科事典 「ハウサ諸国」の意味・わかりやすい解説

ハウサ諸国 (ハウサしょこく)

西アフリカ,ニジェール川東部に広がるハウサランドHausaland(現在のナイジェリア北部)で,過去多少なりとも運命共同体的な状況に置かれながら興亡した一群ハウサ族国家。これらの国家は19世紀のフルベ(フラニ)族によるジハード聖戦)で征服された際,いっさいの記録が灰燼に帰してしまったため,以前の詳細についてははっきりしていない。しかし19世紀末にアラビア語で書かれた《カノ年代記》によって多少の事実がわかっている。ハウサ諸国をつくった人々は本来ダウラという伝説的な土地から移住してきたと伝えられているが,14世紀までには,ハウサランドに7~8の国家をつくっていた。伝説では七つの国といわれるが,7は神話上意味をもつ数であり,実際の数は時期によって違っていたようである。ゴビルカノカツィナ,ザリアなどが名の知られた主要な国家である。

 これらの国家は,城壁に囲まれた都市を,畑作を行う村落群が取り囲む都市国家であった。起源においても,文化の内容においても,共通性をもった国家だったが,軍事的な連合を組むことはなかった。したがって,ハウサ諸国が周囲の諸国に対しその力を誇示するようなことがなかったばかりか,むしろ逆に劣勢な地位にあった。たとえば,東方カネム・ボルヌー帝国朝貢国であったが,1512年には西のソンガイ帝国に支配されて朝貢を強いられ,したがって2国に朝貢していた事実もある。しかし北アフリカと西アフリカを結ぶ交易によって栄えたようであり,16世紀に訪れたレオ・アフリカヌスは,これらの国家には多数の穀物織物,工芸品があり,住民は裕福に生活していることを《アフリカ誌》に記している。これらの国家も19世紀半ばにはフルベ族のジハードによって完全に征服され,独立を失い,さらに20世紀初頭にはイギリスの支配下に入った。
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百科事典マイペディア 「ハウサ諸国」の意味・わかりやすい解説

ハウサ諸国【ハウサしょこく】

ナイジェリア北部につくられたハウサ族の国家群。建国時期は定かではないが,少なくとも14世紀までにサルキー(王)を中心とする7〜8の小国家がつくられてイスラム化し,それらがゆるやかな連合を形成していた。これらの国家は,城壁で囲まれた都市を中心に発展した。特にカノやカツィナといった国家はサハラ交易によって栄えた。しかし,19世紀半ばにはフルベ(フラニ)族を中心とするジハード(聖戦)によって征服された。19世紀にアラビア語で記された《カノ年代記》はハウサ諸国に関する貴重な史料。
→関連項目ソンガイ帝国レオ・アフリカヌス

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世界大百科事典(旧版)内のハウサ諸国の言及

【ナイジェリア】より

…ハウサはモロコシ,ミレット,トウモロコシ,ラッカセイ,ワタなどを栽培する農耕民であるが,同時に広域に展開する商業活動でも有名である。14世紀後半にはイスラムが入り,イスラム的要素の強い,囲壁をもつ都市を核として,カノ,ダウラ,ラノ,カツィナ,ザリア(ザザウ),ゴビル,ビラナの七つの国家(ハウサ諸国)を形成した。16世紀初めにはソンガイ帝国の支配下に置かれたが,16世紀末にはその支配を逃れ,各都市はサハラ砂漠南縁に位置することによって,長距離交易の終結点として商業的繁栄をみせた。…

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