ハチャトゥリアン(読み)はちゃとぅりあん(英語表記)Арам Ильич Хачатурян/Aram Il'ich Hachaturyan

精選版 日本国語大辞典 「ハチャトゥリアン」の意味・読み・例文・類語

ハチャトゥリアン

(Aram Il'ič Hačaturjan アラム=イリイチ━) ソ連の作曲家。アルメニア出身。モスクワ音楽院卒。アルメニア、カフカスなどの民族音楽素材に、リズム感あふれる作品を書く。代表作バレエ音楽ガイーヌガヤネー)」「スパルタクス」など。(一九〇三‐七八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハチャトゥリアン」の意味・わかりやすい解説

ハチャトゥリアン
はちゃとぅりあん
Арам Ильич Хачатурян/Aram Il'ich Hachaturyan
(1903―1978)

ソ連の作曲家。ジョージアグルジア)の首都チフリス(現、トビリシ)生まれのアルメニア人。製本工の家に生まれ、1921年モスクワに行き、翌1922年モスクワ大学植物科、さらにグネーシン音楽アカデミーに入学、まずチェロを学び、1925年から同アカデミーの作曲クラスに入る。1929年からモスクワ音楽院でミャスコフスキーに作曲を学び、卒業資格を得たのちも1937年まで修士課程に学ぶという晩学の徒であった。その間、アルメニアの民族色の濃いピアノ協奏曲を作曲(1936)、続くバイオリン協奏曲(1940)で名声を確立した。第二次世界大戦中にアルメニアに題材をとったバレエ『ガイーヌ(ガヤネー)』(1942)は大成功を博した。1937年からソビエト作曲家連盟の中心的存在として活躍していたが、1948年にスターリン政策下のジダーノフ批判では、彼の作風が外面的・形式的であるとしてショスタコビチプロコフィエフとともに非難を浴びた。その後は自作の改良に努めるとともに、論文「創造の大胆さとインスピレーションについて」(1953)によってスターリン時代の音楽の欠点を指摘した。作風には、故郷アルメニアの民族色とソ連の古典的伝統の融合、音楽語法の活力、管弦楽法の色彩感があげられる。作品は、三つの交響曲(1935、1943、1947)、バレエ『スパルタクス』(1952~1954)ほか多数。

[船山信子]

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「ハチャトゥリアン」の解説

ハチャトゥリアン

グルシア生まれのアルメニア人。幼少の頃から、カフカサス地方の民族音楽を聴き育つ。1925年にグネーシン音楽学校に入学。そこで作曲家としての才能を認められる。1929年にモスクワ音楽院でミャスコフスキイ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

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