ハドソン(その他表記)Hudson, Rock

デジタル大辞泉 「ハドソン」の意味・読み・例文・類語

ハドソン(William Henry Hudson)

[1841~1922]英国の博物学者・小説家。米国人を両親にアルゼンチンで生まれ、のち英国に帰化。自然、特に鳥類の観察をもとにした随筆・小説で有名。随筆「ラ‐プラタの博物学者」、小説「緑の館」、自伝「はるかな国、遠い昔」など。

ハドソン(Henry Hudson)

[1550ころ~1611]英国の航海家。新航路を求め、北アメリカ東岸を探検した。ハドソン川ハドソン湾はその名にちなむ。

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精選版 日本国語大辞典 「ハドソン」の意味・読み・例文・類語

ハドソン

  1. [ 一 ] ( William Henry Hudson ウィリアム=ヘンリー━ ) イギリスの博物学者、小説家、随筆家。アルゼンチン生まれ。動植物、特に鳥類の生態を観察し、自然を背景とする小説、エッセーなどを発表した。代表作「ラプラタの博物学者」「緑の館」。(一八四一‐一九二二
  2. [ 二 ] ( Henry Hudson ヘンリー━ ) イギリスの航海者。一六〇七年以降四回、イギリスから東洋に至る北西航路を探検し、北アメリカ東海岸の湾・川を発見して自分の名をつけたが、船員の反乱で消息不明となった。一六一一年没。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハドソン」の意味・わかりやすい解説

ハドソン
Hudson, Rock

[生]1925.11.17. イリノイウィネトカ
[没]1985.10.2. カリフォルニア,ビバリーヒルズ
アメリカ合衆国の俳優。本名 Roy Harold Scherer, Jr.,のちに Roy Fitzgerald。二枚目俳優として知られ,1950~60年代は映画,1970年代以降はおもにテレビで活躍した。第2次世界大戦中は海軍で兵役につき,1946年に俳優を志してハリウッドに移る。1947年タレントスカウトの目に留まり,ジブラルタルの岩 Rock of Gibraltarとハドソン川 Hudson Riverにちなんでロック・ハドソンの芸名をもらう。ワーナー・ブラザーズと契約し,『特攻戦闘機中隊』Fighter Squadron(1948)で映画デビュー。1年後,ユニバーサルに移籍。『心のともしび』Magnificent Obsession(1954)で主役を演じ,スターの地位を確立した。『ジャイアンツ』Giant(1956)では昔かたぎの牧場主を好演し,アカデミー賞主演男優賞にノミネート。1950年代の終わりには,ハリウッドの稼ぎ頭の一人に数えられた。ドリス・デーと共演した『花は贈らないで!』Send Me No Flowers(1964)などの作品ではコメディの才能も披露している。エイズによる合併症のため 59歳で死去する直前に,同性愛者であることを公表。エイズの恐ろしさに対する認識を高めることに大きく貢献した。

ハドソン
Hudson, Henry

[生]1550頃
[没]1611
イギリスの航海者,探検家。北極海経由の中国航路を求めて4回の航海を行う。第1回目は 1607年ロシア会社のためになされ,ヤンマイエン島を見出す。 08年同会社の要請でスピッツベルゲンとノバヤゼムリヤ間の中国航路を探索。 09年オランダ東インド会社の依頼で第3回目の航海に出発,彼の名にちなんだハドソン湾を経て,ニューアムステルダムにいたり,さらにハドソン川をさかのぼりオールバニ近くに達した。 10年第4回目の航海のためロンドンを出発。6月中頃ハドソン海峡を通り,8月ハドソン湾に達した。食糧不足から隊員間に不和を生じ,息子および仲間7名とともにボートに強制移乗させられ,漂流,消息不明となった。

ハドソン
Hudson, Manley Ottmer

[生]1886.5.19. セントピータース
[没]1960.4.13. ケンブリッジ
アメリカの法学者。ミズーリ,ハーバード両大学教授。アメリカの国際連盟加盟を強く主張したが果せず,1919年みずから国際連盟事務局に入り,各種の国際会議法律顧問として参加。国際裁判の研究に精力を注ぎ,33年常設仲裁裁判所裁判官,36年から 10年間,常設国際司法裁判所判事をつとめた。主著『国際組織の発展』 Progress in International Organization (1932) ,『常設国際司法裁判所』 The Permanent Court of International Justice (34) ,『国際裁判所──過去と未来』 International Tribunals,Past and Future (44) 。

ハドソン
Hudson, William Henry

[生]1841.8.4. ブエノスアイレス近郊
[没]1922.8.18. ロンドン
イギリスの作家,博物学者。放浪生活ののち 1874年イギリスに定住,南アメリカを舞台としたロマンスを書いた。代表作『ラ・プラタの博物学者』 The naturalist in La Plata (1892) ,『緑の館』 Green Mansions (1904) ,自伝『遠い国,はるかな昔』 Far Away and Long Ago (18) のほか,イギリスの田園を描いた『イギリス徒歩旅行』 Afoot in England (09) や鳥類の研究がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハドソン」の意味・わかりやすい解説

ハドソン(William Henry Hudson)
はどそん
William Henry Hudson
(1841―1922)

イギリスの小説家、博物学者。アルゼンチンのブエノス・アイレスに近いラ・プラタで、アメリカ人家庭に生まれる。1869年イギリスに移住し、1900年に帰化したが、晩年まで貧困で孤独な生活を送る。子供のころから自然の観察に興味をもち、著作には『ラ・プラタの博物学者』(1892)など鳥の生態を描いたものが多い。『羊飼いの生活』(1910)は一人の羊飼いを中心に人間と動物とが一体となって暮らすイギリスの田園生活を描いた傑作である。作家として名声を確立した作品は、南アメリカの森林を舞台に、幻想的少女リーマの恋物語を配した活劇的ロマンス『緑の館(やかた)』(1904)であろう。南アメリカでの少年時代は『はるかな国、遠い昔』(1918)に詳しい。

[前川祐一]


ハドソン(Henry Hudson)
はどそん
Henry Hudson
(1550ころ―1611)

イギリスの探検航海者。1607年からロシア会社のために北西航路、北東航路の開拓に努め、09年オランダ東インド会社の依頼でふたたび新航路開拓を試み、ノバヤ・ゼムリャ島に達したのち、西進してアメリカ大陸に至り、ハドソン川をオルバニーまで遡行(そこう)して、オランダのニュー・アムステルダム植民地の基礎を築いた。さらに翌年イギリス商人たちの援助のもとに北西航路探索の航海に出発し、カナダ北部を探検してハドソン湾(この名称は彼の名にちなんだもの)一帯を調べ、イギリスの北カナダ支配の基礎をつくったが、まもなく乗組員の反感を招き、息子ジョンおよび同志7名とともにボートに移乗させられ、そのまま行方不明になった。

[松村 赳]

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改訂新版 世界大百科事典 「ハドソン」の意味・わかりやすい解説

ハドソン
Henry Hudson
生没年:?-1611

イギリスの海洋探検家。前半生は不詳。北西航路開拓を目ざして1607年から4回にわたり北アメリカ東岸を北上した。最初はバレンツ海を北緯80°23′まで進んだ。09年の第3回にはハドソン川をさかのぼり,河口から240kmの地点のオルバニーに至る。探検を委託したオランダ東インド会社がその河口に植民地を建設したのが今日のニューヨーク市である。10年イギリス商人の依頼で最後の航海に出て,初めてハドソン海峡を通過,ハドソン湾を発見,そこで越冬後,部下に置去りにされて行方不明となった。
執筆者:


ハドソン
William Henry Hudson
生没年:1841-1922

イギリスの博物学者,文学者。アメリカ人を父母としてアルゼンチンに生まれたが,1869年イギリスに移住,1900年に帰化。自然を愛し,とくに鳥類の生態に詳しい。《ラ・プラタの博物学者》(1892),自叙伝《はるかな国,遠い昔》(1918),幻想的なロマンス小説《緑の館》(1904)など,いずれも若いころ過ごした南アメリカの自然,大地と動物の観察から生まれた美しい描写にみちあふれている。
執筆者:

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日本の企業がわかる事典2014-2015 「ハドソン」の解説

ハドソン

正式社名「株式会社ハドソン」。英文社名「HUDSON SOFT COMPANY, LIMITED」。情報・通信業。昭和48年(1973)「有限会社ハドソン」設立。同59年(1984)株式会社化。本社は東京都港区赤坂。コナミ子会社のゲームソフト開発会社。家庭用ゲーム機向けソフトで成長。携帯電話向けコンテンツ配信やインターネットのオンラインゲームの制作も行う。JASDAQ旧上場。平成23年(2011)完全子会社化にともない上場廃止。同24年(2012)コナミデジタルエンタテインメントに吸収合併。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハドソン」の解説

ハドソン
Henry Hudson

?~1611

イングランド人の航海家,探検家。最初は北東航路を探ったが成功せず,ついで北西航路を求めて北アメリカ東岸を探検。1609年にはオランダ東インド会社に雇われてハドソン川を探検し,10年にはハドソン湾で越冬したが,隊員の反乱を招き,行方不明になった。

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百科事典マイペディア 「ハドソン」の意味・わかりやすい解説

ハドソン[川]【ハドソン】

米国,ニューヨーク州北東部の川。アディロンダック山地に発し,南流して大西洋に注ぐ。河口東岸にニューヨーク市がある。1609年英国人H.ハドソンが探検。1825年エリー運河の開通で内陸水路としての重要性を増し,ニューヨーク市発展の基礎となった。全長507km。

ハドソン

英国の航海者。1607年以後4回,東洋に至るために北西航路を探検し,第4回の航海では北米のハドソン湾に達したが,1611年船員の反抗にあい,ボートに置き去られ消息不明となった。ハドソン川,ハドソン湾は彼の名にちなむ。
→関連項目北極地方

ハドソン

英国の博物学者,小説家。米国人の子としてアルゼンチンに生まれ1900年に英国に帰化。南米の自然と動物を描いた《ラ・プラタの博物学者》は古典的名著。そのほか自伝《はるかな国,遠い昔》,小説《緑の館》等を残した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハドソン」の解説

ハドソン
Henry Hudson

1550ごろ〜1611
イギリスの航海者・北アメリカ探検家
オランダ東インド会社の依頼で3度航海を企画。1609年北アメリカ東海岸に到達してハドソン川を発見し,ニューアムステルダム(のちのニューヨーク)の基礎をつくった。

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世界大百科事典(旧版)内のハドソンの言及

【北極】より

…1585‐87年イギリスのデービスJohn Davis(1550?‐1605)はグリーンランドとバフィン島との間にデービス海峡を発見し,北極圏を突破した。同じくイギリスのハドソンHenry Hudson(?‐1611)は北東航路探査に失敗したあと南下して北アメリカ沿岸を探検してハドソン川を発見し,ハドソン湾も発見したが,1611年部下に置き去りにされ現地で死亡した。16年にイギリスのバフィンWilliam Baffin(?‐1622)は北西航路を求めてバフィン湾を発見,バフィン島北東岸を調査したが航路の発見には失敗した。…

【ニューヨーク】より

…アメリカ合衆国の最大都市。ニューヨーク州の南東端,ハドソン川河口の大西洋岸に位置する。面積780km2,人口733万(1994)。…

【北極】より

…1585‐87年イギリスのデービスJohn Davis(1550?‐1605)はグリーンランドとバフィン島との間にデービス海峡を発見し,北極圏を突破した。同じくイギリスのハドソンHenry Hudson(?‐1611)は北東航路探査に失敗したあと南下して北アメリカ沿岸を探検してハドソン川を発見し,ハドソン湾も発見したが,1611年部下に置き去りにされ現地で死亡した。16年にイギリスのバフィンWilliam Baffin(?‐1622)は北西航路を求めてバフィン湾を発見,バフィン島北東岸を調査したが航路の発見には失敗した。…

※「ハドソン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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