1625年、オランダ西インド会社が今日のニューヨーク市のマンハッタン島に建設したオランダ領植民地。17世紀前半にはオランダの奴隷貿易、砂糖貿易、毛皮交易の拠点として重要な役割を果たした。八角形の砦(とりで)を中心に入植地が建設されたが、総督キーフトの強引なインディアン政策の結果、1640~50年代には先住民諸部族との戦争が頻発し、その発展が阻まれた。1664年と74年にイギリスに占領され、ニューヨーク植民地と改名された。
[富田虎男]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
現在のニューヨーク市マンハッタン地区にオランダ人が1625年に建設した町。64年にイギリス領となり,ニューヨークと改名された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…しかし会社はシャム(タイ),日本には進出して,日本と中国との間の貿易に参入した。オランダはこのほか北アメリカ大陸にも進出し,1614年にはニューアムステルダム(現在のニューヨーク)を建設した。 新大陸におけるイギリスの進出はカリブ海(1604以降),バージニア(1607以降),ニューファンドランド(1610以降),ニューイングランド(1620以降)で行われた。…
…会社はアムステルダム,ゼーラントなど五つの支店(カーメルKamer)に分かれ,19人の取締役が置かれ,貿易よりもスペインの植民地,銀船隊の襲撃など,スペインの海上勢力打破に力を注いだ。会社は急速に発展し,1461年ころその勢力は絶頂に達し,北アメリカのハドソン川河口にニューネーデルラントNieuw‐Nederland植民地を築いてそこにニューアムステルダムNieuw‐Amsterdam(現,ニューヨーク)を建設した。1580年以降はスペインに併合されていたポルトガルの植民地ブラジルを占領し,ギアナ,アンティル諸島を植民地とし,アフリカ西岸にも勢力を確立した。…
…
【歴史】
1524年,ヨーロッパ人として初めてマンハッタン島を発見したのは,現在ベラザノ・ナローズ橋にその名をとどめるイタリア人航海者G.daベラツァーノであったといわれる。1609年にはオランダに雇われたイギリス人H.ハドソンが現ハドソン川を遡航,オランダは20年代から植民に乗り出し,26年にはマナハッタ(マンハッタンの語源)・インディアンに60ギルダー(約24ドル)相当の品物を渡して島を手に入れ,ニューネーデルラント植民地の主都ニューアムステルダムとした。53年,島の南部にインディアンやイギリス人の侵入を防ぐために城壁(ウォール)が築かれた。…
※「ニューアムステルダム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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