精選版 日本国語大辞典 「ハーシェル」の意味・読み・例文・類語
ハーシェル
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
イギリスの天文学者。ドイツのハノーファーの生れで,ドイツ名Friedrich Wilhelm Herschel。同地で音楽を学んで軍楽隊員となった。1757年イギリスに渡り各地で音楽を教えていたが,66年に保養地バースの楽団指揮者および教会のオルガン奏者となった。70年ころから天文学に興味をもち,天文書を読むだけではあきたらず,やがて反射望遠鏡を自作するまでになった。74年には口径13cm,また78年には口径16cmで焦点距離210cmの非常にすぐれた望遠鏡を作って,掃天観測を行った。空の星を数え尽くして宇宙の構造を究めようとする遠大な計画である。そして81年3月13日に思いがけなくも天王星を発見し,この功績で82年国王づき天文官となった。ハーシェルの星を眺める熱意に幸運の女神がほほえんだものである。
ハーシェルはこれに力を得て,妹のカロリンを助手として天体観測に精進した。83年には口径48cm,焦点距離6mの大反射望遠鏡を作り,前述の掃天観測を一歩進めて,85年に〈ハーシェル宇宙〉を提唱し,科学的宇宙論の先がけとなった。また,87年にこの望遠鏡によって天王星の衛星2個を発見した。89年には口径122cm,焦点距離12mの当時世界最大の望遠鏡を完成して,土星の近接衛星2個を発見した。以上のほか,1783年に当時知られていた13個の恒星固有運動のデータを使って太陽向点(太陽系の空間運動の方向)を求めた。800個の二重星と2500個の星雲・星団を発見し,二重星の観測中に連星を発見した(1802)。赤外線の発見もハーシェルに帰せられる(1800)。1816年ナイトに叙せられた。
執筆者:堀 源一郎
イギリスの天文学者。F.W.ハーシェルの子。初め法律を学んだが,やがて天文学に転じて二重星や星雲,星団に関する父の仕事を引き継いだ。1834年南アフリカのケープタウンに赴き,ケープ天文台で38年まで南天の恒星や星雲,星団の観測を行った。この観測資料を父の資料と統合整理して64年に5079個の星雲,星団,銀河を含む《星雲・星団総目録》を発表した。これはJ.L.E.ドライヤーの《NGC星表》(1881)の基礎となったものである。ほかに恒星や銀河の光度や色に関する研究がある。1等星の平均光度は6等星の100倍と発表し(1830),太陽の全放射量の決定を試みた(1837)。また,化学にも造詣が深く,チオ硫酸ナトリウム(ハイポ)を定着剤とする写真術の発明(1839)でも知られている。
執筆者:堀 源一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…すでにガリレイは銀河が無数の恒星の集りであることを望遠鏡による初めての天体観測(1609)で見つけたが,その後イギリスのライトT.Wright(1711‐86)や哲学者I.カントは,われわれのまわりの恒星が太陽を中心とする凸レンズ状の孤立した系をつくっていると説いた(1750‐55)。天王星を発見した(1781)F.W.ハーシェルはその後この考えを観測的に発展させ,初めて銀河系のモデルを発表した。20世紀初めのJ.C.カプタインの研究に至るまで続いた,太陽を中心付近に置く銀河系モデルを画期的に改めたのは,1917年アメリカのウィルソン山に完成した2.5m反射望遠鏡を用いたH.シャプリーの研究であった。…
… 1815年フランスの物理学者J.B.ビオはテレビン油のような液体やショウノウ,ショ糖などの溶液が偏光面を回転させる力があることを発見した。21年イギリスの天文学者F.W.ハーシェルは一方の半面像をもつ石英結晶は偏光面をある一方に,もう一方の半面像をもつ結晶は逆方向に回転させることを発見した。48年L.パスツールは光学不活性ブドウ酸は(+)‐酒石酸と(-)‐酒石酸の等量混合物であることを示し,光学異性の原因が結晶の不斉に限らず分子の不斉にあることを示した。…
…光のスペクトルでいうと赤色の部分の外側にあたるのでこの名がある。1800年にイギリスのF.W.ハーシェルが,太陽スペクトルの赤色部分より長波長側に熱効果の大きい部分があることを発見したのが最初である。波長数μm以下を近赤外,波長25μm以上を遠赤外,その間を中間赤外と呼び,また,波長25μm,30μmまたは50μmを境として,それ以上を遠赤外線,以下を近赤外線と総称することもある。…
…軌道半長径=19.2184天文単位離心率=0.0463 軌道傾斜=0゜.773太陽からの距離 最小=27.41×108km平均=28.75×108km最大=30.08×108km公転周期=84.075年 平均軌道速度=6.81km/s会合周期=369.7日 赤道半径=2万5400km体積=63(地球=1) 質量=14.54(地球=1)平均密度=1.27g/cm3自転周期=0.718日 赤道傾斜角=97゜.88アルベド=0.51 平均極大光度=+5.3等赤道重力=0.89(地球=1) 脱出速度=21.29km/s太陽系の第7惑星。1781年3月13日,F.W.ハーシェルによって発見されたが,6等より明るいためそれ以前に20回以上も恒星として観測されていることがわかった。名称はギリシア神話のウラノスに由来する。…
…この小惑星の発見に伴って,C.F.ガウスによって〈軌道論〉が開拓された。またイギリスのW.ハーシェルは1781年に新しい大惑星天王星を発見した。その後の観測によって天王星の運動がニュートン力学によって説明しえない不規則さを示したため,さらにその外側に未知の惑星が存在するという予想のもとに,フランスのU.J.ルベリエとイギリスのJ.C.アダムズが万有引力則に基づいて未知惑星の位置を推算した。…
…鉄(III)塩の感光性を利用した写真法でシアノタイプcyanotypeともいう。1842年,イギリスのハーシェルJohn Herschel(1792‐1871)が発明し,1950年ころまで土木,建築,機械などの設計図面の複製用として広く使われた。青写真の感光紙は,紙に塩化鉄(III),シュウ酸鉄(III)アンモニウム,クエン酸鉄(III)アンモニウムなどの鉄(III)塩をフェリシアン化カリウム(赤血塩)とともに水に溶解して塗布し,乾かして作る。…
…フィクションを現実のニュースとして提供するのと,善意,悪意を問わず,フィクションを混入するのとの違いではあるが,具体的事例にそくして,両者の間に境界線をひくことは難しく,ふつう日用語では誤報という用語で一括している。 ジャーナリズム史上著名な誤(虚)報としては,1835年8月,ニューヨークの大衆紙《サンSun》が,天文学者ハーシェルJohn Herschelの最新設備巨大望遠鏡による大発見と称して,月にコウモリ状(man‐bat)の生物がいるという続きものを連載した事件〈Moon Hoax〉があげられる。ニューヨーク各紙は争ってこれを転載,熱狂的ブームを巻き起こして《サン》の部数は急増(1万9000部で世界一と自称)する。…
※「ハーシェル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
1/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
12/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新