ハーシェル(読み)はーしぇる(その他表記)Sir Frederick William Herschel

デジタル大辞泉 「ハーシェル」の意味・読み・例文・類語

ハーシェル(Herschel)

(Frederick William ~)[1738~1822]英国の天文学者ドイツ生まれ。大型の反射望遠鏡を製作し、1781年に天王星を発見したのをはじめ、2500の星雲・星団、800の二重星を発見し、太陽系の運動を確認した。
(John Frederick William ~)[1792~1871]英国の天文学者。の子。天体の系統的観測を行い、500の星雲・星団、4000の二重星を発見。また天体写真術や恒星の光度測定にも貢献した。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「ハーシェル」の意味・読み・例文・類語

ハーシェル

  1. [ 一 ] ( Sir John Frederick William Herschel サー=ジョン=フレデリック=ウィリアム━ ) イギリスの天文学者。[ 二 ]の子。星雲や二重星を観測、二重星四〇〇〇個、星雲・星団五〇〇個を発見した。(一七九二‐一八七一
  2. [ 二 ] ( Sir Frederick William Herschel サー=フレデリック=ウィリアム━ ) ドイツ生まれのイギリスの天文学者。大反射望遠鏡を製作、天王星を発見し、統計恒星天文学の開祖となる。星雲・二重星を多数発見した。(一七三八‐一八二二

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハーシェル」の意味・わかりやすい解説

ハーシェル(Sir Frederick William Herschel(1738―1822))
はーしぇる
Sir Frederick William Herschel
(1738―1822)

ドイツ生まれのイギリスの天文学者。天王星の発見者、恒星天文学の開拓者。ハノーバーに音楽家(軍楽隊員)を父として生まれた。彼もオーボエ奏者として七年戦争に従軍したが、1757年、脱走してイギリスに渡った。教会のオルガン奏者として生活をたて、1772年、妹カロリン・ハーシェルを呼び寄せ、彼女は聖歌隊に加わった。ハーシェルは少年時代から音響学や光学の教科書を愛読したが、しだいに星空に魅せられ、全天を探視する志を抱いた。まず大型望遠鏡の自作にとりかかり、教会の仕事のかたわら、鏡面を磨いた。妹は兄に付き添って物語を読んで聞かせ、食事を口に運んだりした。最初の望遠鏡は1774年に完成、焦点距離5.5フィート(約168センチメートル)であった。翌年、焦点距離7フィート、口径6.5インチ(約16.5センチメートル)のものをつくり、次々に大型化して、1789年に焦点距離40フィート、口径4フィート(約122センチメートル)鏡を完成した。構造はニュートン式を改良したハーシェル式を考案した。鏡筒十数メートルの反射鏡を操作するために高い櫓(やぐら)式の支台を備えた望遠鏡は当時のどこの天文台にも存在しなかった。この自作の望遠鏡はおもに自家観測に使ったが、一部は家計を助けるために利用した。観測にあたって妹は忠実な助手をつとめた。

 ハーシェルの最初の成果は、天王星の発見である。1781年、7フィート鏡で黄道一帯を掃天観測中に発見、この業績により、1782年王室天文官兼王立天文協会員に推挙された。これを機に掃天観測は全天に及び、1783年に輝星7個の固有運動を総合して、恒星空間における太陽の系統的運動を確認した。また恒星年周視差を検出する目的で、ガリレイの方式に従って二重星を丹念に観測し、1784年までに800対を含む『二重星目録』を編集した。このなかには二体運動を行う実視連星が収められている。また一般星をあまねく観測して、その見かけの光度と方向とを各天球区画ごとに集計して、輝星は近距離星、暗星は遠距離星という一般的仮定のうえで恒星の空間分布を定めた。その結果がいわゆる「ハーシェルの宇宙」とよばれる体系であり、恒星集団に関する最初の銀河系の概念を形成した(1783)。また掃天観測のなかから、星雲・星団合計2500個を含む『星雲・星団目録』を作成した(1802)。以上のような業績により、1816年爵位を受け、その他外国からも多くの栄誉や褒賞を受けた。

[島村福太郎]


ハーシェル(Sir John Frederick William Herschel(1792―1871))
はーしぇる
Sir John Frederick William Herschel
(1792―1871)

イギリスの天文学者。F・W・ハーシェルの息子。ロンドン西郊のスラウ生まれ。1809年ケンブリッジ大学法科に入学、1816年父の仕事の継承を決意してスラウ天文台で父の助手となった。父が製作した望遠鏡を用いて掃天観測を開始し、1824年に1万回以上の観測、再調査の成果として、二重星380個の視位置と視等級を報告した。1825、1826年にフランス、イギリス両天文学会から表彰された。1830年恒星光度計を用いて一等星が六等星の100倍の明るさであることを測定し、1831年ナイトに叙せられた。1833年一家とともにアフリカの喜望峰に移り、4年間南天の掃天観測に従事し、その結果は1847年に発表された。このほか、1833年『恒星目録』、1864年『星雲・星団目録』を公刊するなど、父の偉業に匹敵する業績をあげた。

[島村福太郎]


ハーシェル(Caroline Lucretia Herschel(1750―1848))
はーしぇる
Caroline Lucretia Herschel
(1750―1848)

ドイツの天文学者、声楽家。ハノーバーに生まれる。天文学者ウィリアム・ハーシェルの妹で、声楽を学び、1772年、先に渡英していた兄ウィリアムのもとに移り、以後、兄とともにイギリスで活躍した。声楽家として成功したが、兄が天文学に傾倒するにつれ、熱心に兄の補助を務めた。1787年、ジョージ3世から兄ウィリアムの助手として50ポンドの年俸を受けたが、これはイギリスにおいて女性が科学的な仕事で報酬を得た初めての例といわれる。1822年の兄の死後はハノーバーに戻り、97歳で亡くなった。1828年にはイギリス王立天文学会の金メダルを受賞している。

 兄の助手だけでなく、1782年から彗星(すいせい)の探索にもかかわり、星雲状天体を三つ発見、さらに1786年に女性として初めて彗星を発見、以後1797年までに八つの彗星を見つけている。1799年には、1712年に刊行されたフラムスティードの『大英星表』の改訂を行った。

[編集部 2023年6月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ハーシェル」の意味・わかりやすい解説

ハーシェル
Frederic William Herschel
生没年:1738-1822

イギリスの天文学者。ドイツのハノーファーの生れで,ドイツ名Friedrich Wilhelm Herschel。同地で音楽を学んで軍楽隊員となった。1757年イギリスに渡り各地で音楽を教えていたが,66年に保養地バースの楽団指揮者および教会のオルガン奏者となった。70年ころから天文学に興味をもち,天文書を読むだけではあきたらず,やがて反射望遠鏡を自作するまでになった。74年には口径13cm,また78年には口径16cmで焦点距離210cmの非常にすぐれた望遠鏡を作って,掃天観測を行った。空の星を数え尽くして宇宙の構造を究めようとする遠大な計画である。そして81年3月13日に思いがけなくも天王星を発見し,この功績で82年国王づき天文官となった。ハーシェルの星を眺める熱意に幸運の女神がほほえんだものである。

 ハーシェルはこれに力を得て,妹のカロリンを助手として天体観測に精進した。83年には口径48cm,焦点距離6mの大反射望遠鏡を作り,前述の掃天観測を一歩進めて,85年に〈ハーシェル宇宙〉を提唱し,科学的宇宙論の先がけとなった。また,87年にこの望遠鏡によって天王星の衛星2個を発見した。89年には口径122cm,焦点距離12mの当時世界最大の望遠鏡を完成して,土星の近接衛星2個を発見した。以上のほか,1783年に当時知られていた13個の恒星固有運動のデータを使って太陽向点(太陽系の空間運動の方向)を求めた。800個の二重星と2500個の星雲・星団を発見し,二重星の観測中に連星を発見した(1802)。赤外線の発見もハーシェルに帰せられる(1800)。1816年ナイトに叙せられた。
執筆者:


ハーシェル
John Frederick William Herschel
生没年:1792-1871

イギリスの天文学者。F.W.ハーシェルの子。初め法律を学んだが,やがて天文学に転じて二重星や星雲,星団に関する父の仕事を引き継いだ。1834年南アフリカのケープタウンに赴き,ケープ天文台で38年まで南天の恒星や星雲,星団の観測を行った。この観測資料を父の資料と統合整理して64年に5079個の星雲,星団,銀河を含む《星雲・星団総目録》を発表した。これはJ.L.E.ドライヤーの《NGC星表》(1881)の基礎となったものである。ほかに恒星や銀河の光度や色に関する研究がある。1等星の平均光度は6等星の100倍と発表し(1830),太陽の全放射量の決定を試みた(1837)。また,化学にも造詣が深く,チオ硫酸ナトリウム(ハイポ)を定着剤とする写真術の発明(1839)でも知られている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハーシェル」の意味・わかりやすい解説

ハーシェル
Herschel, Sir John Frederick William

[生]1792.3.7. スラウ
[没]1871.5.11. コリングウッド
イギリスの天文学者,化学者。父ウィリアム・ハーシェルの跡を継いで天体の観測と星雲の発見に業績を上げた。1813年ロイヤル・ソサエティ会員。ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジ在学中は微分積分学など数学の分野で活躍し,同僚とともにフランス流の優れた解析学の導入に尽力した。卒業後一時弁護士を志したが,1816年以降天文学に転向,自作の反射望遠鏡で父の発見による二重星(→重星)や星雲の再観測を行ない,さらに多くの星を発見した。1821年と 1833年にロイヤル・ソサエティのコプリー・メダル受賞。1825年フランスからラランデ賞を贈られた。1826年および 1833年イギリス王立天文協会金メダル受賞。1833年南アフリカのケープタウンで南天の研究に従事,1838年帰国,男爵に叙された。化学者としても優れ,写真の定着液,感光紙の研究などにも業績を上げた。晩年は星座目録の作成や『イリアス』の翻訳を行なった。化学・天文学分野の多くの学会で重要な役割を演じ,当時のイギリスの科学振興にも尽力した。1850~55年は造幣局局長の地位にあった。主著『自然哲学研究序説』Preliminary Discourse on The Study of Natural Philosophy(1830)。

ハーシェル
Herschel, Sir William (Frederic)

[生]1738.11.15. ハノーバー,ハノーバー
[没]1822.8.25. イギリス,スラウ
ドイツ生まれのイギリスの天文学者。洗礼名 Friedrich Wilhelm Herschel。音楽家の家庭に育ち,1757年のフランス軍のハノーバー占領でイギリスに逃れ,オルガン奏者として知られた。余暇に天文学を研究し始め,1774年大口径の反射望遠鏡を自作,系統的な掃天観測にとりかかった。惑星の自転,恒星間の距離に関する研究を進め,1781年に天王星を発見。同年ロイヤル・ソサエティからコプリー・メダルを受け,会員となる。1782年,国王の個人的な天文官となる。王立天文協会初代会長。妹キャロライン・L.ハーシェルとの協同のもとにさらに大口径の望遠鏡を用いて,1789年土星の第6,第7衛星を発見,二重星(→重星)の観測およびその相互回転の理論,銀河系の構造をはじめとする星雲の研究,観測を発展させ,新しい宇宙構造概念の形成に寄与した。恒星の計数から,銀河系が天の川の方向に広がった円盤形(ハーシェルの銀河系)であることを初めて明らかにしたことは特に有名。

ハーシェル
Herschel, Caroline Lucretia

[生]1750.3.16. ハノーバー
[没]1848.1.9. ハノーバー
ドイツ生まれのイギリスの女性天文学者。ウィリアム・ハーシェルの妹。兄を助けて天体観測に従事し,兄の観測の計算を手伝いながら,小型の望遠鏡で 1783年に星雲を発見,1786~97年に 8個の彗星を発見した。兄の死後ハノーバーに帰り,1828年にウィリアムの発見になる 2500個の星雲と星団の目録を完成した。その功績により,イギリス王立天文協会から金メダルを受けた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ハーシェル」の意味・わかりやすい解説

ハーシェル

英国の天文学者。ドイツのハノーファーに生まれ,音楽家となり,1757年渡英。1772年ごろから天文学に熱中,反射望遠鏡を自作して天文観測に従事。1781年天王星を発見。星雲2500,二重星800,太陽系の空間運動を発見,宇宙の形を論じ,恒星天文学を開拓した。1800年赤外線を発見。妹Caroline Lucretia Herschel〔1750-1848〕は兄を助け,自分も8個のすい星を発見。
→関連項目エンケラドスハーシェル

ハーシェル

英国の天文学者。F.W.ハーシェルの子。初め法律を学び,のち天文学に転向。二重星4000,星雲・星団2500を発見,1834年―1838年南アの喜望峰で南天を観測,1864年にはNGC星表の基礎となった星雲・星団総目録を発表した。写真術にも興味をもち,青色光で露出した乾板を現像する前に赤色光で再露出すると,青色光で生じた潜像が一部破壊される現象(ハーシェル効果)を発見(1840年)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「ハーシェル」の解説

ハーシェル
Frederick William Herschel

1738〜1822
ドイツ生まれのイギリスの天文学者
天王星およびその衛星を発見。また自製の大反射望遠鏡で恒星と星雲を観測,科学的宇宙研究の先がけとなった。息子のジョンJohn(1792〜1871)も,1834〜38年,喜望峰に天文台を建てて南半球の星図を作成した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のハーシェルの言及

【宇宙】より

…すでにガリレイは銀河が無数の恒星の集りであることを望遠鏡による初めての天体観測(1609)で見つけたが,その後イギリスのライトT.Wright(1711‐86)や哲学者I.カントは,われわれのまわりの恒星が太陽を中心とする凸レンズ状の孤立した系をつくっていると説いた(1750‐55)。天王星を発見した(1781)F.W.ハーシェルはその後この考えを観測的に発展させ,初めて銀河系のモデルを発表した。20世紀初めのJ.C.カプタインの研究に至るまで続いた,太陽を中心付近に置く銀河系モデルを画期的に改めたのは,1917年アメリカのウィルソン山に完成した2.5m反射望遠鏡を用いたH.シャプリーの研究であった。…

【光学異性】より

… 1815年フランスの物理学者J.B.ビオはテレビン油のような液体やショウノウ,ショ糖などの溶液が偏光面を回転させる力があることを発見した。21年イギリスの天文学者F.W.ハーシェルは一方の半面像をもつ石英結晶は偏光面をある一方に,もう一方の半面像をもつ結晶は逆方向に回転させることを発見した。48年L.パスツールは光学不活性ブドウ酸は(+)‐酒石酸と(-)‐酒石酸の等量混合物であることを示し,光学異性の原因が結晶の不斉に限らず分子の不斉にあることを示した。…

【赤外線】より

…光のスペクトルでいうと赤色の部分の外側にあたるのでこの名がある。1800年にイギリスのF.W.ハーシェルが,太陽スペクトルの赤色部分より長波長側に熱効果の大きい部分があることを発見したのが最初である。波長数μm以下を近赤外,波長25μm以上を遠赤外,その間を中間赤外と呼び,また,波長25μm,30μmまたは50μmを境として,それ以上を遠赤外線,以下を近赤外線と総称することもある。…

【天王星】より

…軌道半長径=19.2184天文単位離心率=0.0463 軌道傾斜=0゜.773太陽からの距離 最小=27.41×108km平均=28.75×108km最大=30.08×108km公転周期=84.075年 平均軌道速度=6.81km/s会合周期=369.7日 赤道半径=2万5400km体積=63(地球=1) 質量=14.54(地球=1)平均密度=1.27g/cm3自転周期=0.718日 赤道傾斜角=97゜.88アルベド=0.51 平均極大光度=+5.3等赤道重力=0.89(地球=1) 脱出速度=21.29km/s太陽系の第7惑星。1781年3月13日,F.W.ハーシェルによって発見されたが,6等より明るいためそれ以前に20回以上も恒星として観測されていることがわかった。名称はギリシア神話のウラノスに由来する。…

【天文学】より

…この小惑星の発見に伴って,C.F.ガウスによって〈軌道論〉が開拓された。またイギリスのW.ハーシェルは1781年に新しい大惑星天王星を発見した。その後の観測によって天王星の運動がニュートン力学によって説明しえない不規則さを示したため,さらにその外側に未知の惑星が存在するという予想のもとに,フランスのU.J.ルベリエとイギリスのJ.C.アダムズが万有引力則に基づいて未知惑星の位置を推算した。…

【青写真】より

…鉄(III)塩の感光性を利用した写真法でシアノタイプcyanotypeともいう。1842年,イギリスのハーシェルJohn Herschel(1792‐1871)が発明し,1950年ころまで土木,建築,機械などの設計図面の複製用として広く使われた。青写真の感光紙は,紙に塩化鉄(III),シュウ酸鉄(III)アンモニウム,クエン酸鉄(III)アンモニウムなどの鉄(III)塩をフェリシアン化カリウム(赤血塩)とともに水に溶解して塗布し,乾かして作る。…

【虚報・誤報】より

…フィクションを現実のニュースとして提供するのと,善意,悪意を問わず,フィクションを混入するのとの違いではあるが,具体的事例にそくして,両者の間に境界線をひくことは難しく,ふつう日用語では誤報という用語で一括している。 ジャーナリズム史上著名な誤(虚)報としては,1835年8月,ニューヨークの大衆紙《サンSun》が,天文学者ハーシェルJohn Herschelの最新設備巨大望遠鏡による大発見と称して,月にコウモリ状(man‐bat)の生物がいるという続きものを連載した事件〈Moon Hoax〉があげられる。ニューヨーク各紙は争ってこれを転載,熱狂的ブームを巻き起こして《サン》の部数は急増(1万9000部で世界一と自称)する。…

※「ハーシェル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android