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バクー Baku

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バクー
Baku

アゼルバイジャンの首都。カスピ海の西岸,アプシェロン半島南岸のバクー湾に臨む。湾はバクー諸島により遮蔽され,天然の良港となっており,半島により強い北風からも守られている。バクーの北風は有名で,市名もペルシア語の bād-kūbe (「風に打たれた」の意) に由来するといわれる。紀元前より集落があり,9世紀には記録にも現れている。 12世紀シルバン・シャー朝の首都となり,商業,手工業の中心地であった。その後モンゴル,ロシア,ペルシアの領有を経て,1806年ロシア領。 1870年代から周辺の油田地帯の開発が本格化し,石油の生産が増加し始め,19世紀末にはロシアの主要工業中心地の一つに発展。 1920年アゼルバイジャン共和国の首都,1991年独立したアゼルバイジャンの首都となった。その後石油生産は衰え,採油は海上で行なわれるようになったが,石油工業用設備の生産では中心地の一つである。そのほか,石油化学,電気機械,造船,建設資材 (アスベスト,セメント) ,繊維 (綿織物,ラシャ,メリヤス) ,製靴,食品 (食肉,乳製品) ,たばこなどの工業も発展する大工業都市である。またカスピ海沿岸の大港湾都市で,貨物の取扱量は多く,対岸のトルクメンバシ (旧クラスノボツク) との間にはフェリーが運航している。教育・文化中心地としてアゼルバイジャン大学 (1919) をはじめとする各種の大学,科学アカデミー,歴史・民族博物館などがある。旧市街には乙女の塔 (12世紀) ,シルバン・シャーの宮殿 (11世紀,現在博物館) ,スイヌイクカラのミナレット (11世紀) ,要塞 (13世紀) などの建築記念物がある。 2000年旧市街および乙女の塔,シルバン・シャーの宮殿が世界遺産の文化遺産に登録。バクー大都市圏はアプシェロン半島全域に広がり,地下鉄も開通している。人口 114万5000(2009予備調査)。

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デジタル大辞泉の解説

バクー(Bakı 〈英〉Baku)

アゼルバイジャン共和国の首都。カスピ海西岸にある港湾都市。バクー油田の中心。人口、行政区193万(2008)。城壁に囲まれた旧市街(イチェリシャハル)が、2000年に「城壁都市バクー、シルバンシャー宮殿、および乙女の塔」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。

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百科事典マイペディアの解説

バクー

アゼルバイジャンの首都。カフカス東部のアプシェロン半島南部にある油田の中心地で,カスピ海最大の港湾都市。製油,機械,造船などの工業が行われ,カフカス西部のバトゥーミまでパイプラインが通じていたが,2005年にトビリシ(ジョージア)経由でジェイハン(トルコ)にいたる〈BTC〉ルートが,日米欧の企業連合により開通した。
→関連項目アゼルバイジャン(国)トビリシ

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デジタル大辞泉プラスの解説

バクー

《Baku》旧ソ連(ロシア)海軍の巡洋艦。キエフ級航空巡洋艦。改キエフ級とすることもある。1987年就役。1990年、ソ連海軍提督セルゲイ・ゴルシコフの名にちなみ、「アドミラル・ゴルシコフ」に改称。1996年退役。その後インドに売却され、改装を経て2013年に引渡し。2014年、インド海軍空母「ヴィクラマーディティヤ」として就役。

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世界大百科事典 第2版の解説

バクー【Baku】

ザカフカス地方のアゼルバイジャン共和国の首都。人口108万0500(1991)。ザカフカスの産業,文化の中心都市の一つで,カスピ海西岸のアプシェロン半島南部のバクー湾に面する。地名の由来は諸説あり,ペルシア語の〈バド・クーベ(風が吹きつける町)〉に起源するともいう。強い北風〈ハズリ〉は特徴的である。9~10世紀の地誌にバクーが言及されており,当時から石油の採取が知られていた。12世紀,一時シルバン国の中心となった。

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大辞林 第三版の解説

バクー【Baku】

アゼルバイジャン共和国の首都。カスピ海西岸にある港湾都市。バクー油田地帯の中心地。精油・石油化学などの工業が発達。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バクー
ばくー
Баку Baku

アゼルバイジャン共和国の首都。カスピ海に西岸から突出するアプシェロン半島の南側に位置し、バクー湾に臨む。背後は半円形の丘陵で囲まれている。人口121万4400(2001推計)。アゼルバイジャン語ではバクイБакы/Bakといい、「風の強い所」の意とされ、北からの強風「ハズリ」が吹く。極端な乾燥気候下にあり、年降水量はわずか200ミリメートル、平均気温は1月3℃、8月26℃。
 水陸交通の要衝で、鉄道はロストフ・ナ・ドヌー、トビリシ、エレバン、アスタラなどへ放射状に達しており、港からは対岸にあるトルクメニスタンの都市トルクメンバシ(旧称クラスノボーツク)へ鉄道連絡船が就航する。市内には1967年開通の地下鉄が通じる。バクー油田の中心都市で、精油、石油化学、天然ガス採取、土木建設用機械、石油掘削機、石油プラント施設製造、電子機器、繊維、食品加工など多種の工業部門がある。また、文化施設としては科学アカデミー、総合大学を含む13の高等研究教育機関、ニザミ劇場など6劇場、民俗・民芸などの博物館、美術館がある。11世紀以来の歴史的建造物も多く、14、15世紀のシルバン・シャーの宮殿、11世紀のスイニク・カラのモスクとその尖塔(せんとう)(ミナレット)、12世紀の要塞(ようさい)で悲劇伝説があるクイズ・ガラスイ(乙女の塔)などが知られる。2000年にはバクーの旧市街、シルバン・シャーの宮殿、クイズ・ガラスイは世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[渡辺一夫]

歴史

9~10世紀の文献に、すでに採油が行われ、港が置かれていたことが述べられている。12世紀後半の一時期、シルバン王国の政治的中心地であった。バクーの要塞は15~16世紀にザカフカスで最強であった。1540年サファビー朝の軍隊が、1580年代トルコ軍が、1604年イランが占領した。1747年よりバクー・ハン(汗)国の首都となり、1806年よりロシア帝国領。石油採取によって発展し、20世紀初頭、ロシアの革命運動の中心地の一つとなった。1904年12月ゼネストによって「1905年革命」の口火を切り、13~14年夏、16年12月から17年1月にかけてもストライキが行われ、ツァーリズムを揺るがした。1917年11月ソビエト政権が樹立され、18年4月バクー人民委員会議が創設されたが、これは18年7月に倒された。1920年4月、ムサバトの民族主義政権にかわってソビエト政権が復活し、アゼルバイジャン共和国が形成され、その首都となった。91年ソ連解体でアゼルバイジャン共和国は独立した。[木村英亮]

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世界大百科事典内のバクーの言及

【アゼルバイジャン】より

…大カフカス山脈の南東斜面は高山性,亜高山性の牧地で森林も深く,この山脈は東部に行くに従って低い丘陵に変わり,アプシェロン半島となってカスピ海に没する。その周辺がバクー油田である。西部,南西部は小カフカス山脈(主峰は3000m級)とカラバフ(カラバグ)高原で,良好な牧地となっている。…

※「バクー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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