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バヤル Bayar, Celâl

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バヤル
Bayar, Celâl

[生]1883.5.15. ウムールベイ
[没]1986.8.22. イスタンブール
トルコの政治家。第3代大統領 (1950~60) 。ブルサのフランス系の学校を卒業後,ドイツ系のオリエント銀行に勤務。在職中から政治結社「青年トルコ」の活動に参加し,1908年の青年トルコ革命ののち,「青年トルコ」組織のイズミル支部の書記をつとめる。ケマル・アタチュルクの民族解放運動でも実戦に参加。オスマン政府の最後のイズミル選出国会議員でもあったが,のち第1回大国民議会に加わり,21年国家経済相,24年には実業銀行を創立し,頭取として国の経済活動に協力した。 32年再び国家経済相,37年首相に就任。 46年民主党を結成し,50年の総選挙で同党が第1党となると大統領となった。 60年の軍事クーデターにより逮捕されたが,63年に釈放。その後も公正党の元老として政治的発言力を有した。

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世界大百科事典 第2版の解説

バヤル【Celal Bayar】

1883‐1986
トルコの政治家,共和国第3代大統領。在任1950‐60。西部アナトリアのゲムリキで生まれる。ブルサ農業銀行で働きながらフランス学校で学ぶ。青年トルコ運動をすすめる〈統一と進歩委員会〉に加入,1908年以降第2次立憲体制下でアイドゥン支部長となる。ケマル・アタチュルクの民族解放運動に参加し,第1回大国民議会選出議員。1924年興業銀行頭取就任。32年閣僚となり,37‐39年首相となる。45年共和人民党を離党し,翌年メンデレスとともに民主党を結成。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バヤル
ばやる
Celal Bayar
(1883―1985)

トルコの政治家。トルコ西部のブルサ県ウムルベイに生まれる。聖職者である父親から初等・中等程度の教育を受ける。その後、ドイツ・オリエント銀行ブルサ支店に勤務する。1907年「統一と進歩委員会」(いわゆる青年トルコ党)に入党。ケマル・パシャ(ケマル・アタチュルク)の下で祖国解放・独立戦争に従軍する。1920年4月トルコ大国民議会の議員に選出され、国民経済相(1921)、建設・移住相(1923)を歴任。退官して1924年にトルコ初の民間銀行トルコ実業銀行Trkiye s Bankasを設立して総裁に就任する。1932年政界に復帰して国民経済相(1932)、首相(1937年11月~1939年1月)を務める。この間、経済開発五か年計画の推進に努める。1945年共和人民党を離党してアドナン・メンデレスなどとともに民主党を創設して総裁に就任する。1950年5月の総選挙で同党が大勝し、第3代大統領に選出される(在任1950年5月22日~1960年5月27日)。トルコ初の文官出身の大統領。1960年5月の軍事クーデターで逮捕され、死刑判決を受ける。その後、無期懲役に減刑され、1964年末釈放、1966年恩赦。1985年老衰のため死去。[長場 紘]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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