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バリ島 バリとうPulau Bali; Bali Island

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バリ島
バリとう
Pulau Bali; Bali Island

インドネシアジャワ島の東隣,小スンダ列島の西端の島。行政的には,かつての 8王国をもとに構成される 8県がバリ州を形成。島の中央を東西に火山が走る。最高点のアグン山(3142m)は住民の崇拝の対象であるが,1963年に噴火し,1500人以上の死者を出した。バリ・ヒンドゥー教徒が多数を占めるが,祖先崇拝を行なうバリ・アガと呼ばれる先住民はバトゥール湖畔やトゥルニャンに居住。ジャワ島に次いで人口稠密で,水稲耕作が行なわれ,棚田(→階段耕作)で知られる。イネ,ヤムイモ,キャッサバなども栽培。14世紀にマジャパイト王国に征服されたが,15世紀以降ジャワ島がイスラム化するにつれて,ジャワの貴族,僧侶らヒンドゥー教徒の避難地となった。その後 20世紀初頭オランダの植民地となるまでは,周囲から比較的孤立し,固有のバリ・ヒンドゥー文化をはぐくんだ。1920年代にヨーロッパ人によって始められた観光開発は,現存する多くのヒンドゥー寺院,伝統舞踊,演劇,音楽,民芸品,さらには海岸保養地を焦点として発展。2012年,バリ・ヒンドゥー教のトリ・ヒタ・カラナ哲学が表現された「スバック」といわれる水利施設をもつ五つの棚田地域が,世界遺産の文化遺産に登録された。州域面積 5780km2。人口 389万1428(2010暫定値)。(→バリ人

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デジタル大辞泉の解説

バリ‐とう〔‐タウ〕【バリ島】

Pulau Bali》インドネシア南部、ジャワ島ロンボク島との間にある火山島小スンダ列島の西端に位置する。イスラム化された同国の中で唯一ヒンズー文化が保持された地で、独特の音楽・舞踊が伝わる。稲作が盛ん。最高峰アグン山をはじめ、いくつかの火山がある。中心都市はデンパサール。ほかに観光保養地サヌールクタ、芸能の村ウブド、高原の避暑地キンタマーニなどがある。

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大辞林 第三版の解説

バリとう【バリ島】

〔Bali〕 インドネシア、ジャワ島の東隣にある火山島。アグン山(海抜3142メートル)がある。インドネシア唯一のヒンズー文化の島で、古典舞踊とガムラン音楽で知られる。中心都市デンパサール。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バリ島
ばりとう
Bali

インドネシア中南部、小スンダ列島の西端にある島。西は狭小なバリ海峡を隔ててジャワ島に対し、東は深いロンボク海峡を挟んでロンボク島に隣接する。また南岸はインド洋、北岸はバリ海にそれぞれ臨む。南北80キロメートル、東西150キロメートル、面積5561平方キロメートル、人口約324万9500(2001推計)。2002年10月12日、クタ地区において、東南アジアのテロ組織「ジェマー・イスラミア」(JI)の犯行とされる爆弾テロ事件が発生し、180人以上の死者が出た。[上野福男]

自然

構造的にはアルプス造山帯に属し、全体的に山がちな地形をなす。島の北部を東西に走る山地は新期火山脈からなり、最高峰のアグン火山(3142メートル)をはじめ数個の火山が並立する。それらの火山の間には、バトゥール湖のほかいくつかの湖水や高原がある。山地の南斜面には多数の河川が流下しており、これらの河川はデンパサル付近に肥沃(ひよく)な沖積平野を形成している。海岸線は概して単調であるが、北東部の海岸は山地が海に迫っているため断崖(だんがい)の所もある。気候は乾燥度の大きいサバンナ気候で、年降水量は北岸では1200ミリメートル、南岸では2000ミリメートルである。このような南・北海岸の雨量の差異は、土地の肥沃度に大きく影響し、また人口分布の差異をもたらしている。すなわち、火山岩の風化が著しく、地味(ちみ)の良好な南部の平野には水田が開け、インドネシアでも有数の人口稠密(ちゅうみつ)な地域となっている。これに対して北岸は、地味は劣り人口希薄で無人地帯さえある。集落は南岸の平野に集中している。北岸沿いにもほぼ一定間隔に集落が立地しており、それらを結ぶ島一周の道路が開設されている。また、内陸部にも3本の横断道路に沿って集落が立地している。[上野福男]

歴史

バリ島の住民は第二次マレー系のバリ人で、早くからインド文化の影響を受けた。とくに、1527年東ジャワを中心に栄えたヒンドゥー教系のマジャパヒト王国がイスラム勢力に滅ぼされると、多数のヒンドゥー教徒がバリ島に逃れ、強力な土侯国を形成した。さらにオランダの侵略に対しても抵抗し、そのため全島がオランダに征服されたのは1908年のことであった。こうした歴史的背景のもとで、バリ島は、イスラム化されたインドネシアのなかで古いヒンドゥー文化の伝統をいまなお残している。[上野福男]

産業

島の経済は農業と観光で支えられており、とくに観光収入の比率は大きい。バリ島は「神々の島」といわれるように4600余りのヒンドゥー教寺院が散在しており、それと宗教に根ざした同島特有の多彩な踊りは、世界各国から多くの観光客をよぶ強力な観光資源となっている。その観光の中心的存在は島都デンパサルである。デンパサルは肥沃な沖積平野に位置し、同島の政治、経済、文化の中心地である。また、南バリの土侯国の居城があった所で、その宮殿やヒンドゥー教寺院が多数残存している。街路沿いには木彫り細工、金・銀・銅細工、織物などの民芸品を売る店が軒を並べ、これらの多くが華僑(かきょう)によって営まれている。また国際観光ホテルも多数建設され、南郊約12キロメートルにはバリ国際空港があり日本から直行便が寄港している。デンパサルの南東郊6キロメートルには美しいサヌール・ビーチSanur Beachがある。バリ島でもっとも人気のある保養地で、海岸沿いには高級ホテルが多数建ち並ぶ。そのほか、おもな観光地を掲げるならば、バリ木彫りの細工で世界的に著名なマスMas、バリ絵画の中心をなすウブドUbud、優れた金・銀細工で知られるチェルクCelukなどの工芸品を産する村や初期バリ王朝の中心地で巨大なゴア・ガジャ(象の洞窟(どうくつ))があるベドゥルBedulu、ケチャ・ダンスで有名なボナBona、バリ島最大のケヘン寺院のあるバングリBangli、同島最古でしかも総本山のベサキ寺院で知られるベサキBesaki、大統領の夏の宮殿と美しい沐浴(もくよく)場で有名なタンパクシリンTampaksiringなどの名所がある。これらはすべてデンパサルの北および北東方向に散在している。また、島の北東部にそびえるバトゥール火山(1717メートル)の斜面には高原避暑地のキンタマニーKintamaniがある。眼下には青い水をたたえる神秘的なバトゥール湖があり、眺望はすばらしい。
 一方、住民のおもな生業をなす農業は稲作が中心であり、全島の26%が水田である。その耕作法、灌漑(かんがい)、貯蔵に関しては、インドネシアのほかの民族と比較して高度な技術をもつことで知られている。とくに灌漑は、農民が治水農区組合(スバック)をつくり、水路の設置や管理を行う。水田景観もバリ島の風物で、とくに傾斜地の階段状水田はみごとである。稲作のほかにタバコ、コーヒー、コプラなどの栽培や牧畜が行われている。これらの農産物は重要な移・輸出品である。また、前記の木彫り、金属細工、織物などの伝統産業も外貨獲得の一役を担っている。[上野福男]

住民

インドネシア共和国の小スンダ列島西端に位置するバリ島の住民の人口は2001年の推計値で約324万9500人であるが、このなかにはバリ島民以外にわずかながらジャワ人、中国人、インド人、ブギス人、マドゥラ人などが含まれる。民族別の人口は不明であるが、宗教別の百分率から推定すると、ヒンドゥー教徒が93%(1993)で、これがバリ人である。
 バリ人は人種的にはモンゴロイド系であり、バリの言語はオーストロネシア(マラヨ・ポリネシア)語族のインドネシア語派に属している。歴史的に形成された社会階層と関連して敬語法が発達している。島中央部の山岳地帯の火山群は肥沃(ひよく)な火山灰をもたらし、豊かな降水量に恵まれたバリでは、雨は地下水として山を下り、豊富な水を水田に供給してきた。東南アジア大陸部にかつて栄えたドンソン文化(紀元前1世紀なかば~紀元後1、2世紀)がインドネシアに影響を与えた時、銅鼓(どうこ)とともに稲作の技術もバリにもたらしたと思われる。そしてヒンドゥー教のバリへの伝播(でんぱ)もこのころであったろう。
 バリ島とジャワ島の東端との間の海峡が3キロメートル弱にすぎないこともあって、ジャワからのさまざまな影響を古くから受けているが、11世紀には、バリ島の王国は東ジャワの王国とのつながりが強まる。ジャワのマジャパヒト王国が1343年にバリ島を征服したと伝えられているが、14、15世紀のバリの歴史については明らかではなく、バリ島にこれを裏づける史料がない。18世紀初頭にバリの支配層が、自らの勢力を強めるために、自分たちはマジャパヒト王朝の末裔(まつえい)であるという架空の歴史をでっちあげたのではないかという説がある。
 19世紀からバリ島に介入を始めたオランダは結局武力によって諸王家を滅ぼし、1908年にバリ全島を支配するようになった。オランダのバリ支配は49年のインドネシア共和国独立まで続く。17世紀から18世紀の間にバリ島にはクルンクン王朝のほかに七つの小王国があり、その区分が現在のバリ島の八つの県のもとになっている。それはさらに郡に分かれ、その下に行政村がある。
 この行政機構はオランダ植民地政府による行政区分をほぼ踏襲したので、伝統的な村――現在の慣習村――との関係がしばしば無視されている。このため、一つの行政村がいくつもの慣習村を含むことが多いが、ときには一つの慣習村が複数の行政村に分断されていることもある。慣習村はさらに普通いくつものバンジャール(集落)にわかれている。こういう集落は行政的な最小区分として行政村に所属する面と、慣習村の構成単位としての側面(集落の共同作業、成年式、婚姻、葬式のさいの相互扶助の実施)とを備えている。
 バリ島民の生業は水稲耕作を中心とする農業であり、牛、水牛、豚、鶏などを飼っている。海に囲まれている小島であるが、大部分が農民で、漁業はあまり行われない。水田耕作には儀礼が行われるが、畑作、換金作物、果物栽培には儀礼は行われない。バリの親族組織は父系的だが、双系的な側面もある。一夫多妻が容認され、結婚後は妻は夫の家に移り住むが、その後も実家とのつながりが重視される。
 バリ本来の社会階層は流動的で、実力しだいであったが、オランダの植民地政府は、バリ島民をインドと同じ様なヒンドゥー教徒とみなし、バリ人の位階をカーストの名のもとに固定してしまった。といっても、インドのようなカースト制が受容されたわけではなく、バリ島社会は現在四つのカスタ(インドのカーストに由来する語)に分かれているが、カスタはインドのそれと違って、最高司祭のカスタを除けば、職業との結び付きがないし、他のカスタの人との共食を禁ずる習慣もなく、違うカスタの者との婚姻の禁忌もインドほど厳しくない。バリで重要なのは、貴族層である上位の三つのカスタと、最下位のカスタ、スードラ(平民層)との区別である。スードラ層は人口の9割を占める。
 バリ島民は歴史を通じて、かたくなにイスラムの浸透を拒否してきた。西暦紀元前後からヒンドゥー教はインドから直接、またジャワ経由でもたらされ、土着の文化が変容をこうむるとともに、ヒンドゥー教自体も土着の民俗宗教と融合して独自のバリ・ヒンドゥー教が形成された。祖先祭、通過儀礼、慣習村その他の集団の儀礼が盛んに行われ、貴族層は盛大に葬式・火葬を行う。最近では観光が盛んとなり、農民のなかに土産(みやげ)用の木彫りをつくる「にわか木彫り師」が増えている。儀礼や芸能はオランダその他外部からの影響を受け、変化をとげてきた。バリ文化全体も変化を続けるだろう。[吉田禎吾]
『クンチャラニングラット編、加藤剛・土屋健治・白石隆訳『インドネシアの諸民族と文化』(1980・めこん社) ▽吉田禎吾編著『バリ島民』(1995・弘文堂) ▽吉田禎吾監修、中村潔・河野亮仙編『神々の島バリ』(1996・春秋社) ▽管洋志著『バリ島大百科』(2001・TBSブリタニカ)』

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