人の一生は、誕生、命名、入学、成人、就職、結婚、還暦、死など、いくつかの節(ふし)からなっている。こうした人生における節は、個人が属する集団内での身分の変化と新しい役割の獲得を意味している。そのため、いかなる社会でも、人生の節の通過に際して、それぞれの節に課された条件を満たす一連の儀礼を行っている。このような人生の節に伴う儀礼を一般に通過儀礼とよぶが、個人の成長過程に行われる儀礼のみが通過儀礼ではなく、ある場所から他の場所への空間的通過や生活条件の変化、宗教的集団や世俗的集団から他の集団への移行などに際して行われる儀礼も通過儀礼である。したがって、村の少年たちが若者組へ入るときの儀礼、秘密結社へのイニシエーションinitiation、王や首長などの就任式なども通過儀礼と考えてよい。
[綾部恒雄]
通過儀礼ということばを初めて用いたのは、オランダの民族学者でフランスで活躍したファン・ヘネップである。通過儀礼にも比較的単純なものから複雑なものまでいろいろあるが、一般には儀礼の過程がいくつかの段階に分けられていることが多い。ファン・ヘネップは、もっともよくみられる通過儀礼の区分は、分離の儀礼rites de séparation、過渡の儀礼rites de marge、および統合の儀礼rites d'agrégationの3区分であると述べている。第一段階の分離の儀礼は、個人がそれまであった状態からの分離を象徴する形で行われる。旅に出たり、若者宿に入ったり、死を象徴する行為を伴ったりするのがそれである。たとえば、日本の嫁入り婚で、「出立(でた)ちの儀礼」のあと、娘の使っていた茶碗(ちゃわん)を割ったり、屋敷の入口に架かっている橋を落としてしまったこと、オーストラリアのカラジェリ人の成年式で、若者がホルドへの成員から儀礼的な別れの涕泣(ていきゅう)を受けて旅に出ることなどは、これまでの関係からの分離を意味していた。インドのトダ人には、女が妊娠すると、5か月目に「村ばなれ」とよばれる儀礼があり、トダの社会的生活の中心である聖なる産業である酪農から儀礼的に分離され、別小屋に住んだ。第二段階の過渡の儀礼は、個人がすでにこれまでの状態にはなく、また新たな状態にもなっていない過渡的無限定な状態にあることを示している。過渡儀礼では、きたるべき新しい生活に対処するための学習や修行に努めることが多い。カラジェリ人ではこの儀礼の間中、無言の行で、身ぶりによってすべてを表現する。こうした無言の行のうちに、過渡期の境界儀礼としての無限定状態が象徴されている。また、過渡儀礼においては、男の女装、女の男装という中性化、司祭による聖なる王の罵倒(ばとう)という価値の転換、胎児化を象徴する始原回帰的行動など、過渡的不安定を示す行動が観察される。死者が出た場合の服喪という現象も、遺(のこ)された者たちのための過渡期であり、彼らは分離儀礼によって過渡期に入り、この期間の終わりに「喪明けの儀礼」を行って一般社会に再統合されるのである。第三段階の統合の儀礼は、分離儀礼と過渡儀礼を終えた個人が新しい状態となって社会へ迎え入れられる儀礼であり、一般に大規模な祝祭が行われる。日本の嫁入り婚における「披露」「親子固めの杯(さかずき)」「床入りの儀」などがこれに相当し、これらの統合儀礼が終了することによって、嫁は夫側の家族の一員として統合されることになる。日本では死人が出ると、その近親者がみな穢(けがれ)の影響を受けるとする考え方が広く行き渡っていた。こうした状態を忌みとよぶが、元の生活へ戻るために、死の穢をぬぐい落とす行為がいろいろと行われた。たとえば、不幸のときには生臭物(なまぐさもの)を食べないが、葬後3日目とか7日目などに生臭物を食べて平常に戻るという精進ばらいの儀礼なども統合儀礼の一種である。アフリカのンデンブ人の即位式では、首長となって村に帰ってくることが統合儀礼を意味していた。このように通過儀礼は、一つの典型的な儀礼としては分離、過渡、統合という過程をたどるが、念入りな儀礼になると、過渡儀礼のなかにさらに分離、過渡、統合という三つの通過儀礼が観察されるものもある。
[綾部恒雄]
通過儀礼の上記にみられるような性格に対して、チャプルE. D. ChappleとクーンC. S. Coonは強化儀礼というカテゴリーを設け、それまでのある状態から他の状態へ移行する個人にとっての危機を克服し、平安を保障する目的で行われるものを通過儀礼とし、季節の変化とか伝染病の予防など、集団にとって一つの危機を克服するために行われるものを強化儀礼として区別した。また、グラックマンは、通過儀礼を、個人の身分の変化に伴う社会関係のバランスの破綻(はたん)から生まれる社会的不安定を避ける機能をもつものとしてとらえている。V・ターナーによる無構造・無体制の移行期にある集団としての「コミュニタス」論は、ファン・ヘネップの通過儀礼における「過渡」の概念を発展させ、その無限定的属性から、象徴論的に儀礼の本質に迫ろうとしたものである。
[綾部恒雄]
『ファン・ヘネップ著、綾部恒雄・綾部裕子訳『通過儀礼』(1977・弘文堂)』
人の一生には,誕生,命名,成人,結婚,死などいくつかの節目があるが,こうした節目は,個人が生活する社会内での身分の変化と新しい役割の獲得を意味している。そのためいかなる社会でも,人生の節目の通過に際して,その平安を保障し新しい身分への移行を公示する目的で,それに応じた儀礼を行っている。狭義には,このような個人の成長過程にともなって行われる人生儀礼のことを通過儀礼と呼ぶことが多い。広義には,ある場所から他の場所への通過(川を渡る場合や村を通るときなど)や,国王や族長の戴冠や就任(身分の変化)などに際して行われる儀礼も通過儀礼のなかに含まれる。通過儀礼は移行儀礼または推移儀礼と呼ばれることもある。通過儀礼という言葉は,ドイツ生れのオランダ系民族学者で,主としてフランスで活躍したファン・ヘネップが初めて用い,1909年に同名の本を出版している。
通過儀礼はその過程がいくつかの段階に分けられていることが多い。念入りな通過儀礼でよく見られるのは,分離儀礼rites de séparation,過渡儀礼rites de marge,統合儀礼rites de dégrégationの3区分である。分離儀礼は,従来の地位や状態からの離別を象徴する形で行われる。たとえば死を象徴する行為を伴ったり,旅に出たり,村から離れた別小屋にこもったりするのがそれである。日本の婚礼には,嫁ぐ娘が再び生家に戻ってこないように,娘の使っていた茶碗を割ったり,屋敷の入口にかかっている橋を落としたりする風習が見られるが,これらもこれまでの関係からの分離を強調する儀礼である。第2段階の過渡儀礼は,当事者がすでにこれまでの状態でなく,しかしまだ新たな状態にも入っていない,中間的で無限定な状態にあることを示し,来るべき生活に対処するための学習や修業に努めることが多い。オーストラリアのカラジェリ族の成年式における過渡儀礼では,儀礼の間は無言で,身振りによってすべてを表現する。無言のうちに,過渡的で無限定の状態が示されている。またこの儀礼では,男の女装,女の男装という中性化,あるいは胎児化を象徴する始原的回帰運動など,過渡的不安定を象徴的に示す行動が見られる。最後の統合儀礼は,分離儀礼と過渡儀礼を終えた個人が,新しい地位や役割を与えられて社会へ復帰する儀礼である。カラジェリ族の場合は割礼が行われ,さらに仕上げとして,藪の中で部族の神話に基づく教育が授けられる。ギニア湾に住むトゥウイ族では,赤ん坊が生まれると,誕生儀礼の終りに,家族の中の死んだ者がかつて持っていたいろいろな品を見せる。赤ん坊が選んだ品物でだれの生れ代りかを知り,この儀礼によって赤ん坊は家族に統合される。このように,通過儀礼は一つの典型的な系列としては分離,過渡,統合という過程をたどるが,とくに念入りな儀礼では,過渡儀礼のなかにさらに分離,過渡,統合の三つの儀礼が観察される場合もある。
通過儀礼は当然,文化によってその内容が異なっているが,人生儀礼の背景となる人のライフサイクルには,人間の生理的条件の普遍性からくるほぼ次のような共通の特色が見られる。出生から幼少年期,前思春期にかけてのもっぱら育児・しつけの対象となる第1段階。思春期から〈一人前〉の成人になるまでの,成年式を中心とした第2段階。就職,結婚等を含み,完全に一人前の社会人としての役割を果たす第3段階。老人として余生を過ごす第4段階。そしてこれら四つの時期は,それぞれの社会の伝統的な通過儀礼によって,象徴的に区切られていることが多い。
アメリカの人類学者チャプルE.D.ChappleとクーンC.S.Coonは,各文化に見られる種々の年中行事を,季節の推移が社会生活にもたらす危機を克服しようとするものだとして,これを強化儀礼と呼び,人生儀礼の中にも同様の契機を見て,この視点から通過儀礼の性格を解明しようとした。またグラックマンM.Gluckmanは通過儀礼を個人の身分が変化するにあたって,その社会関係が不安定化するのを避けようとする機能をもつものと考えた。ターナーV.Turnerの,変動期の集団に見られる無構造・無体制的状況としての〈コミュニタスcommunitas〉論は,ファン・ヘネップの通過儀礼における〈過渡〉の概念を発展させ,その無限定的属性から象徴論的に儀礼の本質に迫ろうとしたものである。また宗教学的立場からM.エリアーデは,通過儀礼を自然的存在として生まれた人間が,特定の文化のなかで,多くの儀礼を通過することによって,その文化における宗教的人間の理想に近づいていくプロセスとみなした。
→加入儀礼
執筆者:綾部 恒雄
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人の一生において通過する誕生・成年・結婚・死などの重要な折目に行われる儀礼。ドイツ生れのファン・へネップが,場所・状態・社会的地位・年齢などの変化にともなう儀礼を体系的に考察して名づけたrites de passage(仏)の訳語。人の誕生にともなう儀礼,七五三などの成育儀礼,成年式,結婚式,厄年,還暦・古稀(こき)・喜寿(きじゅ)などの年祝(としいわい)などが相当する。人生の新たな段階へと達した折目を祝い,同時に,祝をすることによって社会的な承認をえるものともなっている。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…フランスで高等教育をうけ,スイスのヌシャテル大学教授やフランス外務省翻訳官などを務めたが,民族誌,民俗学に関する研究・著作活動を行い,おもにフランス語で発表した。トーテミズム,神話,伝説など未開社会の宗教にかかわる著作とフランスの各地方のフォークロアについての著作が多いが,その後の人類学研究に最も影響を与えて高く評価されているのは《通過儀礼Les rites de passage》(1909)である。世界各地の諸民族にみられるあまりにも変差の大きいさまざまの儀礼を,〈通過儀礼〉という新しいカテゴリーを導入することで,よりよく理解できることを明らかにしたのである。…
…そしてある種の経済的交換,集団間の戦争,さらには社交や挨拶など直接には宗教と無関係の活動にまで儀礼という言葉の意味するところを広げ,これらの中に儀礼的要素を見いだし,もしくは儀礼的側面から理解しようとするようになった。これら儀礼を宗教に限定せずに広く儀礼的性格を探っていく研究が,儀礼という言葉の日常的な使い方にも影響を与え,たとえば〈春闘の儀礼化〉〈通過儀礼としての大学入試〉といった使い方が聞かれるようにもなってきた。そのような使用法を含め,儀礼という言葉の意味するところを理解するために,現在までの儀礼研究の主たるものを歴史的に追ってみよう。…
…古代インドのバラモン教徒が誕生,結婚など生涯の各時期に通過儀礼として家庭内で行った宗教的儀式の総称で,通常〈浄法〉と訳される。サンスクリットの〈サンスカーラ〉という語は本来,なんらかの現実的効果をもたらす潜在的な力を意味したといわれ,この意味で聖別,浄化などの効力を賦与する各種の儀式がこの名称で呼ばれるようになったと思われる。…
…このようにだれもが承知している様式が生活のさまざまの場や側面で形式化していることは,ハレという状況が日常的なケの状態と明確に区別されなければならないという観念の表れだといえよう。 具体的には,通過儀礼と呼ばれる,人間の一生のうちでたどる重要な折り目,たとえば誕生,成人,結婚,厄年などのおりにはその当人や近い関係の人々はハレの状況にあるといえるし,正月や神社の例祭などの年中行事に際しては,その社会全体がハレの状態にあるといえる。また,私的で個人的な事柄を日常的な普通の事柄とみなし,公的で社会的状況をハレとする認識もあり,それらがあいまって,ハレはめでたい状況を指すという認識も出てくる。…
※「通過儀礼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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