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バルディビア Valdivia, Pedro de

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

バルディビア
Valdivia, Pedro de

[生]1498頃.エストレマドゥラ
[没]1554頃
スペインの軍人。チリの征服者,総督。 1534年ベネズエラに渡り,ペルーで活躍,次いで F.ピサロの許可を得てチリに進出,先住民アラウカノ族の抵抗を抑圧しながら,サンチアゴ (1541) ,コンセプシオン (50) ,バルディビア (52) などの都市を建設。先住民の反乱で殺された。

バルディビア
Valdivia

チリ中南部の都市。太平洋岸から約 20km内陸,カイェカイェ川とクルセス川が合流してバルディビア川となる地点に位置する。 1552年スペイン人によって建設され,植民地時代には戦略的に重要な拠点となっていたが,発展は 19世紀なかば以降多数のドイツ系の移住者が入植してからで,現在もドイツ的色彩の濃い町である。豊かな農牧・林業地帯の中心地として,穀物,ジャガイモ,リンゴ,家畜,酪農製品,木材などを集散するほか,工業が盛んで,食品,木工,金属加工,皮革製品,繊維,製材,造船などの工場がある。バルディビア川河口には外港コラルがあり,この地域の産品は市からはしけによって同港まで運ばれ,積出される。市内にはアウストラル大学 (1954) があり,同国南部の文化中心地となっている。市街は 1960年の地震と津波により大きな被害を受けた。パンアメリカン・ハイウェーが通り,チリ縦貫鉄道から分岐する支線が通じる。人口 11万 3512 (1992推計) 。

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デジタル大辞泉の解説

バルディビア(Valdivia)

チリ南部、ロスリオス州の都市。太平洋岸から内陸に12キロメートル、クルセス川とカイェカイェ川の合流点に位置する。1522年に建設。チリを征服したスペイン人ペドロ=バルディビアの名を冠する。19世紀にドイツ系移民が入植し、農牧業・林業の中心地として発展。各種工業も盛んになった。

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世界大百科事典 第2版の解説

バルディビア【Valdivia】

チリ中南部,第10地域の主都。人口11万9431(1995)。1552年建設。海岸から12kmバルディビア川をさかのぼった位置にある美しい都市。周辺の森林地帯,農業地帯で生産される木材,農畜産物の集散地で,農産加工,製材などの工業も盛ん。19世紀半ばからドイツ人の移民が定住し発展した。アウストラル大学(1954創立)があり,また海岸の町コラルへ至る一帯アンデス山脈に至る湖沼地帯などの観光の拠点でもある。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

バルディビア
ばるでぃびあ
Valdivia

南アメリカ、チリ南部の第10地域北西部の都市。人口13万6787(2002国勢調査速報値)。太平洋岸から12キロメートルに位置し、周辺の森林地帯、農業地帯で生産される木材、農産物の集散地で、農産物加工、製材などの工業も盛んである。1552年に建設され、19世紀なかばからヨーロッパ移民の定住によって発展し、今日でもチリのなかでもっともドイツ系住民の多い都市の一つである。アウストラル大学(1954創立)があり、海岸の町コラルCorralへ至る一帯や湖沼地帯などの観光地の中心ともなっている。1960年のチリ地震では大きな被害を受けた。[細野昭雄]

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