バーンズ(読み)ばーんず(その他表記)Robert Burns

デジタル大辞泉 「バーンズ」の意味・読み・例文・類語

バーンズ(Robert Burns)

[1759~1796]英国の詩人。生地スコットランドの方言で純粋素朴な作品を書き、国民詩人と称された。「蛍の光」の原詩「オールド‐ラング‐サイン」は有名。作「シャンタのタム」など。

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精選版 日本国語大辞典 「バーンズ」の意味・読み・例文・類語

バーンズ

  1. ( Robert Burns ロバート━ ) イギリスの詩人。スコットランドの庶民の感情を表現、スコットランド民謡の伝統を復活した。「蛍の光」の原曲である「オールド‐ラング‐サイン(久しき昔)」などの歌謡で親しまれている。(一七五九‐九六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「バーンズ」の意味・わかりやすい解説

バーンズ(Robert Burns)
ばーんず
Robert Burns
(1759―1796)

スコットランドの詩人。グラスゴー南方の小村に、厳格なカルバン派で教育熱心な貧農の長男として生まれる。早くから父とともに各地の農場を転々とするが、やがてスコットランドの古い詩に親しみ、自ら詩を書き始める。自然のなかの小さいもの、弱いものに対する彼の哀憐(あいれん)は『万聖節前夜』『ねずみに』『陽気なこじき』『山のひなぎく』など優れた叙情詩を生み、教会や世俗の偽善と不正とに対する怒りは、『二匹の犬』『ウィリー聖者さまの祈り』『あまりにも善なる人へ』などの痛烈な風刺詩となった。人間平等への信念から、のちにフランス革命の熱烈な支持者となる。しかし仕事に失敗、愛憎問題に悩み、ジャマイカへ出稼ぎに行くことを決意し、旅費をつくるため、『小屋住みの土曜の夜』をはじめとする初期作品を集めた『おもにスコットランド方言による詩集』を1786年にキルマーノックで刊行、一躍、天才詩人とうたわれた。その後、農場経営のかたわら、収税吏として勤めつつ詩作に励むが、過労のためリューマチ性の心疾患で没した。『わが恋人は真紅のバラ』『美しきドゥーン川の花咲く岸べに』『ハイランドメアリー』、日本で親しまれている唱歌『蛍の光』の原詞である『懐しきむかし』などの美しい叙情歌や愛国歌、また民話をもとにしたユーモラスな『シャンタのタム』など、スコットランド民衆独特の民族的生活感情を赤裸々に歌い上げ、いまもなお代表的国民詩人として広く愛されている。

[上田和夫]

『中村為治訳『バーンズ全訳詩集』全2巻(1959・角川書店)』『難波利夫訳『自然と人生』(1971・千城書房)』『中村為治訳『バーンズ詩集』(岩波文庫)』『難波利夫著『ロバート・バーンズ詩の研究』(1975・東洋出版)』『難波利夫編著『日本におけるロバート・バーンズ書誌』(1977・荒竹出版)』『難波利夫著『詩人ロバート・バーンズ伝』(1977・東洋出版)』『岡地嶺著『ロバート・バーンズ 人・思想・時代』(1990・開文社出版)』


バーンズ(James Francis Byrnes)
ばーんず
James Francis Byrnes
(1879―1972)

アメリカの政治家。サウス・カロライナ州に生まれ、苦学して弁護士となる。1911年下院議員となり1925年まで在任。その後、弁護士活動を経て1930年上院議員に当選、2期務める。ニューディールの初期にはルーズベルト政権を支持していたが、1936年にはニューディールの社会改革、救済政策に反対した。だが、南部民主党の実力者としてニューディール勢力と反対勢力の調整者としての立場を固め、1941年最高裁判事、1942年経済安定局長官、1943年戦時動員局長官を歴任、内政面で力を振るった。1945年トルーマン政権の国務長官に就任、戦後国際秩序の形成に尽くしたが、トルーマンと対立、1947年辞任した。1950~1955年サウス・カロライナ州知事となり、州権を擁護、黒人差別を認めた。

[牧野 裕]


バーンズ(Thomas Barnes)
ばーんず
Thomas Barnes
(1785―1841)

イギリスの新聞編集者。ケンブリッジ大学卒業後『タイムズ』紙に入り、初め演劇批評、のちに議会報道を担当、1817年32歳で編集長となった。初め自由主義派を支持したが、情報を集めると同時に社会各層の意見を広く集めることを方針とし、『タイムズ』を国民の声を代表する機関に育て上げた。その社説は世論を伝えるとともに、これを指導する力をもつものとなった。彼の名は死亡のとき以外紙面に出なかったが、その名は知れ渡り、同時に新聞の独立は政府が恐れるほど強力なものになった。経営者ジョン・ウォルター2世(1776―1847)とバーンズの力によって『タイムズ』の声価は確立された。

[伊藤慎一]


バーンズ(John Horne Burns)
ばーんず
John Horne Burns
(1916―1953)

アメリカの小説家。神学校を経てハーバード大学に学び、第二次世界大戦には陸軍軍人として出征、のち学校教師となる。戦争中のアメリカ陸軍を扱った『画廊』(1947)で戦争小説作家として登場。全寮制男子校を暴露した『本を持つルシファー』(1949)、『子供らの叫び』(1952)を発表、ユニークな才のひらめきをみせたが早世した。

[稲澤秀夫]

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改訂新版 世界大百科事典 「バーンズ」の意味・わかりやすい解説

バーンズ
Robert Burns
生没年:1759-96

イギリス,スコットランドの国民詩人。アロウェーの粘土小屋で貧農の子として生まれた。借地の農地を移り住みながら,父のきびしい教育をうけ,母からスコットランドの伝説や古謡を習った。読書と農耕生活のなかで詩才をみがき,1780年には〈ターボルトン独身クラブ〉を創設,詩作や社会活動に従事した。86年には《おもにスコットランド方言による詩集》(キルマーノック版)を出して詩人としてデビューした。エジンバラの社交界で一時もてはやされたが,経済事情は好転しなかった。88年に結婚。J.ジョンソンの《スコットランド歌謡集》(1787-1803)の編集に協力したものの無報酬だった。のち農業と税官吏の仕事を両立させようとして失敗。一生,放浪と窮迫の生活をつづけ,ダムフリースでリウマチ熱のため夭逝した。

 詩人としては多彩で,スコットランドの自然を背景に,庶民の哀歓や哀切な恋,燃えるような郷土愛を,素朴で力強い方言でうたった。彼の詩には飾らない人間感情,不正への怒りや弱者への同情,軽妙なユーモアが息づいている。近年彼の風刺詩が評価されるのは,抑圧的なカルビニズムと解放的な異端主義の間にあえぐ社会の実相をよく代弁しているからである。しかしバーンズの詩の特質は,哀愁を帯びた甘美なメロディに小気味よい方言リズム,清純と野卑のふしぎな混交であろう。亡き乙女にささげる哀傷の歌《ハイランド・メアリー》,魔女カティーサークの跳梁(ちようりよう)する《シャンターのタム》,人間も同じ哀れな仲間と自嘲する《ねずみ》,風刺的な《悪魔へのあいさつ》,俗臭のする《陽気な乞食》などが代表作である。日本でも親しまれている歌曲は,《蛍の光》の原曲《オールド・ラング・ザイン》,《ライ麦畑をこえて》《アフトンの流れ》《恋する娘は赤いバラ》など数多い。詩を知識人の独占物としないで,大衆の心に訴えるものとしたところに,ロマン派の先駆詩人としての彼の価値がある。
執筆者:


バーンズ
James Francis Byrnes
生没年:1879-1972

第2次大戦から戦後にかけてのアメリカの政治家。サウス・カロライナ州選出の民主党上院議員からF.D.ローズベルト政権の最も有力な行政官となった。最高裁判事(1941-42)を経て,1942年に経済安定局の長官,翌年には戦争動員局長官となり,大統領の厚い信任を受けて,戦時の内政と外交にまたがる大きな足跡を残した。45年7月,トルーマン大統領によって国務長官に任命され,ポツダム宣言と日本の降伏を処理した。47年に辞任するまで個性の強い実務的合理主義者として戦後初期の外交を担当した。その後51年から55年までサウス・カロライナ州知事を務め,人種の統合政策に反対した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「バーンズ」の意味・わかりやすい解説

バーンズ
Burns, Robert

[生]1759.1.25. エアシャー,アロウェー
[没]1796.7.21. ダムフリーズ
スコットランドの詩人。貧農の家に生れたが,『詩集-主としてスコットランド方言による』 Poems,Chiefly in the Scottish Dialect (1786) で抒情と風刺の詩人として名声を確立。また J.ジョンソンの『スコットランド音楽博物館』 (5巻,87~97) で,スコットランドの歌謡の収集,校訂,改作に協力,また,トムソンの『初期スコットランド音楽選集』 (4巻,93~1805) に自作の多くを寄稿した。粗野で土の香り豊かな方言を駆使する一方で,ヒロイック・カプレットスペンサー連のような高雅な詩型をもよくした。主作品『二十日鼠に』 To a Mouse (85) ,『オールド・ラング・サイン』 Auld Lang Syne (88) ,『シャンターのタム』 Tam o'Shanter (90) ,『ドーン河畔』 The Banks of Doon (91) ,『赤い赤いばら』A Red,Red Rose (96) 。

バーンズ
Burns, Arthur Frank

[生]1904.4.27. オーストリア,スタニスラウ
[没]1987.6.26. メリーランド,ボルチモア
オーストリア生れのアメリカの経済学者。少年時代にアメリカへ渡り,コロンビア大学卒業後,ラトガーズ,コロンビア両大学の経済学教授を歴任。 1953~56年アイゼンハワー政権下の大統領経済諮問委員長,57~67年全米経済研究所 NBER所長。 69年ニクソン大統領の顧問になり,70~77年アメリカ連邦準備制度理事会理事長に就任し,71年8月の金・ドル交換停止立案などにあたった。経済変動やインフレなどの政策問題への関心が強かった。主著『インフレなき繁栄』 Prosperity without Inflation (1957) ,『繁栄のマネジメント』 The Management of Prosperity (66) ,『変化する世界の景気循環』 The Business Cycle in a Changing World (69) 。

バーンズ
Burnes, Sir Alexander

[生]1805.5.16. フォーファーシャー,モントローズ
[没]1841.11.2. カブール
イギリスの探検家,行政官。 1821年ベンガル軍の旗手。 23~29年カッチで政治的任務につき,31年インダス川上流部に派遣された。翌年ペシャワル,カブールを通り,ブハラ,マシュハド,カスピ海地方,テヘラン,ペルシア湾まで変装旅行。 36年政治的使命を帯びてアフガニスタン国王ドースト・ムハンマドのもとへ派遣された。 39年カブールに呼戻され,カブール駐在員となったが 41年暴動のなかで殺された。主著に"Map of Central Asia and Travels into Bokhara" (1834) がある。

バーンズ
Byrnes, James Francis

[生]1879.5.2. サウスカロライナ,チャールストン
[没]1972.4.10. サウスカロライナ,コロンビア
アメリカの政治家。 1903年独学で法曹界に入り,10~25年下院議員 (民主党) ,31年上院議員,41年最高裁判所判事。第2次世界大戦中は経済安定局長官,戦時動員局長官を歴任。 45年 H.トルーマン大統領のもとで国務長官として外交を担当し,ポツダム会談など多くの重要な国際会議に出席した。最初は平和外交政策により対ソ協調派であったが,対外折衝を通じて対ソ強硬派に変り,西欧諸国に対しソ連の軍事的脅威が続くかぎりアメリカ軍をヨーロッパに駐留させると約束した。 51~55年サウスカロライナ州知事。

バーンズ
Barnes, Thomas

[生]1785.9.16. ロンドン
[没]1841.5.7. ロンドン
イギリスのジャーナリスト。ケンブリッジ大学卒業後,G.ハント,C.ラム,W.ハズリットらと交わり,『リフレクター』や『エグザミナー』誌上で文学,演劇評論に健筆をふるう一方,『ロンドン・タイムズ』にも政治評論を寄稿した。 1817年『ロンドン・タイムズ』の編集長になり,同紙を世論形成に強力な影響を与える高級紙に仕上げた。政治的にはかなり急進的で,選挙改正運動などで中産階級の要求を代弁した。

バーンズ
Barnes, William

[生]1801.2.22. ドーセットシャー,バグバー
[没]1886.10.7. ウインターボーンケイム
イギリスの詩人,言語学者,聖職者。ケンブリッジ大学に学び,ケイムの教区牧師となった。ラテン系の語彙から英語を純化しようとしてドーセット方言で『田園生活の詩』 Poems of Rural Life (3巻,1844,59,63) を刊行,ハーディや G.M.ホプキンズにも影響を与えた。ほかに『英文法大要』 An Outline of English Speech-Craft (78) など。

バーンズ
Barnes, Sir Kenneth

[生]1878.9.11. ヘビトリー
[没]1957.10.16.
イギリスの演劇人。フルネーム Sir Kenneth Ralph Barnes。女優バイオレット・バンブラ,アイリーン・バンブラの弟。1909~55年ロンドンのロイヤル演劇アカデミーの校長を務め,多くの若い俳優を育成した。1952年バンブラ劇場を設立。自伝『ようこそ,友よ!』Welcome, Good Friends!(1958)がある。

バーンズ
Barnes, Barnabe

[生]1569頃
[没]1609
イギリスの詩人,劇作家。オックスフォード大学で学ぶ。 P.シドニーの影響を受けて書いたソネット連作『パーセノフィルとパーセノフィ』 Parthenophil and Parthenophe (1593) や悲劇『悪魔の特許』 The Devil's Charter (1607) などがある。

バーンズ
Burns, Anthony

[生]1834.5.31. バージニア,スタフォード
[没]1862.7.27. カナダ,セントカサリンズ
アメリカ南北戦争前にバージニアの奴隷の身分から逃亡してついに自由の身分となった逃亡奴隷。 1854年逃亡してボストンで捕われたが,のち金で自由の身分を買取り,カナダでバプテスト教会の牧師となった。

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百科事典マイペディア 「バーンズ」の意味・わかりやすい解説

バーンズ

米国の政治家。約30年間上・下両院議員を勤め民主党幹部として重きをなした。第2次大戦中ローズベルト大統領の下で経済面を指導。のち国務長官(1945年―1947年)として戦後外交を担当,ポツダム宣言と日本の降伏を処理した。対ソ強硬策を推進。

バーンズ

英国の詩人。スコットランドの農民出身で早くから民謡や古謡に親しみ,方言を駆使して生命感とユーモアにあふれる抒情詩や風刺詩を書いた。《愉快な乞食たち》(1799年)《ねずみ》《オールド・ラング・サイン(蛍の光)》《シャンターのタム》(1795年)《ライ麦畑をこえて》など。

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367日誕生日大事典 「バーンズ」の解説

バーンズ

生年月日:1889年6月15日
アメリカの歴史学者,社会学者
1968年没

バーンズ

生年月日:1805年5月16日
イギリスの探検家,行政官
1841年没

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世界大百科事典(旧版)内のバーンズの言及

【エア】より

…エア川(Ayrは〈流れの急な清流〉を意味するゲーリック語arから派生)の南岸に位置する。スコットランドの国民詩人ロバート・バーンズは5km南のアロウェーAllowayの出身で,彼の歌った13世紀の〈古橋Auld Brig〉は今も残っている。クライド川地域にとって代わられるまで中世を通じて西部沿岸の主要港湾であった。…

【蛍の光】より

…学校の卒業式や送別の会で愛唱されている歌。原曲はスコットランド民謡詩人R.バーンズが作詞して1794年発表した《Auld Lang Syne(久しき昔)》で,イギリス,アメリカでは送別歌として普及した。日本では文部省音楽取調掛編《小学唱歌集初編》(1881)に《蛍》の題で取り上げられ,のち〈蛍の光〉として広まった。…

※「バーンズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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