デジタル大辞泉 「パレスチナ解放機構」の意味・読み・例文・類語 パレスチナ‐かいほうきこう〔‐カイハウキコウ〕【パレスチナ解放機構】 ⇒ピー‐エル‐オー(PLO) 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「パレスチナ解放機構」の意味・読み・例文・類語 パレスチナ‐かいほうきこう‥カイハウキコウ【パレスチナ解放機構】 ( [英語] Palestine Liberation Organization の訳語 ) イスラエルからのパレスチナの独立を目的に設立された、パレスチナ人の政治的統合機関。一九六四年、アラブ連盟の下に、パレスチナ難民を代表する合法的組織として創設。七四年、アラブ首脳会議でパレスチナ人の唯一の正当な代表として承認され、国連オブザーバーの資格を得た。九三年パレスチナ暫定自治協定に調印し、ヨルダン川西岸地域に自治政府を組織することが認められた。略称PLO。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
知恵蔵 「パレスチナ解放機構」の解説 パレスチナ解放機構 パレスチナ人の政治組織で、1964年のアラブ首脳会議が設立を決定した。当初はパレスチナの解放というよりは、エジプトのナセル大統領がパレスチナ人を管理する組織としての色彩が強かった。しかし67年の第3次中東戦争でアラブ諸国が大敗すると、アラブ諸国に頼るのではなく、パレスチナ人自らの力でパレスチナを解放しようとする動きが高まった。その代表がファタハ(パレスチナ解放運動)の指導者ヤセル・アラファトであった。アラファトは、69年にPLOの議長に就任した。PLOは当初、ヨルダンに拠点を置いたが、70年9月にヨルダン政府軍の攻撃を受け(ヨルダン内戦/黒い9月)、大きな犠牲を払った後、拠点をレバノンに移し、ベイルートを本拠とした。レバノン南部からイスラエルへゲリラ攻撃をかけたため、レバノン南部はファタハランドと呼ばれるようになった。イスラエルは82年夏にレバノンに侵攻、レバノン戦争を引き起こした。イスラエル軍はファタハランドからパレスチナゲリラを一掃し、ベイルートに殺到した。イスラエル軍包囲下のベイルートからアラファト以下のPLOの戦闘員は脱出し、チュニジアの首都チュニスに移った。PLOは一枚岩の組織ではなく、パレスチナ人の多くのグループの合同体である。その中でアラファトが指導力を発揮してきたのは、最大組織ファタハを率いていたからだ。その背景には豊かな資金力があった。ペルシア湾岸で働いていた80万のパレスチナ人が支払う解放税をファタハが握っていたからである。さらに湾岸の君主たちがアラファトに資金援助を行ってきた。ところが湾岸戦争でアラファトがイラク寄りであったことで、湾岸の君主たちはアラファトへの資金の流れを止めた。資金面から、その指導力に陰りが見え始めた。さらにソ連圏の消滅によって、PLOは政治・軍事的なスポンサーをも失い、イスラエルとの和平へと追い込まれた。アラファトは暫定自治を受け入れ、94年パレスチナに戻った。95年4月、パレスチナ民族の最高意思決定機関であるPNC(パレスチナ民族評議会)を開催し、イスラエルの破壊を目標として掲げたパレスチナ民族憲章を修正した。96年1月には自治地域で評議会と自治政府の大統領の選挙が国際監視下で行われ、アラファト支持勢力が圧勝した。PLOは、その実質をパレスチナ暫定自治政府に変身させつつあった。両者の長であったアラファトは2004年に死亡、05年マフムード・アッバスが後継者となったが、06年1月の評議会選挙でPLOに参加していないハマスが圧勝。PLOがパレスチナ人を代表するという主張を根底からくつがえす事件だった。 (高橋和夫 放送大学助教授 / 2007年) 出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
旺文社世界史事典 三訂版 「パレスチナ解放機構」の解説 パレスチナ解放機構パレスチナかいほうきこうPalestina Liberation Organization パレスチナ人の反イスラエル運動の統一機構。略称PLO (ピーエルオー) パレスチナ戦争で発生した170万の難民を基盤に,1964年に結成,73年11月にアラブ連盟諸国の承認を受けた。パレスチナ人の民族自決を唱え,武装ゲリラ闘争も展開し,ヨルダンとの対立や内部の過激派ゲリラによる分派活動の悩みはあるが,アラファト議長の指導で組織を充実させた。1974年12月の国連総会により国連オブザーバー代表権が与えられ,レバノンに本部を置いたが,82年イスラエル軍に包囲され各地に分散退去した。1988年パレスチナ独立国家樹立宣言を発表した。1990年の湾岸危機に際してイラク寄りの姿勢をとったため,クウェート撤退後は国際的に孤立した。しかし,1993年,イスラエルと歴史的和解を果たし,その後相互承認,ガザ・イェリコでの先行自治協定の調印と,和平への歩みが続いている。 出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報