パン・アフリカニズム(読み)パンアフリカニズム

百科事典マイペディア 「パン・アフリカニズム」の意味・わかりやすい解説

パン・アフリカニズム

アフリカ人自らの手でアフリカ大陸を植民地支配から解放し,統一しようとする思想運動。20世紀初頭に米国系黒人の間で生まれ,W.E.B.デュ・ボイスらが中心となって1919年―1927年に4回のパン・アフリカ会議を開催。1945年のマンチェスター会議後はエンクルマケニヤッタらが中心となって急速に発展,1950年代末から1960年代初めをピークとするアフリカの独立に貢献した。1963年のアフリカ統一機構結成は運動の一成果。なお1974年にはタンザニア,1994年にはウガンダでパン・アフリカ会議が開催された。
→関連項目アフリカカーマイケルディアスポラデュ・ボイス西アフリカ学生同盟パドモア

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「パン・アフリカニズム」の解説

パン・アフリカニズム
Pan-Africanism

アフリカ大陸の諸民族,アフリカ系諸民族の主体性の回復,歴史の復権,独立と統一を目標とする運動。1900年トリニダード出身アフリカ系弁護士S.ウィリアムズが,ロンドンで初のパン・アフリカ会議(コンフェレンス)を開催。19年アメリカの黒人解放運動指導者デュボイスがパリで第1回パン・アフリカ会議(コングレス)を開催し,21~27年ロンドン,パリ,ニューヨークなどでの会議で,アフリカの自治推進などを採択。第二次世界大戦後,45年第5回マンチェスター会議で運動の主導権はエンクルマなどアフリカ諸地域の知識人・活動家の手にわたり,民族独立運動を支える役割を担う。74年のダル・エス・サラームでの第6回会議以降運動は沈滞。「アフリカ合衆国」構想は挫折したが,その精神はアフリカ統一機構(OAU)継承

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パン・アフリカニズム」の意味・わかりやすい解説

パン・アフリカニズム
ぱんあふりかにずむ

汎アフリカ主義

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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