西アフリカ学生同盟(読み)にしアフリカがくせいどうめい(英語表記)West African Students' Union

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西アフリカ学生同盟」の意味・わかりやすい解説

西アフリカ学生同盟
にしアフリカがくせいどうめい
West African Students' Union

1924年ナイジェリア出身の民族主義者 L.ソランケによってロンドンで創設された,イギリス領西アフリカの在外民族主義者団体。当初は,アフリカの歴史,慣習,制度についての情報機関として活動すること,アフリカ的な生活と哲学の真の姿を世界に示し,それによって文明進歩に対するアフリカの真の個性的貢献を可能にすることなどを目的とする文化的活動に力点をおいていたが,次第に民族意識の涵養自助統一,協力,指導者精神の鼓吹といった政治的,民族主義的活動にまで手を広げていった。その活動範囲はロンドンにとどまらず,イギリス領西アフリカ各地域に支部を設置し,イギリス領西アフリカ民族会議とも接触を保つとともに,アメリカ在住のアフリカ人留学生をもその傘下に収めた。 30年に J.ケイスリー=ヘイフォードの死によってイギリス領西アフリカ民族会議が事実上消滅すると,その伝統を受継ぎ,35~36年のエチオピア戦争ではエチオピア防衛委員会を組織して,イタリアのエチオピア侵略に対する抗議運動を展開。こうした活動を通じて一種のアフリカ人国際主義を推進し,第2次世界大戦後まで存続して多数の指導的アフリカ人民族主義者を育成した。

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百科事典マイペディア 「西アフリカ学生同盟」の意味・わかりやすい解説

西アフリカ学生同盟【にしアフリカがくせいどうめい】

略称WASU。1925年,ナイジェリア人留学生ラディポ・ソランケを中心にロンドンで創設されたアフリカ人学生のための組織。エンクルマケニヤッタなど数多くの卓越したナショナリスト輩出。またパドモアデュ・ボイスといった代表的なパン・アフリカニストらと接触し,アフリカ(系)人の連帯解放を志向するパン・アフリカニズム思想の涵養に重要な歴史的役割を果たした。第2次世界大戦後の1950年代に入って衰退し,やがて消滅した。

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