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ヒーリー Healey, Denis Winston

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヒーリー
Healey, Denis Winston

[生]1917.8.30. イギリス,ヨークシャー,ケーリ
イギリスの政治家。 1938年オックスフォード大学卒業。第2次世界大戦中は北アフリカ,イタリア戦線に従軍。 45年労働党国際部長,52年下院議員となり,労働党内では国際社会主義の再建に指導的役割を果すようになった。同年ヨーロッパ会議 Council of Europe諮問委員会の代表。 53年列国議会同盟会議代表,63~65年には西欧同盟,ヨーロッパ議会の代表をつとめ,64年 H.ウィルソン内閣の国防相に就任した。 70年からは党中央執行委員。 73~79年蔵相,89年 11月に政界を引退。"NATO and American Security" (1959) など外交に関する著作が多い。

ヒーリー
Healy, T. M.

[生]1855.5.17. バントリー
[没]1931.3.26. ダブリン
アイルランドの自治獲得運動(ホームルール),農地改革運動指導者。フルネーム Timothy Michael Healy。アイルランド自由国の初代総督。1878年からロンドンで『ネーション』紙の議会担当記者を務めながらアイルランドの政治活動にかかわり,アイルランド国民党の指導者チャールズ・スチュアート・パーネルと親交を結んだ。1880年,ウェクスフォード県から下院議員に選出され,下院でアイルランド土地問題の権威となった。1881年に制定されたアイルランド土地法の「ヒーリー条項」は,地主が課す地代の値上げから小作人を保護する趣旨のもので,自治を求めるアイルランド人の間でヒーリーの名を高めた。1886年,パーネルと袂を分かち,その後は国民党の指導者たちとも距離を置いたが,アイルランド自治の強力な支持者であり続けた。1884年に法曹界に入り,1899年には王室顧問弁護士となった。1916年の復活祭蜂起のあと,自由党と国民党の両党に対して不満をもち,1917年にはシン・フェーン党への支持を表明した。長老政治家としてイギリスとアイルランド双方の政府から尊敬されていたヒーリーは,新たに生まれたアイルランド自由国の総督に推挙され,1922年から 1928年までその職を務めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヒーリー
ひーりー
Denis Winston Healey
(1917― )

イギリスの政治家。オックスフォード大学で学んだのち、労働党本部に入って国際局の責任者を務めた。1952年労働党下院議員となり、外交・防衛問題で頭角を現し、1964年から1970年まではウィルソン内閣の国防相として、イギリスの防衛範囲の縮小を実現した。1974年から1979年までは財務大臣を務め、賃上げ抑制を内容とする社会契約を推進した。1980年~1983年副党首となり、1992年に下院から引退した。[木畑洋一]

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