日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビザンティン音楽」の意味・わかりやすい解説
ビザンティン音楽
びざんてぃんおんがく
ビザンティン帝国の音楽文化。その状況および音楽理論・実践の諸相は、初期についてはパレスチナ、それ以後については主としてコンスタンティノープルの教会に関連した宗教音楽の側面の一部分しか判明しておらず、世俗音楽では、合憲的皇帝の就任その他の宮廷儀式において合唱や楽器(管・弦・オルガン)が使われていたことが推察されるにすぎない。そのなかでも、オルガンは西ヨーロッパに影響を及ぼした点で重要である。教会の典礼用の音楽については、楽譜付きの典礼書が残されているのでかなり詳細な点まで判明しており、この系統に属し、また現存もしているギリシア正教やロシア正教の聖歌とあわせて研究がなされている。
ビザンティン聖歌は、もっぱら単旋律(モノディ)の声楽曲で、初期には、一音節一音のシラビック歌唱様式をもとに聖書朗読が行われていた。9世紀ごろからは装飾的なメリスマを加え、しかもソロと合唱(左右配置)を対比させるなど、演奏慣習のうえで多様に変化していった。構造的にも、定型旋律順列(開始や終結のパターンなど)、リズムや音強変化などが意図的に活用されていたことが、ネウマ譜の写本から読み取ることができる。理論的な配慮は旋法体系に端的にみてとることができ、正格・変格それぞれ4種、合計8種の全音階的旋法(オクトエコス)を使い分けている。その枠組みは、ユダヤ教や初期キリスト教の音楽伝統の流れをくむばかりか、ローマ・カトリックのいわゆる教会旋法へも影響を及ぼしたので、西洋音楽史上での意義は大きい。このように確固とした基盤が音楽を支えていたのには、霊(ネウマ、プネウマ)を核とする国家理念を背景にもっていたことが考えられる。
[山口 修]