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ビシー体制 ビシーたいせい

百科事典マイペディアの解説

ビシー体制【ビシーたいせい】

第2次世界大戦中に生まれたフランスの親独政治体制。1940年対独降伏に伴い,中部フランスのビシーVichyに政府が成立。第三共和政憲法を廃止し,ペタンが国家主席に就任して対独協力と国民革命を呼びかけ,社会主義者や共産主義者を弾圧。
→関連項目アクシヨン・フランセーズエリオ第2次世界大戦ビシー仏印進駐フランスモーラス

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世界大百科事典 第2版の解説

ビシーたいせい【ビシー体制 Régime de Vichy】

第2次世界大戦でフランスがドイツに降伏したのち,フランス中部のアリエ県の小都市ビシーを政府所在地として成立した政治体制の通称。 1940年6月22日降伏し停戦協定が調印された結果,フランスはパリを含む北部および大西洋岸一帯をドイツ軍の占領地区,中南部を〈自由地区〉として分断され,6月10日以来パリを退去してボルドーにあった政府は,6月末日中部の温泉地ビシーにその所在地を移した。停戦協定に調印したのは時の首相ペタン元帥であったが,7月10日彼は国民議会の投票(569票対80票)によって第三共和政に終止符をうち,〈フランス国家État français〉の名で新政体を発足させる憲法上の全権を付与され,翌日国家主席の地位についた。

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