フランスの軍人、政治家。陸軍士官学校、陸軍大学に学ぶ。陸軍大学教官(1901~1910)として歩兵学を講じたが、火力の優越を重視するその理論は当時支配的であった積極攻勢論にあわず、第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)時は大佐にとどまっていた。開戦とともに戦功を収め急速に昇進し、1916年第二軍司令官としてドイツ軍猛攻下のベルダン要塞(ようさい)を死守して「ベルダンの勝利者」とたたえられ、その端正な風貌(ふうぼう)と相まって国民的英雄となった。1917年には全フランス軍の総司令官に就任し、出口のみえない戦争に絶望したフランス軍兵士の相次ぐ不服従運動を温情的処置により抑え、体制の危機を防いだ。大戦終了時に元帥となった彼は、1925~1926年モロッコのリフ人の大反乱を鎮圧し、陸相(1934)、駐スペイン大使(1939~1940)を歴任しフランス陸軍の大御所的存在であったが、第一次世界大戦の経験にとらわれてドゴールの戦車師団重視の理論を軽視する誤りを犯した。1940年春のドイツ軍の大攻勢の最中にレーノー内閣に副首相として入閣し、やがて自ら首相に就任して対独休戦を実現した。ビシー時代には国家元首として「労働、家族、祖国」をスローガンとする権威主義体制の樹立を目ざす一方、強いられてではあったが対独協力政策を実行し、しだいにレジスタンス運動と敵対した。フランス解放後、対敵協力の罪で死刑を宣せられたが、ドゴールにより終身禁錮刑に減ぜられ、服役中に死亡した。
[平瀬徹也]
フランスの軍人,政治家。パ・ド・カレー県に生まれる。1914年の第1次世界大戦開始前夜すでに58歳で,退役寸前の大佐にすぎなかったが,大戦初期の戦闘で功績を示し,将軍となる。当時,陸軍指導部が攻勢作戦による短期決戦中心の戦争理論によっていたのに対し,日露戦争の経験をふまえて防御を固め消耗戦に耐える陣地戦を主張,16年,ドイツ軍の攻勢をベルダンで支えて勝利を収め,名声を博した。翌年,陸軍総司令官に任じられ,18年に元帥となる。以後,陸軍最上層にあり,34年陸軍大臣,また39年には内戦直後のスペインで大使をつとめる。第2次世界大戦によりフランスがドイツに敗北したとき,第1次世界大戦の英雄としての期待を受けつつ政治指導の中心に立つことになり,40年5月レノー内閣の副首相,ドイツ軍パリ入城後の6月16日首相となるが,ドイツ軍への抗戦継続を不可能とみて同月22日降伏文書に調印する。7月10日,ビシーの地で過去の政体と絶縁する新体制樹立を議会において可決,自らは国家主席の地位につき,〈国民革命〉の名でドイツ軍と一定の協力関係に立って政権を持続させる。しかし42年11月ドイツ軍のフランス全土への占領体制拡大に伴い,すでに限定されていた政権の実質を失う。45年,解放後のフランスにおいて裁判に付され,8月15日死刑を宣告されたが,高齢のゆえに刑の執行はなされず,以後監禁生活を送り,大西洋沿岸の小島,ユ島で死去した。
執筆者:加藤 晴康
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1856~1951
フランスの将軍,元帥。1916年,ヴェルダンの戦いでドイツ軍を破り,国民的英雄となった。参謀総長,陸軍総司令官を歴任したが,第二次世界大戦の初期,レノー内閣の副首相となり,敗戦思想の代表者としてドイツとの休戦を主張した。フランスの降伏後はヴィシー政権で国家元首の地位について(42~43年),ドイツに協力するファッショ的政体をつくった。戦後,反逆罪で死刑を宣告されたが,終身刑に減刑された。
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… 1940年6月22日降伏し停戦協定が調印された結果,フランスはパリを含む北部および大西洋岸一帯をドイツ軍の占領地区,中南部を〈自由地区〉として分断され,6月10日以来パリを退去してボルドーにあった政府は,6月末日中部の温泉地ビシーにその所在地を移した。停戦協定に調印したのは時の首相ペタン元帥であったが,7月10日彼は国民議会の投票(569票対80票)によって第三共和政に終止符をうち,〈フランス国家État français〉の名で新政体を発足させる憲法上の全権を付与され,翌日国家主席の地位についた。こうして成立した新政府は,〈労働・家族・祖国〉をスローガンにかかげて,〈国民革命〉をうたった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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