ドイツ南部の地方。かつてはビュルテンベルク王国として南ドイツの雄邦であったが,現在はバーデン・ビュルテンベルク州に属し,その東半地域を形づくっている。
南はボーデン湖から北はタウバー川まで,西はバーデン地方,東はバイエルン州に連なる。西側にシュワルツワルトの山並みが南北に横たわり,中央部には丘陵山地のシュウェービッシェ・アルプSchwäbische Alb(幅40km,長さ220km,最高地点1015m)が南西から北東方向に斜めに走って,その北麓を北に流れるネッカー川と,南麓を東に向かうドナウ川の分水嶺をなしている。ライン川上流のワルツフートを支点にしてシュワルツワルトとシュウェービッシェ・アルプにはさまれたV字形の地帯がシュワーベン段丘地で,崖と段丘が階段状をなして北方マイン川流域のフランケン段丘地まで連なっている。ドナウ川の南はアルプス前地に属する上部シュワーベン丘陵地帯となっている。
シュワーベン段丘地の中央にバーデン・ビュルテンベルク州の州都シュトゥットガルトがあり,同市および周辺のネッカー川およびレムスRems川河畔諸都市がビュルテンベルクの工業地帯を形づくっている。シュトゥットガルトの工業は機械,自動車(ダイムラー・ベンツ,ポルシェ),電器等で,文庫で有名なレクラムなど出版業にも古い伝統がある。工業の地方中心地としてはなおネッカー川下流のハイルブロン,ドナウ川河畔のウルムがある。上部シュワーベン丘陵地は農業地帯をなすが,アルプスに近い南の高地は酪農が盛んで,ボーデン湖やその東のアルゴイAllgäu地方は観光地としても知られている。
中世盛期シュタウフェン朝の時代まで,ビュルテンベルクの地はシュワーベン公領に属していたが,その間シュトゥットガルトの近くから出てネッカー川およびレムス川流域の支配者となった貴族の家柄が1135年ビュルテンベルク伯を名乗り,シュタウフェン朝断絶後の大空位時代(1254-73)に皇帝の所領をも奪って全シュワーベンに支配圏を広げた。ビュルテンベルク伯領は15世紀に一時シュトゥットガルトとウーラハをそれぞれの首都とする2伯領に分割されるが,チュービンゲン大学の創設者エーバーハルト1世EberhardⅠ(在位1450-96)が1482年に統一を回復,95年には皇帝によりビュルテンベルク公の称号を認められた。しかし国の統一回復のためには領邦議会の協力を要したため,エーバーハルト1世の死後議会の力が強まり,議会は1514年のチュービンゲン協約により強力な政治的発言権を獲得,以後19世紀に至るまで,議会の力の強いことがビュルテンベルクの際だった特徴となる。18世紀のイギリスの政治家C.J.フォックスは〈ヨーロッパで立憲政体の国はイギリスとビュルテンベルクのみ〉と言ったと伝えられる。議会と争い,反対者を次々と牢獄に送った18世紀の暴君カール・オイゲンKarl Eugen(在位1737-93)も,1770年の永代協約で結局は議会の権利を認めている。この年彼がシュトゥットガルトに設立した軍人の子弟のためのカール学校は,シラーがここで学んだことで知られている。
ナポレオン時代にビュルテンベルクは親仏政策をとって領土を大いに拡大,1805年には王国に昇格されて西南ドイツの雄邦となった。15年ドイツ連邦の発足時,ビュルテンベルクは面積1万9500km2,人口134万で,ドイツ諸国中面積では5位,人口では4位を占めている。19年の憲法は伝統にのっとり,君主と議会の協約という形で成立したものである。ドイツ統一の問題をめぐっては,バイエルンとともに反プロイセンの南ドイツの立場を代表したが,66年オーストリアとともにプロイセンと戦って敗れ,プロイセンと攻守同盟を結んだのち71年ドイツ帝国に加盟した。1918年共和制をしいてワイマール共和国の一州となる。第2次大戦後アメリカ占領地区のビュルテンベルク・バーデン州と,フランス占領地区のビュルテンベルク・ホーエンツォレルン州に分かれるが,52年旧バーデン大公国領と結合されて今日のバーデン・ビュルテンベルク州となった。
執筆者:坂井 栄八郎
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