ロシアの批評家。貴族の生まれで、高度の家庭教育を受け、ペテルブルグ大学在学中から評論活動を開始し、卒業後『ロシアの言葉』誌に『19世紀のスコラ学』(1861)、『バザーロフ』(1862)を発表し、一躍論壇の寵児(ちょうじ)となる。知識人として自立するためには、既成の権威や道徳を否定し、エゴイズムに目覚めねばならぬと説く彼のニヒリズムは青少年に大きな思想的感化を与え、その舌鋒(ぜっぽう)の鋭さゆえに「恐るべき子供」とあだ名された。1862年に専制政府批判の檄文(げきぶん)を書いて4年半の獄中生活を送るが、そこでも執筆を継続、世界観を浄化するための武器として従来の哲学にかわる自然科学の普及を目ざし、ロシアでは初めてダーウィンの進化論、コントの社会学を批判的に紹介した。文芸批評の分野でも詩聖プーシキンの権威を否定した『プーシキンとベリンスキー』(1865)、『罪と罰』を社会問題として論じた『生活のための闘い』(1867)、チェルヌィシェフスキーの唯物論美学の限界をついた『美学の破壊』(1865)などロシア文学史上異色の論文を多数残している。主著『リアリスト』(1864)では、反動的政治状況を冷徹に分析し、知力の節約を訴えたが、その真意は理解されず、功利主義的側面のみが受容され、ピーサレフ主義なる流行現象を生んだ。出獄後まもなく遊泳中に溺死(できし)した。
[渡辺雅司]
『金子幸彦訳『生活のための闘い』(岩波文庫)』▽『渡辺雅司著『美学の破壊――ピーサレフとニヒリズム』(1980・白馬書房)』
ロシアの批評家。貴族の生れで高度の家庭教育を受け,ペテルブルグ大学在学中から評論活動を開始,卒業後《ロシアの言葉Russkoe slovo》誌に《19世紀のスコラ学》(1861),《バザーロフ》(1862)を発表,一躍論壇の寵児となる。知識人として精神的に自立するためには,既成の権威,道徳を否定し,エゴイズムにめざめることが必要だと説く彼の〈ニヒリズム〉は,多くの青年たちに影響を与えた。1862年に専制政府批判の檄文を書き,逮捕され4年半を獄中で送るが,そこでも評論活動を継続,《リアリスト》(1864),《美学の破壊》(1865),《思考するプロレタリアート》(1865)を発表,一大論争を巻き起こした。従来の民衆革命路線に代わって,知識人の日常性の変革の必要性を説き,その手段として自然科学の重要性を訴える彼の思想は〈ピーサレフ主義〉なる名称を呼んだ。出獄後まもなくリガの海岸で遊泳中に溺死。自殺説もある。
執筆者:渡辺 雅司
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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