ルーベンスに次ぐ17世紀フランドル(ベルギー)の大画家。アントウェルペンの富裕な商人の子に生まれる。早くから画才を現し、17歳のときルーベンスの弟子というよりむしろ助手として入門し、非常な愛顧を受けた。1620年、イギリス王ジェームズ1世に招かれてロンドンヘ渡ったが、まもなくイタリアへ旅立ち、1622年いったん帰国のうえ、翌1623年ふたたびイタリアに赴く。ここでルネサンス期の画家たち、とくにベネチア派のティツィアーノの影響を強く受け、1627年帰国後は彼独自の優雅な作風を展開した。1632年、ふたたびロンドンに渡り、チャールズ1世の首席画家となって、当時のイギリス宮廷貴族の肖像画を多く描いた。しかも、結婚にも名声にも恵まれ、その後のイギリス絵画に決定的ともいうべき影響を与え、1641年12月9日、ロンドン近郊のブラックフリーアで没した。
彼にはルーベンスほどのスケールの大きさはないが、外部からの強い刺激に対してはきわめて敏感であり、その繊麗と優美はまったく独自のものがある。宗教画、神話画も多く描いているが、とくに肖像画に優れたものが多く、代表作に『家族の肖像』(サンクト・ペテルブルグ、エルミタージュ美術館)、『自画像』(ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク)、『狩場のチャールズ1世』『ビーナスとバルカン』(ともにパリ、ルーブル美術館)などがある。
[嘉門安雄]
『佐々木基一編『ファブリ世界名画集14 ヴァン・ダイク』(1970・平凡社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1599~1641
フランドル派の画家。ルーベンスに師事し,のちイタリアにおもむいてティツィアーノ,ベロネーゼの画法を学び,1632年イングランドに渡って,チャールズ1世の宮廷画家となり,国王や貴族の肖像を多く描いた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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