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ファンファーニ ファンファーニFanfani, Amintore

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファンファーニ
ファンファーニ
Fanfani, Amintore

[生]1908.2.6. イタリア,トスカナ,アレッツォ近郊ピエベサントステファノ
[没]1999.11.20. イタリア,ローマ
イタリアの政治家,経済学者。ミラノ大学で経済学を学び,ローマ大学で経済史を講義。 1946年制憲議会にキリスト教民主党議員として選出され,47~50年労働相,社会保障相として入閣,労働者用住宅の建設,いわゆる「ファンファーニ計画」を実施して名声を高めた。

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世界大百科事典 第2版の解説

ファンファーニ【Amintore Fanfani】

1908‐1999
イタリアの政治家。ミラノのカトリック大学卒業後,1936年より同大学経済史教授。カトリック特有の有機体的社会観に基づいて中世同業ギルドに理想的な社会構成原理を見いだし,自由競争階級闘争といった近代的原理を超克しようとする社会理論であるコーポラティズムを説く。45年キリスト教民主党入党以来キリスト教的社会改革を唱える左派を形成し,デ・ガスペリに対抗。54年書記長となって以来社会党との連立を唱えたが右派の抵抗にあって孤立,中道左派政権は結局彼にかわったモーロが実現した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ファンファーニ
ふぁんふぁーに
Amintore Fanfani
(1908―1999)

イタリアの政治家。ファシズム体制下でミラノの聖心大学の経済史教授を務めるとともにカトリック青年組織の活動家でもあった。カトリック協同体思想による社会改革の構想を抱き、第二次世界大戦直後キリスト教民主党に入党すると党内左派を形成した。1946年の制憲議会議員を振り出しに、デ・ガスペリ時代の閣僚を歴任し、とりわけ第七次デ・ガスペリ内閣の農相(1951~1953)として農地改革を断行し、党幹事長に就任すると(1954~1959)、党組織の民主化を敢行した。また中道左派政権の推進者になり、1960年代にそれを実現させた。6期首相を務め、第四次内閣(1962~1963)では電力産業の国有化で注目された。しかし1974年の離婚法国民投票の際の党幹事長(1973~1975)としての態度、あるいは第五次内閣(1982~1983)における労働界との対決姿勢にみられるように、晩年は大衆に背を向ける保守主義が目だつ。それは共和国大統領の選挙に二度(1964年と1971年)も失敗したことからカトリック改革派のイメージを捨てて、伝統主義に転じたためといわれる。三度上院議長を務め(1969~1973、1976~1982、1985~1987)、終身上院議員でもあった。[重岡保郎]
『A・ファンファーニ著、松浦保訳『資本主義・社会性・参加』(1977・日本放送出版協会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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