フィアット(読み)ふぃあっと(その他表記)Fiat S.p.A.

デジタル大辞泉 「フィアット」の意味・読み・例文・類語

フィアット(Fiat)

イタリア最大の企業グループ。1899年、アニエッリ(G.Angelli)が設立。経営は、自動車を中心に、機械・鉄鋼船舶航空機マスコミ・金融などなど広範に及ぶ。自動車分野ではアルファロメオ、ランチア、マセラティ、フェラーリなどのブランドを所有。社名は、Fabbrica Italiana Automobili Torino(トリノにあるイタリア自動車製造会社)の頭文字から。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フィアット」の意味・わかりやすい解説

フィアット
ふぃあっと
Fiat S.p.A.

イタリアの大手自動車会社。1899年、ジョバンニ・アニエッリGiovanni Agnelli(1862―1945)が友人と設立したFabbrica Italiana Automobili Torino(トリノ・イタリア自動車製造所)に起源をもつ。ここでつくられた自動車が頭文字をとってFIATとよばれ、1906年、社名となった。最初は大型の高級車を製造していたが、1908年ごろから小型車にも進出。1912年「ティーポ0(ゼロ)」が爆発的に売れた。第一次世界大戦中、商用車、トラック、航空機等の生産を行い、さらにディアット自動車製造のディアット兄弟の工場を傘下に収めた。第一次世界大戦後は「509」がベストセラーとなり、1932年からは大衆車「バリッラ」が5年間で11万3000台売れた。1945年初代ジョバンニ・アニエッリが死去したのち、ビットリオバレッタが社長に就任した。第3代目の社長として1966年アニエッリの孫ジョバンニ2世(1921―2003、初代と区別するためジャンニGianniとも称した)が就任した。彼はとくに積極策を展開し、1969年6月スポーツカーの名門フェラーリ社Ferrariを傘下に収め、同年10月業界3位のランチア社Lanciaをも吸収合併した。1979年持株会社に組織を変更したが、アニエッリ家の同族的色彩が強い。1983年3月、同社の鉄鋼薄板部門はイリ(IRI)の鉄鋼部門と合併するために分離された。

 創立以来、積極的な拡大政策をとり、乗用車、商用車のほか農業・建設機械、冶金(やきん)工業、機械部品、車両および鉄道システム、航空機、通信・出版から保険にまで多角化経営を展開した。ソ連(当時)・東欧圏への進出にも積極的であったが、社会主義圏崩壊のあと、1991年に改めてポーランドに進出した。

 2008年時点で、世界に633の子会社・関係会社、203の製造施設、118の研究・開発センターを保有する。フィアット・グループは、乗用車分野のフィアット・グループ・オートモービルズFiat Group Automobiles、マセラーティMaserati、フェラーリFerrari、商用車のイベコIveco、農業・建設機械のニューホランドCase New Holland(CNH)、エンジンのフィアット・パワートレイン・テクノロジーズFiat Powertrain Technologies(FPT)、部品のマネティ・マレッリMagneti Marelli、軽金属・鋳鉄のテクシドTeksid、製造システムのコマウComauを傘下に収める。そのほか出版・通信のイテディItediも傘下に擁している。

 2008年の売上高は594億ユーロ、営業利益は30億ユーロ。従業員数約19万8000人。分野別生産高は、乗用車49%、商用車18%、農業・建設機械21%、その他の分野12%など。地域別の売上高は、イタリアを除くヨーロッパ40%、イタリア24.1%、北米9.5%、南米16.8%、その他9.6%。フィアット傘下の乗用車のブランドは、フィアット、フェラーリ、マセラーティ、アルファ・ロメオ、ランチアなどがある。

 日本では1990年(平成2)フィアット・オート(フィアット・グループ・オートモービルズの前身)の現地法人として、アルファ・ロメオ・ジャパン株式会社が設立された。翌1991年と1995年の増資を経て、1997年フィアット・オート・ジャパン株式会社と改称(資本金4億2000万円、100%フィアット保有)、2007年イタリアの親会社の社名変更に伴い、フィアット・グループ・オートモービルズ・ジャパン株式会社(現、FCAジャパン)に改称した。東南アジア唯一の現地法人としてフィアットのほか、アルファ・ロメオを販売する。1999年、デザインをフィアット、車両組立と部品供給を三菱自動車が行うとの技術協力協定を締結した。2000年、自動車部門にアメリカのゼネラル・モーターズ(GM)からの出資を受け入れた。

[湯沢 威・田村隆司]

その後の動き

2000年代初頭に経営不振に陥ったが、2004年に会計士出身の実業家セルジオ・マルキオンネSergio Marchionne(1952―2018)がCEOにつき、2005年にGMとの資本提携を解消し、徹底したコスト削減や成果主義の導入で再建を果たした。2009年、リーマン・ショックの影響で経営破綻(はたん)したアメリカのクライスラー社Chryslerに20%出資し、経営支援に乗り出した。2014年にはクライスラーの全株式を取得して傘下に収め、経営統合してフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)となった。同年、ニューヨーク証券取引所に上場。登記上の本社をオランダのアムステルダム、実質的な本社機能(含む税務上の本社機能)をイギリスのロンドンに置く。従来のフィアット・グループ・オートモービルズSpA(イタリア・トリノ)はFCA傘下のFCA Italy SpAに改称した。

[矢野 武 2019年8月20日]

『マリ・フランス・ポクナ著、高野優訳『フィアット――イタリアの奇蹟に挑んだ企業』(1993・早川書房)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「フィアット」の意味・わかりやすい解説

フィアット[会社]【フィアット】

イタリア最大の民間企業。1899年イタリア・トリノ自動車会社Societa Anonima Fabbrica Italiana Automobili Torinoとして設立。1906年現社名に変更。乗用車はじめ各車種を手がけ,1968年アウトビアンキ社を,1969年ランチア社とフェラーリ社を買収。さらに1986年アルファ・ロメオ社を買収し,1987年アルファ・ランチア社を設立。乗用車には〈フィアット〉〈ランチア〉〈アルファ・ロメオ〉〈マセラティ〉〈フェラーリ〉ブランドをもち,航空機,鉄道車両,農機,建機,各種機械も製造。その他化学,保険など幅広く事業を展開。しかし,1990年代後半に多角化戦略は失敗し,その後再建のためのグループの再構成とリストラ,外部提携を進め,2000年代前半に再建を果たした。2009年1月,経営再建中のクライスラーの株式を取得。本社トリノ。2011年12月期売上高595億ユーロ。
→関連項目イタリアジウジアーロ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フィアット」の意味・わかりやすい解説

フィアット
Fiat S.p.A.

イタリアの自動車メーカー。1899年,トリノでジョバンニ・アニエリがイタリア自動車製造所 Fabbrica Italiana Automobili Torinoとして創業,その頭文字をとったフィアットが 1906年に正式社名となった。当初は競走用自動車の開発に努力したが,その後有力企業を買収して事業を拡大。1905年造船分野に進出,1908年航空機エンジン開発,1914年航空機生産開始,1936年には小型乗用車の量産化に乗り出した。第2次世界大戦後はいち早く大衆車の量産化を確立するとともにトラック,バス部門を充実させ,さらに土木建設機械,農業用機械,電気・ディーゼル機関車,ジェットエンジン,ジェット機,各種エンジン,集積回路,工具,鉄鋼,アルミのほか輸送業,旅行業,リース業,新聞・出版業など広範な分野へ進出した。1979年持株会社に組織変更。1986年にアルファ・ロメオを買収,1988年にはフェラーリを完全子会社化(2016分離独立)した。2009年,クライスラーに資本参加し,2014年に完全子会社化,持株会社フィアット・クライスラー・オートモービルズ FCAを設立して傘下に置いた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android